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告白

「凉子……ちゃん」

 長い沈黙を破ったのは、美空が懸命に絞り出した一言だった。

「あ、あのね、ちょ、ちょっと待って、この前の事は謝るから、少し落ち着こう? ね?」

 この前?

「……」

 渡部はスッと顔を背け、微動だにしなくなった。

「この前はさ、ちょっと私もテンパってて、何かすっごい変な事言っちゃったけど、アレはそういう意味じゃないから、ね? 誤解しないで?」

「……」

「あ、そうだ。明日はみんなで一緒に晩ご飯作ろうよ? 凉子ちゃんの好きな……」

「ねぇ、何で隠してるの? 美空と島崎って幼馴染みだったんでしょ?」

「……え? ちょっ、止めてよっ!」

「は?」

 幼馴染み? 美空とは高校で会ったのが初めて……だったよな?

「え? あれ? 確か高校になってからこっちに越して来たん……だよな?」

「あ、ち、違うの、昔、こっちに旅行に来た事があって、その時……」

「何で嘘つくの? 小学校の時はこっちに住んでたんでしょ?」

「そんな……」

「住んでた? 何で……」

「確か、旧姓は穂高だっけ?」

「ほだか……みそら……?」

「……」


 そういえば、そんな苗字が記憶にある。確か……、四年か五年の頃、半年間だけ転校してきた女の子が、そんな名前だったハズ。


『捨てちゃうの?』


 ……そうだ、思い出した、あの時、俺は初めて穂高と話をした。友達に貧乏臭いと馬鹿にされ、ずっと使い続けていた鉛筆を捨てようとしていたあの日、彼女は俺を諭してくれたんだ。

『そんなになるまで使ってあげられたんだから、もう少しだけ頑張ろうよ?』

 馬鹿にするのではなく、明るく微笑みながら。

『大事に使うとね、どんな物だって「ありがとう」って喜んでくれるんだから』

 そう、俺に大切な事を教えてくれた、大事な人。何で今まで忘れていたんだろう?


「そんな、それならそうと言ってくれれば……」

「……」

 出来るだけ優しく声を掛けたつもりだったのに、何故か美空の顔は、さっきよりもさらに悪い方向へと強ばっていった。その顔を例えるなら、恐怖に引きつったような顔、とでも言うのだろうか?

「ねぇ? 何で隠すの? 教えてよ」

 渡部は何の感情も無い冷たい眼差しで、美空を問い詰めようとする。これが、いつも一緒で一番の仲良しだった二人の顔だなんて、俺には全然信じられなかった。

「……」

 だが、その問いかけに、美空は答えようとしない。何かから逃げるように下を向き、悔しそうに唇を噛んだまま。

「言えないんだ? もしかしてさ、実は島崎の事を狙ってたんじゃないの?」

「……」

 それでも、彼女は口を開こうとしない。

「そう? よーく分かった」

 何かを納得するように、何かを確信するように、さっきとは比べものにならない、まるでドライアイスのような目で、ぽつりと一言、低く呟いた。

「……裏切り者」

 彼女はそう言い放つと、くるりと背を向けて歩き出す。何事も無かったかのように。

「お、おい、待てよ、どこ行くんだよっ!?」

 そう声を掛けても、彼女の歩みは止まる事無く。

「待てってばっ! みんな心配――」

 別れ際の最後まで、彼女は乾燥しきった冷たい言葉を繰り返す。

「うるさい。……家に帰るんだよ。二度と話しかけるな」


――――。


 渡部が居なくなって暫くしても、美空はぴくりともせず、一言も喋らなかった。

 しとしとと降り続く優しい雨の音と、囁くように流れる川の音だけしか聞こえない世界。俺は、そこに佇む苦悶に満ちた彼女に、どんな言葉を掛けたらいいのか、全く分からなかった。

 いや、分からなかったというより、何も考えられなかった。

 芹奈、渡部、美空……。この数時間の間に起こった出来事が、俺の頭の中を激しく掻き回し続け、それどころじゃなかったから。


――――。


「……ごめん……なさい」

 あれからどれだけ時間が経った後だろうか、彼女は自分の足下を見つめたまま、突然謝り始めた。

「騙そうって思ってた訳じゃ無くて、……何かこう、言い辛かったって言うか……」

「別にそんな、気にする程の事じゃ……」

「ううん、そうじゃなくって……」

 そして再び始まる、長い長い沈黙。彼女は一体、何を言いたいのだろう?


「……ねぇ? 覚えてる? 小学校の頃の事」

「まぁ、ちょっとぐらいなら」

 美空が居た頃は、あんまり良い思い出が無かったけど。

「……あれ……さ、実は私のせい……なんだよね」

「あれって?」

「……しまちゃんが、……イジメられてた事」

「は?」

 いや、あれは確か、うちのクラスの……、誰だっけ? 加藤? の好きな子が、俺の幼馴染みだったって話で、別に美空は……。

「いや、あれは加藤が――」

「実はね、昔、加藤君に好きだって言われた事があったんだけど、私、断っちゃたんだ。……私は……島崎君が……好きだからって」

「……」

「そしたら、いつの間にか加藤君がしまちゃんをイジメるようになってて、……気が付いたら、もう、クラス全員で無視するようになってて」

「……」

「でもね、最初は、大好きな人を守ってあげようって思ったの。しまちゃんの前で身体を大の字にして、『そんな事しないで』って」

「……」

「……でも、出来なかったの。みんなに嫌われたくなかったし、逆に私がイジメられたらって思ったら、怖くて動けなかった。……ううん、私は、みんなと一緒にしまちゃんをイジメてたの。みんなと一緒になって無視したし、一緒に笑いながらイタズラするのを見てた」

「……」

「私はさ、自分可愛さに、好きな人を笑顔でイジメる事が出来るような、そういう最低のクズなの。……知らなかったでしょ?」

「……」

「でもね? あの後、いきなり転校する事になって、しまちゃんと何も話せないまま引っ越して、……私、死ぬ程後悔したんだ」

 突然、美空は大粒の涙を流し始めた。言葉にならない嗚咽を繰り返し、彼女は必死に叫び続ける。今まで堪えてきた何かを、全て吐き出すように。

「だからぁっ! もう嫌なのぉっ! もう好きな人を傷つけたくないのっ!」

「……」

「ひっ……、ひぐっ……、……なのにぃ……、もういやぁぁ……」


 泣き崩れ、地面に座り込む彼女の姿は、まるで子供のようだった。

 あの日、確かに彼女の姿はそこにあって、その瞳は、俺を哀れんでいるように見えた。

 でも、あの瞳の本当の意味は、そうじゃなかった。


 蘇ってくる、あの時の暗く冷たい記憶と、つい数時間前までの温かい記憶。交わりようのない二つの感情に責め立てられ、俺は、頭がおかしくなっていた。目の前で泣き崩れる彼女を、正しく認識出来なくなっている。

 歪む景色と、止まらない吐き気。


 俺は、今、どうすれば――


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