表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/45

平穏のような日常

 あれから、渡部が俺の部屋に顔を出す事は無かった。何で来なくなったのかも分からないし、あのまま諦めるなんてとても思えなかったけど、正直、心の中ではホッとしていた。

 このまま何事もなく過ぎていってくれればと、そう期待し、美空や芹奈にも出来るだけ話題を振らないように心掛けた。

 それはもう、宗教的な祈りに近かったような気がする。

「そう言えば、凉子ちゃん今日も来なかったね。あれからメールしても『忙しい』ばっかりだし、ちょっと心配だな」

 でも、その祈りは届かなかった訳で。

「本当、どうしたんだろうね? そんなに仕事忙しいのかなぁ?」

 二人とも不思議そうに、そして少し心配げに、玄関へと呟く。

 今までも、こうやって暫く来なかった事は度々あったけど、今回はいつもと様子が違う。それは、あの夜を一緒に過ごしたこの三人なら、言わなくても分かっていた。


「くっそ~、折角凉子ちゃんが好きそうな映画が始まったのにな~」

「何だ篠原? あいつと映画に行くつもりだったのか?」

 最近は篠原や五十嵐も、晩飯をたかりに来る事が多くなった。もちろん、割増料金は徴収済み。

「そうなんだよ、やっと『魔法幼女てつこ/輪廻の山の手・終電までお兄ちゃんと一緒』が公開になったのにさ~、タイミング悪いよなぁ」

「……、俺、ずっと思ってた事があるんだ。お前って明るいし、色々気が利くし、人付き合いも上手なのに、何で彼女出来ないのかなーって。でも、その疑問が今日、やっと解けた気がするよ」

「へ? 何が?」

「何がじゃなくて、初デートにロリアニで喜ぶ女子がどこにいる? せめて池袋方面にしとけって話だよ」

「何おう!? 島崎は全然分かってないっ! これは鉄子ちゃんの悲しい過去と、固い絆で結ばれた仲間との友情が織りなす感動のバトル、そして、愛する兄との終わりなき旅路を描いた、アニメという枠を超える至高のラブストーリーなんだぞ? それを言うに事欠いてロリアニ等と……」

「待て待て待て、論点はそこじゃ無いから。ていうか、渡部から妹までなんて、どんだけ守備範囲広いんだよ、お前は」

「おぅ。わりかし熟女系もイケる口だけどな」

「でもやっぱ、てつこたんは外せないよね~」

「……五十嵐よ、お前もか」

「島崎だって、この前『ゆりゆり』借りてたじゃーん」

「ばっ、おまっ、見てたんかっ!」

「しまちゃん、とうとうそっち側に行っちゃったんだね……」

「じとーっ」

「ちがーうっ! あれはそういうアニメじゃなーいっ!」


 渡部が居ない事を除けば、いつも通りと言っても差し支えないのだろう。暖かい食事、賑やかな部屋、明るい笑顔、この前のような恐怖とは無縁の世界。

 でも、あいつがあんな事にならなければ、これ以上の、もっと幸せな景色が広がっていたのだろうか?

 でも、だからと言って、あいつが居れば良かったなんて、……今更思えない。


「そう言えば芹奈の方は、雑誌の撮影ってどうだったの? 大丈夫だった?」

「えへへへ~、よくぞ聞いてくれました。心してこれを見るのだっ!」

 ごそごそとバックを漁って取り出したのは、一束の写真。

「カメラマンさんと編集さんが、良く撮れたのを選んで印刷してくれたんだ~。ね?ね? 超~可愛く撮れてると思わない?」

「すげーっ! 普通にグラビアみたいだ」

「でしょー? 芹奈もこれ見た時、超ー感動しちゃったんだ~。だから、早くみんなに見せてあげようと思って、飲み会誘われたの断って帰ってきたんだよ?」

「そっか、ありがとな。しかし、マジで凄く感動するぞこれ。ちょっと泣きそうかも」

「やだもー、しまちゃんったらー」


 あの日、まるで魔方陣で召喚されたかのように現れた芹奈の新しい一面は、今、また新しい世界へと足を踏み入れようとしていた。

 それは俺にとって喜びであり、幸せであり、そして、寂しさでもある。

 だから、瞼の端に滲むそれは、そんな色んな感情が入り交じっていて、何か一つの理由で説明がつくものではなかった気がする。

「芹奈たんは、これで芸能界デビューだよね? 俺、絶対ファンクラブ入るからねっ!」

「俺はファンクラブどころか、全部のイベントをコンプリートするぜっ! 会社休んでっ!」

「だから、雑誌の撮影なだけで、芸能人でもアイドルでも無いと言っとろーが」

「えへへ。でもね、何かそうやって期待されるのって、嫌いじゃないかも」

「芹奈……」

「それに、色々がんばったら可能性はゼロじゃないかもだよ? しまちゃん、どうする? 芹奈がアイドルになっちゃったら」

「……」

 芹奈が一歩、又一歩と遠のいていく事を想像すると、その度に胸が締め付けられる気がした。いつか、こうやって普通に話せなくなる日が来るのだろうか? もし、そんな日が訪れたとしたら、俺は普通で居られるのだろうか?

「ん? そんな真剣な顔してどうしたのかなぁ? 芹奈がいなくなったら寂しい?」

「ば、そんな寂しいとか、そんなんじゃなくて……」

「ふーん? でも、可愛そうだから追求しないでおいてあげようかなっ。えへへ」


 ……本当に、そんなんじゃないのか?


――――。


 いつものように夕食を平らげ、何の役にも立たない雑談で夜も更けた頃、いつものように皆は帰り支度を始める。

「さてと、お姉ちゃんも明日の仕事がんばるぞー。おー」

「美空ちゃん、帰り送ろうか?」

「ううん、大丈夫。まだちょっと帰る途中に用事があるし」

「芹奈ちゃんは?」

「あたしも大丈夫。友達と会う約束があるんだ~」

「何だ、寂しいな~」

「まぁまぁ、また今度お願いね?」

「今度じゃ無くて、今日がいいんだけどなぁ~」

「あはは、拗ねない拗ねない」

 そんな他愛も無い会話で盛り上がっていたみんなを尻目に、芹奈は俺にそっと小声で話しかけてきた。

「芹奈ね、後でしまちゃんに内緒の話があるの」

「内緒?」

「うん。だから一旦帰ったフリして、また戻ってくるね」

「あ、うん、わかった、けど……」

 何の話だ? まさか本当にアイドルになったとか、って、そんな訳ないか。まぁ、考えたって仕方ないけど……。


「みんな、おやすみ~」

「おやすみ~」

 いつものように手を振り、いつものように少し寂しい一時を味わうはずだった玄関口。でも今日は、そっと芹奈と目を合わせ、秘密の約束を確かめ合っている。これもある意味、幸せな一時。


――――。


「お待たせ、遅くなってゴメンね?」

 あれからそれ程経った訳でもないのに、芹奈は何かを思って、そう謝りながら戻ってきた。そして、その時の彼女の顔が、真剣というよりも、何か思い詰めているような表情に思えたのは、気のせいだったのだろうか?

「大丈夫だよ。それより、上がってゆっくりしたら?」

「ううん、ここで大丈夫」

 靴を脱ぐ事もせず、そう言って彼女は、玄関の扉を背に立ち尽くした。

「? そう? ……それで、内緒の話って?」

「うん、あのね、芹奈……」


 それっきり、ただうつむくだけの彼女。しかし、その沈黙で何かを覚悟したのか、彼女は真剣な眼差しで顔を上げる。


「あのね、芹奈、……しまちゃんの事が好きなの」


 それは、いつか予感していた光景。

 こうなると分かっていて、何も考えずに過ごしてきた日々。

 そして辿り着いた、この未来。


 ……だからこそ、次に繋ぐ言葉が、何一つ見つからなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ