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救い、再び

 ――ドンッドンッドンッ!

「島崎~、あたしだよ~。開けて~」

 おいおいおいおい、どうするどうする? 開ける? 居留守? って、車あるんだからダメじゃん、バレてんじゃん。じゃ、寝る? 風呂? トイレ? じゃなくて……。

「島崎―っ、早く開けろよーっ」

 無理無理無理、どうするどうする?


 恐怖で頭がパニックを起こしていた。考えはまとまらない、何も思いつかない、挙げ句、ガチャガチャと動くドアノブの恐怖に怯え、足がすくんで動けなかった。

「しーまーざーきー」

 震える指を握り締め、覚悟を決める以外に手はないと意を決した次の瞬間、ドアの向こうから聞き慣れた声が聞こえてきた。

「凉子ちゃん、どうしたの?」

 美空? 何で美空まで?

「え? あ、あの、いや、何ていうかさ、ちょっと忘れ物しちゃってさ」

「あはは、そうなんだ。実は私も忘れ物しちゃったんだよね~。でも、何かしまちゃん寝てるみたいだから、明日にしとこっかな。凉子ちゃんは急ぎなの?」

「え? あ、いや、急ぎじゃないけど……」

「そ? なら一緒に帰ろっか?」

「あ……、うん……」

 その言葉を最後に、二つの足音はゆっくりと遠のいていった。そして、それに呼応するかのように、身体の血がサーッと引いていき、俺は膝を折るように倒れ込んでいた。

「なん……なんだ……」

 腰が抜けて立つ事も出来ず、床に吸い込まれるように意識が遠のいて行く。

 渡部から逃れられたからだろうか? それとも、美空に助けられたからだろうか?

 まぁどちらにせよ、俺にとってはもう、それ以上はどうでも良かった――


――――。


 ――ルルルルルッ。

「……はっ!? えぁっ?! 何っ!?」

 気が付けば、床に転がった携帯がけたたましく鳴り響いていた。俺は何が何だか訳が分からない状態のまま、寝ぼけた頭で通話ボタンらしき物を操作する。とりあえず、とにかく出ないと。

「はいっ、島崎ですっ」

「大丈夫っ!? 事故ったりとかしてないよねっ?!」

「は!? 遠藤さん!?」

 ……あ、やっべー。

「ご、ごめん、家には着いたんだけど、ちょっと色々あって、メールする前にぶっ倒れて寝ちゃってた。ほんとゴメン」

「寝てたって……、はぁ、もう何時だと思ってるんですか? 完全に遅刻ですよ?」

「へ? 遅刻?」

「え? もしかして、ホントに昨日からずっと寝てたの? 今日は月曜の朝だよ?」

「へ? 月曜?」

 背筋が寒くなるような単語を聞いて、恐る恐る時計を見る。

「……あー」

「……でも、無事で良かった」

 そう言って、彼女は深い深い溜息をつく。

「昨日は一日中心配してたんですからね。メールは来ないし、こっちから送っても返事来ないしで、ホントに心配したんだから」

「ごめん……なさい」

「って、あんまり責めても仕方ないよね。先輩さんには『体調不良で午前半休』って言っておくから、ちゃんとシャワー浴びて、ちゃんとご飯食べてきてくださいね?」

「あ、うん、分かった。有り難う」


 電話を切ると、部屋はいつもと違う静けさを漂わせていた。耳慣れない外の喧噪と、丸一日止まったままの時間。それはまるで、いつもと少し違う平行世界へシフトしたかのような、そんな景色だった。

「……とりあえず、風呂に入らないと」

 床に寝ていたせいか、気が付けば、骨や筋肉はバキバキと音を立てながら動いている。そして、一歩、又一歩と目が覚める度、思い出したくなかった昨日の恐怖が少しずつ蘇ってくる。

「あいつは、何であんな事……」

 付き合った訳でも無いのに、嫉妬とか独占欲とか、いきなり突然過ぎだ。俺が何したっていうんだ?

「あー、もう何か無性に腹が立ってきたぞ?」

 頭にシャワーを浴びながら、心の奥から湧き出る憎悪と戦い続ける。頭では分かっていても、抑えられない理不尽への怒り。そんなぐちゃぐちゃした感情が整理できないまま、気が付けば、ささやかな午前半休は終わろうとしていた。


――――。


「あ、重役出勤の島崎だ」

「おー、島崎―、体調大丈夫かー?」

 昼休み、篠原と五十嵐の食事に顔を出す。

「あぁ、何とか平気。ちょっと腹壊しちゃったんだけど、もう大丈夫。そういや、篠原は昨日の帰りとか、大丈夫だったか?」

「昨日? あぁ、ちゃんと送ってったぞ。あ、そうそう、凉子ちゃんも美空ちゃんもさ、アニメとか嫌いじゃないとか言ってくれてさ、ちょっとそっち系の話で盛り上がったんだよね~。いやー、楽しかったな~」

「俺も~、芹奈たんと超~盛り上がったお~」

 二人とも、何か変なオーラ出てるぞ?

「そっか、それなら良かった」

 渡部が美空と一緒に帰った後、何故か渡部からの着信やメールは一切なかった。残っていたのは遠藤さんの心配メールと、芹奈の楽しそうなメールだけ。あの勢いを考えれば、あれから何も履歴が残っていなかったなんて逆に不自然すぎると思うのだけれど、それと同じように、それが不自然であると確信が持てる訳でもなかった。

 あれで諦めたなんて、有り得ないと思うんだけど……。


「そうだっ! 島崎、これ見たか? 芹奈たんがばっちり一面飾っちゃってる奴っ! 見てないなら、今すぐ見ろっ!」

 渡されたスマホには、あのエロ可愛い芹奈と三人の愛車、そして、控えめに芹奈を見守る俺の姿が映っていた。

「芹奈たん、もう女神さまだよねぇ~。これって運命だよねぇ~」

「五十嵐、帰ってこーい」

「いや、でも実際さ、ここまでレベル高いレイヤーってなかなか居ないと思うぜ? そう考えると、もしかしたら芹奈たんが芸能界デビューって事だって、有り得るかも知れないじゃん?」

「芸能界ねぇ……」

「そしたらさ、俺達って芹奈たんをプロデュースしたって事になる訳じゃん? 凄くね? つーか、マジで感動モノなんですけどっ」

 何やら妄想世界で感動を共有するエスパーな二人。

「そんなデビューなんてする訳ないじゃん。ただトップページに写真が載った程度で」

「いや、それがさ、実はあの雑誌の編集部から連絡があったんだって。芹奈たんの所に直接」

「……は?」


 ――聞けば、あの写真を見た別雑誌の担当者が、次の企画で芹奈を使ってみたいと言い出したらしい。で、それがきっかけとなり、連絡先を交換していた担当が芹奈に連絡を取って、企画に参加しないかと持ちかけた。

 しかし、芹奈はずぶの素人。どうして良いか分からなくなった彼女は、とりあえず五十嵐に助言を求めた。

「んで、あそこはちゃんとした所だから、試しにやってみたら? って言っといた」


 ……俺には何も連絡せず、どうして五十嵐だったのか。俺と芹奈に特別な関係なんて何も無いけれど、それでも、せめてこういう話題なら、一番に俺に相談して欲しかった。

 だから、何か寂しいものがあった事は否定しない。


 ……でも、この胸の苦しさは、本当に寂しいだけなのだろうか?


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