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遠足は家に帰るまで

「買ってきたぞ~っ」

「あ、あぁ、お疲れです……」

 芹奈や美空、そして当然、遠藤さんも、誰一人として渡部の話を遮る事が出来なかった。それが出来たのは、先輩率いる買い出し部隊の帰還だけ。

「ん? どうかしたの?」

「いや、何でも無いですよ?」

 先輩達の帰還と共に渡部のお喋りもぴたりと止まり、あの異様な雰囲気はどこかへ行ってしまった。

「そう? じゃー、第二ラウンド行くぞーっ!」

「おーっ!」


 ――それから深夜になるまで宴会は続き、一人、又一人と眠りについていく中、俺は渡部の恐怖に怯え続け、一睡も出来ずに朝を迎えた。

 眠ったら襲われる、そんな恐怖。

 それはまるで、ホラー映画のように何かに怯え続ける、長い長い夜だった。


――――。


「おはよー。いやー昨日は飲んだなぁ」

 最後まで寝ていた五十嵐がやっと起きると、皆で帰り支度を始める。

 昨日のイベントが、まさか泊まりになるなんて誰も思っていなかったから、今日は帰ってゆっくり休もう、そういう話になった。

「じゃ、篠原は鈴木さんと渡部さん、五十嵐は安藤さん、で、島崎はあたしと遠藤さんね」

 皆の家の方角を聞いていた先輩は、誰が誰を送るかテキパキと決めていった。こういう所を見ていると、『これぞ仕事が出来る女性』って感じがするから不思議だ。


「ばいばーい。また宴会しようねー」

「五十嵐、芹奈に手ぇ出すんじゃないぞ?」

「わかってるよ~」

 芹奈はいつものように楽しそうに。


「また来てね? 今度は私が料理作っておもてなしするから」

 美空も、いつものように。

 でも、渡部は……。

「次は島崎の昔の話とか、色々教えてあげますね」

 そんな事を遠藤さんに向かって話していた。

 ……あいつは、一体何がしたいんだろう?


「篠原、何か昨日から手間かけさせちゃって悪いな」

「気にすんなって、俺は役得なんだしさ」

「そうなのか?」

「気にしない気にしない。それより、遠藤さんと色々話してみたら? まずはお友達からだっていいじゃんさ」

「んー。まぁ、そうだよなぁ……」


――――。


 初めての道を辿りつつ、初めての先輩の家に到着する。

 そこには新築のオシャレなマンションが立っていて、……と思っていた俺の想像とは全然違って、何だか妙に親近感のある町並みの中、ごく普通のアパートが立っていた。

「ありがと、ここで大丈夫。後は遠藤さんを宜しくね」

「はい、先輩もゆっくり休んでください」

 近所の子供達がはしゃぐ声に混じって、先輩は優しい笑顔で見送ってくれた。それは勿論、『上手くやれよ』という事なのだろう。

 あの日以来となる、二人だけの一時を。


 でも、思い返す熱い記憶とは裏腹に、車内は何とも言えない空気のまま、静かに時が過ぎていった。


――――。


「……渡部さんって、いつもあんな感じなんですか?」

 そんな静寂を破ったのは、彼女の方だった。

「あ、いや、いつもはあんなんじゃ無いんだけど。……あいつ、最近何か変なんだよね」

「そうなんだ。島崎さんも大変だね」

「大変っていうか、何か、どうしたらいいか良く分からないっていうか……」

 でも本当に、どうしたらいいんだろう? 昨日の言動を見れば、あいつが俺に何を求めているのかは明白なんだけど。

「付き合っちゃえば?」

「無理ですよ。あいつは友達で、そういう対象には見れないし」

「あんなに美人さんなのに?」

「それとこれとは別でしょ。遠藤さんはイケメンなら誰とでも付き合うんですか?」

「そんな訳ないでしょっ」

 いつも笑顔を絶やさない彼女にしては珍しく、真面目に怒った顔でそう答えた。

「まぁ、そういう事ですよ」

 でも、何だかそんな顔が微笑ましくて、思わず笑みがこぼれてしまった。

「何笑ってるんですか?」

 拗ねてふくれる遠藤さん。それもまた、妙に可愛らしくて。

「別に笑ってないですよ?」

 どうしても顔がにやけてしまう。

「そんな事言ってると、後で酷いですからね~」

「あはは、怖い怖い」

 ……そう、あの夜もこういう空気だった。

 それが、どうしてあんな態度になってしまうのか。本当に訳が分からない。

 

「あ、ここで大丈夫。私の家、あの細い道を入っていった奥だから」

「うん、それじゃ、気を付けて」

「それはこっちの台詞ですよ。昨日は全然寝てないんでしょ?」

 ……気付いてた?

「居眠り運転しないように気を付けてくださいね? ……それと、家に着いたらメールしてくれると助かる……かな。やっぱり心配だし」

「あ、あぁ、うん、分かった、メールする。でも、ちょっと色々寄りたい所があるから、少し遅くなるかも」

「うん、それで大丈夫、ありがと。じゃ、気を付けてね。ばいばい」

「ばいばい」

 笑顔の彼女と、少し名残惜しそうに手を振って別れる。

 もし、こうやって距離が近くなっていっても、彼女はずっと付き合ってくれないのだろうか?

 ずっと、他人行儀に過ごそうとするのだろうか?


――――。


 遠藤さんの家からの帰り道、日用品を買いにいくつかの店に寄りつつ、何とか居眠りしないようにハンドルを握り続け、やっとの事でアパートに戻ってきた。

 車の中って何でこんなに眠くなるんだろう? そんな他愛も無い疑問に首を捻りながら、部屋の鍵を開け、これでやっとぐっすり眠れる、そう気が緩んだ次の瞬間、忘れていた事を思い出した。

「っと、そうだ、メールしないと」

 部屋着に着替え、何を書こうかと少しわくわくしながら携帯を取り出すと、不在着信が山のように入っている事に気が付いた。

「十二件? 何だこれ? 全然気付かなかった」

 誰か緊急の用事でもあるのかと慌てて開くと、画面一杯に広がる見知った名前が目に飛び込んで来た。

「渡部……凉子……」

 この恐怖は、昨日の夜の比じゃない。本気で気が狂いそうになるこの光景、今すぐにでも叫び出したい衝動が抑えられない。まるで、誰かに殺されかけているような気分だ。

「……待て待て待て、落ち着け、落ち着け。とりあえず、まずはこれを何とかしないと……」

 こっちからかけ直すか、それとも簡単にメールで済ますか?

「……? 何か、メールの未読も……異様に多くないか?」

 恐る恐るメールボックスを開くと、やはり想像していた通りの名前が綺麗に並んでいた。

 腰から湧き上がる震えに負けないよう、集中して指に力を込め、一つずつメールを開いていく。

『遠藤さんはちゃんと送ってきた?』

『ちょっと、返事してよ~。何回掛けても出てくれないしさ~』

『おーい、どうした~?』

『ねぇ、まさかと思うけど、送り狼してるとか言わないよね?』

 ……なんだ、……これ?

『あのさ、もしそんな事してたら怒るよ? 島崎はあたしの事だけ見てればいいんだからね? 分かった? 分かったら早く返事して』

 ……何を言っているのか、意味が分からない。

『そうだ、今からアパートに行って待ってるよ。帰って来て一人じゃ寂しいもんね』

「まっ!? これいつのだっ!?」

 ……送信時刻を見て、愕然とした。もし彼女がその時に家を出たのなら、まさに今、玄関の向こうに彼女が立っている事になる。

「……うそ……だろ?」


 ――ガチャ。


 恐怖? 戦慄? 正直、怖くて何も考えられなかった――


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