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誰かを助ける筈だった人生

「渡部が……どうかしたのか?」

「それが、凉子ちゃんの家に行ったら、昨日から一度も家に帰ってきてないって、お母さんが凄い心配してて、電話やメールしても全然返事くれなくって、凉子ちゃんが行きそうな所、色々回ってみたんだけど、全然見つからなくって……」

 いつも冷静な美空からは想像も出来ない、焦って慌てている様子の声。息が上がっている所を見ると、本当に駆けずり回っていたのだろう。

「ちょっと待て、落ち着けって。他の友達の所に泊まってたりとか、仕事先の人と遊んでたりとかはないの?」

「そんなの聞いた事無いよ。凉子ちゃんって友達多い方じゃ無いし……」

「それなら……」

 言葉に続いて何かを考えようとしても、何故かまるで頭が回らない。ふとした意識の隙間に、芹奈の涙がフラッシュバックする。


 ……落ち着かなきゃいけないのは、俺の方か。


「――す、はー……」

 頭を切り換えろ。今は、美空と渡部の話だ。

「じゃなくて、その前に何で帰って来ないんだ? 何かあったの? 美空は何か聞いてるの?」

「それは……、何か最近悩んでたみたいだったから、そのせいじゃない……かな?」

「悩み? 渡部が?」

 あの時のあの眼、あれはもう、自分の中の世界しか見えていない眼だった。もし、それが全て自分の思い通りの世界なら、何一つ悩む必要なんて無い筈なのに、一体何を悩んでいたんだ?

「もしかして、最近部屋に来なくなったのも、それが原因?」

「……うん、多分」

「……それ、もしかして、俺のせいか?」

「……多分」

 まぁ、そうだよな。あれだけの事があった後なんだから。

「そっか。それじゃ、あんまり俺が関わらない方がいいのかな?」

「そ、そんなっ、ダメだよっ! 友達でしょっ!?」

「友達って言ったって、あいつがあんなんじゃ――」

「ねぇっ! ちょっと待ってよっ! もし自殺とか考えてたらどうするのっ!」


 ふと、又、あの時の声が聞こえてきた。

『捨てちゃうの?』

 手のひら一杯に詰め込まれた渡部との思い出が、誰かの手によって引き裂かれ、ゴミのように燃やされていく、そんな光景が目の前に広がっているような気がした。


「何でいきなりそんな、だって別に俺は何も……」

 何も言ってないし、何を答えたつもりもない。ただ、あいつが勝手に迫ってきただけ。それに、あんな怖い思いをさせられて、何で俺がそんな事を……。

「分かってるよ。でも、大袈裟かも知れないけど、何か本当に嫌な予感がするの」

「でも……」

「ねぇ、取り返しがつかなくなったら、もう二度と会えないんだよ? しまちゃんはそれでもいいの? 今なら、まだ助けられるかもしれないんだよ?」

 助けられる?

 ……そうか、逆に考えれば、あいつがあんな事になったのは、俺のせいでもあるのか。ハーレムでも作るかのように、誰彼構わず都合の良い笑顔を振りまいてきたせいで、あいつは何かを勘違いした。

「……」

 だから、助けるとかそんなんじゃなくて、俺は、あいつに謝らないといけない……んだろうな。

「もう、こんな時間だし、あいつが行けるような場所はかなり少ないんじゃないかな」

「しまちゃん……」

「だとしたら、一人でいても不審に思われない二十四時間営業の店か、逆に誰も居ない場所のどちらかしかない気がする。そういう所って探した?」

「カラオケとかファストフード系の所は少し覗いてみたけど、全部はさすがに無理だよ」

「そうだよなぁ。でも、俺があいつと行った場所なんて数える程しか無いし、そんな所……」

「そう言えば、この前の花火がどうのこうのって話は?」

「あれは、花火を見に河川敷へ二人で行った時の話だけど……。まさか、こんな時間に一人で?」

「それは分からないけど、可能性がありそうな所は行ってみないと」

「確かに可能性はあるけど……。んー……、それじゃ、取り敢えずそっちは俺が行くよ。美空はそのままお店の方を回ってて」

「うん、じゃ、何かあったら連絡してね?」


――――。


 ぐらぐらする頭を抱えながら、河川敷へと車を走らせる。

 芹奈に対する悲しみと、渡部に対峙しなければならない恐怖とが入り交じり、身体中が気色の悪い感触に支配されていく。そして追い打ちを掛けるかのように、フロントウィンドウに降り注ぐ雨が、残り少ない精神力を少しずつ削り取っていた。

「何でこんな事に……」

 出てくるのは暗い溜息ばかり。考えたって仕方が無い事は分かっていても、後ろ向きな感情ばかりが湧き出てくる。もし、渡部がそこに居たら、俺はどんな言葉を掛ければ良いのか?

 それよりも前に、恐怖や憎しみが湧き出てくるかもしれないのに、こんな状態で正常な受け答えが出来るのか?

 ……正直、俺は普通でいられる自信があまり無かった。


――――。


 河川敷に隣接した公園の駐車場に車を停め、エンジンを切る。いつもなら心地よく落ち着く運転席に座っている筈なのに、今は心が刺々しい。

 ……それでも、行かなくちゃならない。

「こんな暗い場所に、ホントに居るのか?」

 いくつかの街灯が点いてはいるが、その間隔は町中のそれとは全然違う。何をどう考えても、女の子が一人で居られるような場所じゃない。

「……行くか」

 それでも探さなきゃいけないと、自分に言い聞かせる。

『あいつに自殺させる訳にはいかない。絶対に』

 そうやって、何度も何度も義務感を煽りながら。


 こうやってここに立っていると、あの夏の日、人混みを並んで歩いた記憶が蘇る。花火を見に行くにしては妙に気合いの入った服とメイクに目が泳ぎ、デートっぽい雰囲気に頭が沸騰しかかっていた夜。気恥ずかしさに負けて、一人出店周りをしていた幼稚な純情。二人並んで座り、何度も何度も、ほんの少しだけ触れあい続けた肌の温もり。

 

 ……でも、それはもう昔の話。

 雨の堤防を駆け足で登り切ったその先には、そんな面影一つ無く、あるのは、ずぶ濡れで立ち尽くす一人の女性の姿だけだった。

「渡部っ!?」

「……」

 ありったけの気力を振り絞って走り寄る。萎縮する心に鞭打つのではなく、彼女を助ける為に。

「――っ、はぁ―。……おい、こんな所でどうしたんだよ? みんな心配してるぞ?」

「……何?」

「何って……、だから心配してみんな探しに――」

「心配? 誰が? 適当な事言わないでよ」

「な……、どうしたんだよ? 何があった?」

「……別に」

「別にって、なぁ、ちゃんと……」

「うるさいっ! どっか行けよっ!」

「な……」

「お前の顔なんか見たくも無いし、喋りたくもないんだよっ!」

「ま、待てよ、ちょっと落ち着けって」

「……うるさい、お前なんか大っ嫌いだ。二度と話しかけるな」


 その一言は、信じられない程に心へ突き刺さった。

 今まで、こんな風に誰かに嫌われた事なんて一度も無かった。イジメる対象を見下した、優越感と征服感に満たされた目とは全く違う、攻撃的で、拒絶的な、相手の人格を全て否定するような冷たい目。

 それがこんなにも辛くて、そしてこんなにも悲しいだなんて、俺は信じられなかった。胸の奥を氷のナイフでえぐり取られるような、人生最後の絶望にも似た感情。俺は、呻き声すら出す事が出来ずに、ただ呆然とするしかなかった。


「……それと、あんたもね」

 渡部の声にふと我に返ると、彼女の視線は、俺では無い別の何かに向けられていた。

 咄嗟に視線の先へと振り返ると、そこには、呆然と立ち尽くす女性が一人。


「美空……」


 その顔は、驚きとも絶望とも取れる、見た事も無い空虚な表情に固まっていた。


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