真実のような、偽りの愛
俺は、さっちゃんを裏切った。彼女は気付いていないが、結果的に俺は裏切ったのだ。
あゆみしか知らない、誰にも言えない、この心。
もう二度と、受け入れられる事の無い、この心。
……ゴミのように捨てなければならない、この心。
だからと言って、彼女の顔を見る訳にはいかない。
あゆみにフラれたからと言って、彼女に戻る訳にはいかない。
俺は、それだけの罪を犯したんだ。
俺は、それだけの罪を犯したんだ。
俺は、……それだけの罪を犯したんだ。
だから彼女は、こんな最低の人間と一緒にいちゃいけないんだ。
――――。
俺には、あまり結婚したいという願望が無かった。どちらかと言えば、したくないと言った方が正しいだろう。
あの全てに拒絶された小さな世界が、誰も信じないこの心を形作ったのだ。
誰も信じられない人が、誰かを信じて四六時中一緒に過ごすなんて、出来る訳がない。
……まぁ、そこまでの心理状態を誰かに話した事はないけれど、単純に独身がいいとは言い続けていた。
だから彼女も、その事は良く分かっていた。
それでも、こんな俺の傍にずっといてくれた。人一倍、誰よりも結婚願望が強かった、あのさっちゃんが。
「あーゆーリビングセットとか、憧れちゃうよね~」
「いやいやいや、あの安アパートにこんなん置けないって」
「別に買うなんて言ってないでしょ~。ただ、可愛いなーって思っただけ」
言葉の節々に感じられる、結婚への眼差し。
大介と過ごす筈だったその生活は、今や遠い過去の物となり、今の彼女の傍には、そんな願いすら叶えてやれない、甲斐性無しの男が佇んでいる。
彼女にとって、こんな不幸な事が他にあるだろうか?
……そして、そんな情けない男が、よりにもよって浮気したのだ。
信じられるか? しかも浮気じゃなくて、本気になっただなんて。頭が悪いにも程がある。
お前はあの時、彼女に何を誓った?
守るんじゃ無かったのか?
悲しませないようにするんじゃなかったのか?
……自分が傷つけてどうするよ?
お前は、本当にどうしようもない程、愚かで、馬鹿で、……最低の屑だ。
だから、やっぱり別れるしかない。
彼女は、こんな人間と一緒に居ちゃいけない。
彼女は、もっと幸せになるべきだ。
ちゃんと恋愛をして、ちゃんと結婚をして、ちゃんと子供を作って、……将来は、子供や孫に囲まれた、幸せな老後を過ごすんだ。
……そこに、俺は必要無い。
『別れるしかない……』
いつの間にか暗く、肌寒くなっていた部屋で、俺は一人、そう呟いていた。
でも、本当の事を彼女に話す訳にはいかない。
あゆみとさっちゃんは、昔からの親友。俺がその関係を壊す訳にはいかない。
……でも、嘘はつけない。
だから、あゆみの事だけを秘密にして、それ以外の俺の気持ちを話す。それしかない。
彼女を救うには、それしかないんだ。
俺がさっちゃんにしてあげられる事は、……それしかないんだ。
『さっちゃん、明日、逢えるかな?』
メールを送った後、暗闇の中、俺はずっとテレビの下の赤いランプを見つめ続けていた。
明日まで、その決心が崩れないように。
これから一生、その罪が消えないように。
……これでさっちゃんが、幸せになれますように。
――――。
「しまちゃん、どうしたの? ちょっと目も赤いよ?」
いつもより、ちょっとだけ心配そうに話す彼女。
もしかして、何かに気付いているのだろうか? 女の子は感が鋭いって言うし。
それに、……多分それ、……正解だと思うし。
――――。
俺じゃ、君を幸せにしてあげられない。でも俺は、君に幸せになって貰いたい。
……だから、俺なんかじゃなく、ちゃんとした人と付き合って、幸せになって欲しい。
一言一言確かめるように、そう伝えた。
彼女はびっくりした表情を変えることなく、大粒の涙を流し続けた。
俺を責めることなく、自分を責めることなく、ただ、泣き続けた。
『どうして? どうして? どうして?』
そう、呟きながら……。
俺のせいで流した彼女の涙が、こんなにも俺の心をズタズタに引き裂くとは思わなかった。
今まで経験した、どんな事よりも辛かった。
涙を堪え、立っているのがやっとだった。
……でも、膝を折る訳にはいかない。これは俺のせいなんだ。
これは、偽善者ぶった詐欺師の末路。それは、泣いて許される物じゃない。
でも、最後だけは、彼氏らしい事をしてあげたかった。
今まで、友達の延長線上で付き合ってきて、彼氏らしい事なんて何一つ出来なかった俺だけど、それでも何か一つぐらい、俺が彼氏だった事を覚えていて欲しかった。
「ごめんな、……咲樹」
今までずっと、お互いに友達だった頃の愛称で呼び続けていた。
そんな二人を端から見れば、それは、友達同士のままに見えていたのかもしれない。
だから最後くらい、ちゃんと名前で呼びたかった。
二人は、付き合っていたんだよって。
「……こんなの、ずるいよぉ」
それからずっと、彼女は俺の胸の中で泣き続けた。
何も語らず、ただ、ずっと……。




