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06 時計屋は虎を狩るか

 しばらくして時計の音が収まった店内には、再び秒針の音と振り子が揺れる音しか聞こえない、静かな店に戻った。


 突然の音の嵐にびっくりし、少しばかり早まった動悸を収めようと、深く息を吸う。


 店の奥から現れたアライグマの男は、大柄なジェスラと比べるとずいぶんと小柄で、シャツにネクタイ、茶色い地味な袖の無いセーターに、腕抜き。という何処かの事務のおじさんにでもいそうだな、と思うような格好をしていた。

 かろうじてモノクルのみが、それを匂わせないようにしている。恐らく、彼がカーブロレなのだろう。薄暗い店内の雰囲気と合間って、少し不気味に感じられる。


 時計の音に耳を傾けていたカーブロレは、ジェスラを見ると、んー?といいながら目を細め、途中、何か思い出したようにしながらジェスラに話しかけた。


「ああお前、この前来た運び屋の虎か。そういえば客から、運び屋が受け取りに来るとかなんとか電話が来たが、そうかお前か。いやはや、この前は世話になってな」


「本当だ。あんなの今回はごめんだぞ。早く品を出してくれ」


 今はカーブロレに顔を向けているため、ジェスラの表情は見えないが、その声色が少しばかり強張っているような、イラついているように感じる。

 カーブロレが「世話になった」と言っているように、ジェスラをイラつかせる何かがあったのだろう。

 カーブロレはジェスラの言葉に、口元をニヤつかせたかと思うと、何かを含んでいるような表情でジェスラを見る。


「んんー、それはどうかなあ、運び屋。お前、本当にあの客の言ってた運び屋かあ?証拠はあるんか?」


「ちゃんとアンタと先方の契約書はある。変な言いがかりはつけるな」


 あの鹿の依頼人から受け取った契約書を、ジェスラはカーブロレの鼻先に突きつける。カーブロレは少しうざったそうにしながらジェスラの手を払いよけると、ますます口元の笑みを強くしながらジェスラに話しかけてくる。


「契約書なんぞ、いくらでも偽造出来るしなあ?」


「爺さんふざけないでくれよ、屁理屈言ってないで出してくれ」


 カーブロレの言葉にジェスラが声を荒らげる。ちゃんとした正規の契約書であろうそれなど目に入らない、見てすらいない時計屋の男はニヤニヤとジェスラを見たままだ。屁理屈、というかこれはもう、いちゃもんの域である。


 うわぁ、何て思いながら口を出すわけにもいかずに、事の成り行きを見守っていると、なんだかずいぶん怪しい雲行きになってきた。このアライグマ、また何かジェスラに無茶ぶりをふっかける気だ。

 アライグマなんて、あの有名な可愛らしい動物、というイメージしか無かったため、目の前のジジくさく、いやらしく感じるアライグマの姿に、心の中で少しだけショックを受ける。


「お前が欲しいのはこれか?」

「そうだ。爺さん黙ってそれ渡してくれ」


「おおーっと?お前、勝手に持ってったら泥棒だぞ」


 うんうんと考えごとをしていると、カーブロレがどこからか取って来たのか。少々見覚えのある箱を手元で揺らす。ジェスラがガンリに、いつぞやか渡していた箱と似ているそれをジェスラが取ろうとすると、ひょい、と後ろに隠してしまった。


「爺さん。カーブロレ、いい加減にしてくれよ。俺は運び屋であって、何でも屋じゃあないんだ」


「お前が何を言おうと、言う事きかん限りは渡さんぞ。ジジイの暇つぶしになれ」


 なんとも自己中というか、わがままの限りを尽くしているカーブロレに、ジェスラもかなりイライラしているらしく、声色にも先ほどより強いイラつきを感じさせる。


 まるで引く気は無いとでも言うように、ジェスラよりも低い視線から、ジェスラを睨みつけている。

 ジェスラも動かず、後ろにいる自分には見えないが、同じように睨みつけているのだろうか。


 しばらくし、ジェスラからはあ、というため息が聞こえてきたと思うと、少しだけ肩を落として、猫背気味になりながら額に手を当てた。


「わかったよ。今度は何をすればいいんだ」

「おお、お前はやはり、いい奴だのお。ジジイの暇つぶしに付き合ってくれるとは」


「……いいから、要件言ってくれ」


 ジェスラが応じてくれたのがそんなに嬉しいのか、満面の笑み、いや、満面のにやけ顔でジェスラの肩に手を置く。ジェスラは力無くその手を払いながら、諦めたような声でカーブロレに要件を尋ねた。













「若い娘の汗を吸ったハンカチがほしい」





「ええええェぇえええぇええ!!!!!??」

「バカヤロウ!! 前より難易度上がってんじゃねえか!!!」


 何を言っているんだこのアライグマは! 俺はあまりの衝撃に叫びをあげ、ジェスラが握った拳で、ダンッ! とカウンターを叩き付ける。

 カーブロレはふてぶてしいにやけ顔を少し歪めながら、片耳を塞ぐ。


「うるさいのお。そんなに叫ばんでも聞こえるわ。何しろ、耳はいいもんでなあ」


「そんなこと聞いちゃあいないんだよ爺さん! なんだってそういう願いばっかり言うんだ! だから腕がいい癖に客が来ねえんだよ!」


「客が来ないは余計だ! それになんだその子供、どっから入ってきた」



 今まで俺の存在に気が付いていなかったのか……。叫び声をあげた事で、やっと俺の存在に気が付いたらしい。

 カーブロレにこちらを睨めつけられていると、ジェスラがようやく振り返る。振り返ったジェスラは、少しばかり情けない顔になっていた。俺は引きつった顔をどうにか隠しつつ、カーブロレに最大限の笑顔を振りまきながら自己紹介をする。


「は、初めまして……ジェスラと運び屋をやっています。アユムと申します」

「ふうん。坊主が運び屋、ねえ。……おいアユムとやら」

「はい?」


 俺の名前を聞いた後、腕組みをし、偉そうにふんぞり返った。ように見えなくもないカーブロレは、ふん!と鼻を鳴らしながら俺を呼ぶとこう尋ねてきた。


「お前、女の色気とは何処にあると思う」

「え!?」

「爺さん、子供にそんなこと聞かないでくれ」


 突然何を聞くんだこの変態ジジイは。

 呆れたようなジェスラの静止に心の中で同意しながら、質問の意図を探る。


 見た目12歳ほどの俺に、そんな質問をする意味がわからない。いや、中身は19歳なので答えられると言えば答えられるのだが、女性の色気か……。このジジイが何を答えさせたいのか……。



 俺は……太ももに色気を感じるのだが、ジジイが言っている感じだと、女性の匂い?体液?というものに色気を見出しているらしい。ここはジジイの言うとおりと答えた方が無難だが、俺は太もも押しなのだ。太ももで行きたい。あとなんか体液ってすごく変態くさくて嫌だ。


 いやしかし待てよ。実際に小学生の頃はどうだったのだ俺は。よく思い出せ、俺が太ももに色気を見出すようになったのは高校生。


 同級生の気になっていた女の子の、ちょっと長めのスカートがひらりとめくれるたびに覗く太ももに、俺はやられた。ちょっと見てはいけないような。そんな背徳感に妙なときめきを感じてしまったのだ。


 その前は、その前の俺は……胸。そう胸に色気を感じていたのだ。はじめはそう、ちょっとエッチな子供向けの漫画だった。それから、同級生の女の子とかが気になり出して、成長期の胸のふくらみとかを気にしてしまうとかいう。健全な男子小学生生活を送っていたのだ。


 それから中学まで変わることはなく、初恋のあの子も胸がその歳にしては大きめで、結局実ることなく高校へ進学し、胸から太ももに乗り換えた……。実らなかったけれど。


 己の軽薄さに少し苦しみを感じながら、俺は思う。やっぱり太ももだと。


「おい、そんな真面目に考えることないんだぞ、アユム」

「太もも……」

「え?」

「太ももだよ爺さん」


 心配そうに俺に話しかけて来たジェスラは、やけにはっきりと太ももだと答える俺に、若干ショックを受けたような顔をする。ジェスラよ、許してくれ。見た目12でも中身は19、健全な男子なのだ。俺は、俺の好きなものに!誇りを持っている!(?)



 だが変態アライグマヘッドジジイは、俺の言葉をすぐさま鼻で笑った。


「乳臭いガキらしく胸とでも言うかと思ったが、お前くらいのガキにしては見込みがある。だがやはり、所詮はガキよなあ」

「なんだこのジジイは」


 ガキガキ言いやがって。自分で聞いておいてずいぶんと酷い言い草だ。わかってはいたがあまりにムカつき、心の声が出てしまった。


 だがカーブロレは別段俺が言ったことを気にすることも無く、熱い口調で語り出した。



「いいか、坊主よ。色気とはな、女の肉体だけではないのだ。女の内から滲み出るものとはなあ。そりゃあ匂い、ありゃあいいもんだぞお。正に女の全てがわかる」


 ぐふふ、という気持ちの悪い含み笑いをこちらに向けるアライグマに、顔を歪める。この爺さん本気で変態なんじゃないか……。


「ええ……匂い?うーん、確かにいい匂いする人とかいるけれど、それに色気って感じるかなあ」


「だからガキだと言うんじゃ。アユムとやら、女は体? ふん! 正にガキらしい発想だ。目に見えるものにしかエロスを感じられないなど、稚拙でしかない。いやあ、それにも劣るかもしれんなあ。子供というものは、母の匂いに惹かれるというからなあ。お前は子供の癖にそれ以下だ」


 引き気味で答えたものに帰ってきた返事に、とんでもなく変態なことを言われながら貶されているのがわかる。なんだって初対面のジジイにこれほど言われねばならんのだ。人には好みというものがあるだろうが。

 ひくひくと、ひたいに青筋でも作りそうな表情をしているとジェスラが割って入る。


「爺さんよ。子供に妙ちくりんな自論語らんでくれ。変な方に矯正されたら堪らない」


「お前はわしを変態だとでも言うのか」


「すでに、おかしな願いふっかけてる時点で変態じゃねえか……」


 ジェスラの呆れた顔と声に動じることもなく、腕を組みふんぞり返ったままのカーブロレは俺をちらりとみると、もう興味など無くしたかのように、ジェスラに向き変える。

 

「ふん、まあいいわ。やるのか、やらんのか」


「やるよ。やるやる。やりゃあいいんだろう」

「え! ジェスラ本気で言ってるの!?」

「ああ……そうだ。俺はやるぞ」


「か、考えなおした方が……」


 やる。

 ものの10分程度で疲れ果てたかのようなジェスラは、投げやりな返事で、カーブロレの願いを聞き入れるという。考えなおせという言葉も聞き入れない。一体どうするつもりなんだジェスラは。


 その答えに、ますます嬉しそうににやけ顔を晒すカーブロレは、その笑みを隠すように口元に手を当て、カウンター内をゴソゴソと漁り出した。

 普段なら可愛らしく感じたであろうしましまの尻尾が見え隠れするたび、ジェスラへの焦りとジジイへの腹立ちが膨れる。



「むふふ、いやあ楽しみにしとるぞお、運び屋よ。ほうれ、このハンカチをやろう」


 漁っていたのはどうやらハンカチのようで、未使用なのか、箱に入ったままの状態でジェスラに渡された。


 ……この爺さん、一体いつから用意していたのだろう。

 大分気味悪く感じながらも、地獄のようなアライグマ変態ジジイの願いを叶えるために、街を奔走することとなった。

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