40 舞台の上の観客
「でっか……」
ガンリと夜道を歩き、大通りから人気のない閑静な住宅街へとやってきた。ここら辺は高級住宅街って感じなのかなと、薄暗いが街灯などの下から家々を見てそう思った。
そうして着いたのは一際大きな家。門構えなども立派で、ガンリがインターホンを押し、名を告げると、門が自動で開く。
「ガンリんちでかいんだな……」
「まあ……一応この街では名家って事になってるからな……」
開いた門から家の庭へと入る。噴水まである。す、住む世界が違いすぎる。はあーと驚いているとアルマも見たいと思ったのかバッグの中でもぞもぞし出した。
「僕も見たいー!」
「ええ〜」
「出してやれよ。ここにそいつ盗むような奴は居ねえ。大丈夫だ」
「う、うん。そっか」
アルマをバッグから出すと、直ぐに鳥型へと展開し俺の肩に乗ってきた。
「うっわ。豪華さエグいね」
「他に言うことねえのかよ」
「いや、一般人からしたら充分エグいよ……」
「そういうもんかねえ」
ガンリは平然としているが、やはりこの家で育ってきただけあって感覚は一般人と微妙にズレていそうだ。
庭を進み、玄関の前へとやって来た。大きな扉だ。ガンリが扉を開こうとすると、その前に内側から扉が開いた。
「ガンリ様……!」
その人は虎のファーリィだった。燕尾服を着こなし、大きな体だがよく似合っていた。ジェスラよりも歳を重ねていそうだが、少し懐かしさを覚えた。
「ナタリオ、久しぶりだな」
「お久しぶりでございます。ご健勝のようで安心いたしました」
「ああ……、父さんは、起きてるか」
「主様は自室にいらっしゃいます。まだ起きていらっしゃるでしょう」
「そうか」
「ガンリ!」
「叔父さん」
エントランスの階段から一人のヒューマの人が降りて来た。確かあの人はニカノールと言う名のガンリの叔父だ。
「よく来てくれたね。ルビーからそのうち顔を出してくれると聞いていたが、よかった」
「ああ、ルビーには……まあ発破をかけられたので」
「そうかい……。おや、そちらの子は確か君の友人の」
「あ、アユムと申します」
「アユムくん。よく来てくれたね。歓迎しよう」
「ありがとうございます」
ニカノールさんはにこにこと顔を緩め、ガンリが来た事に喜んでいるようだった。
「兄さんに会いに来てくれたんだろう? 私もさっきまで兄さんと話をしていたんだが、行って来るといいよ」
「はい、そうします」
「ではガンリ様、お部屋まで共に参ります」
「いや、俺たちだけでいい。ナタリオ、お前はいい」
「しかし」
「大丈夫だ。それに、少々聞かれたくない話なんだ。人払いを頼む」
「かしこまりました」
ガンリはナタリオにそう言うと、俺に行くぞ、と言い歩き出す。ナタリオさんとニカノールさんに脱帽して礼をし、ガンリについてゆく。
広い屋敷だなあとキョロキョロとしていると、ガンリに落ち着きがねえなあと言われる。
「いや、こんな大きいお屋敷、人生で初めてだし」
「まあ、こんなとこ滅多に来ねえか。普通の人は」
「……ねえねえガンリ。僕思ったんだけど、さっきのナタリオって人、ジェスラと関係あるの?」
「お、察しがいいな。ナタリオはジェスラの父親だ」
「え?!」
確かになんだか懐かしさを覚えたが、そうか、ジェスラに似ていたからか。なんだかんだジェスラとは一か月会っていないから、懐かしいと感じたのだろうか。
「バートン家はアセンシオに代々仕えてんだよ。ナタリオは執事長だ」
「ひえ〜、漫画の世界みたい……」
執事長とかすごいな……。代々ということは、ジェスラももしかして執事修行とかしていたのだろうか。燕尾服姿のジェスラを想像し、なんだか可笑しくなった。
「ここだ」
「え?」
「父さんの部屋だよ」
ガンリが一つの部屋の前で足を止める。他の部屋の扉も立派だったが、この部屋の扉は他の扉よりも意匠が凝らしてあり重厚感があった。
ガンリがコンコンと扉をノックすると、入れ、と中から声が聞こえた。
ガンリが扉を開くと、広い部屋に一目で高級とわかる調度品などが置かれた部屋だった。決して嫌味ではなく、品良く置かれている。部屋に居たのは白髪頭のヒューマの男性だ。ベッドに入り本を読んでいたようだった。
「父さん」
「……ガンリ、なのか」
「ああ、久しぶり」
この人が、ガンリの父親……。顔立ちはガンリに似ており、エゼラにも似ていると感じた。
「ああ、こちらに来ておくれ」
「……ああ」
ガンリの父は、サイドテーブルに本を置き、ガンリに近くに来るよう促す。ガンリはベッド近くにあった椅子に座り、父親と対面する。
「本当に久しいな。元気だったか?」
「ああ、この通り病気も何もないさ」
「そうか、良かったよ。……ん?その子は?」
「ジェスラんとこの見習いだ」
「そうか……ジェスラの。初めまして少年。私の名はフィト・アセンシオ」
「アユム・トウゴウと申します」
「珍しい名だね。ジェスラとは良くやっているかい」
「はい。色々教えてもらっています。その、世間知らずなので」
「そうかいそうかい」
ガンリの父、フィトは人好きする笑顔で優しく言葉を返してくれる。この穏やかさはどこかエゼラを思い出させた。
「ルビーがお前の家に行って、会いに来てくれるよう頼んだと聞いていたが、よく来てくれた。何年ぶりだろうな。こう顔を合わせるのは」
「さあ……七年とかそこらくらいかな」
「もう、そんなに経ったんだな……ジェスラは、元気かい」
「……そのこと、なんだがよ」
「なんだい?」
ガンリは言いにくそうに俯きながら口籠もるが、意を決したのか、顔を上げた。
「ジェスラが、兄さんを殺した」
「…………そう、か」
フィトはガンリの言葉に、驚くでもなく、悲しそうに少し俯いた。
俺はそういえば、と思い、バッグの中からハンカチを取り出した。
「これ……」
「……これは、もしかして」
「エゼラ、さんの遺骨です」
フィトに遺骨を渡すと、フィトは顔を悲しみに歪め、小さな遺骨を抱きしめる。
「エゼラ……すまない……」
「……父さん」
「私は、ジェスラに全てを押し付けた……ジェスラの憎しみを知りながら、それを利用した」
「それは……俺も、同じだ」
二人は悲しげで、苦しそうに言葉を紡ぐ。利用したと言うのはどういうことなのだろう。
ジェスラたちの問題は断片的には知っている。全てを知っているわけではないから、彼らの苦しみを知る由はない。だからこそ、こう思った。
「ガンリ……教えて欲しいんだ。十年前の事件は、何が原因で起こったのか」
「…………」
「俺は部外者なのもわかってる。知る権利なんてないかもしれない。でもジェスラがどうしてああなってしまったのか知りたいんだ」
「それは……」
「俺、ジェスラが苦しんでいるのを見ているだけなんて、嫌なんだ。同情しているだけって思われるかもしれない。でも、ジェスラの苦しみを分け合えるなら、軽くしてあげられるならしてあげたい」
「…………」
「……ガンリ、話してあげなさい」
「父さん……」
「ジェスラのことを大切に思ってくれているんだね。……君のような子が、ジェスラと共に居てくれて、私は嬉しいよ」
穏やかな口調。穏やかな笑顔。だがその目には悲しみを宿しながらも、強くこちらを見据えていた。
「わかった……話すよ」
「ありがとう、ガンリ」
「少し……長くなるがいいか」
「うん、構わない」
ガンリは膝に肘をつけ、俯き手を組みながら話し出した。
ジェスラはな、俺の幼馴染だったんだよ。ナタリオの息子のあいつと、レトラ姉さんと三人でよく遊んでいた。俺と歳は離れていたけれど、本当の弟のように可愛がってくれてた。まあ、泣かされることもあったけどよ。毎日楽しかったよ。
兄さんはその頃から家に篭って勉強するのが好きだったから、ジェスラとは滅多に遊ばなかったな。けれど、二人とも仲は良かったんだ。
俺はジェスラをもう一人の兄貴として慕っていた。
ジェスラと姉さんが二十歳になった時、二人は結婚の約束をしていた。父さんとジェスラの両親は反対していたが、結局折れて二人の結婚は認められた。
俺と兄さんはまるで我がことのように喜んだよ。よく覚えてる。
結婚してから一年後、二人の間に子供が産まれた。シレンは二人の子らしく、ジェスラに似た明るい性格と姉さんに似た聡明さで、誰からも好かれるような子だったよ。
父さんは初孫だからって馬鹿みたいに猫可愛がりをしてた。俺や兄さんもそうだった。
でもいつからだったかおかしくなり始めたんだ。
父さんはいきなりシレンを跡継ぎにすると言い出した。うちはもう兄さんが継ぐことは決まってたから、何を言い出すんだって皆最初は冗談だろうって流してたんだ。
でも、いつまでもしつこく言うもんだから、父さんはもしかして本気でシレンを跡継ぎにするつもりなのかもしれないって思い始めた。
ジェスラや姉さんはずっと反対していたよ。姉さんは一度家を出た身だし、そんな権利はないって。兄さんのこともどうするのかって。
でも父さんは頑にシレンに家業を継がせるって言って聞かないんだ。
今思えば、父さんも寂しかったんだと思う。俺を産んでから肥立ちが悪くて、すぐ亡くなってしまった母さんの写真を時折一人で眺めていたから。
母さんに似ていた姉さんを一番に可愛がっていた父さんだ。きっと姉さんが家を出た時も、寂しかったんだろうな。
だから初孫で姉さんに似たシレンに、母にあげる事の出来なかったこの街の未来と、手元から離れていった姉さんの代わりにしようとしたんだろうな。
頑に拒む姉さんに、今度は父さんは周りを味方につけてきた。色んな手を使ってシレンを跡継ぎにしようとしたんだ。
そんなことしたら兄さんの立場は一体どうなるんだと。優しい兄さんは困ったように笑うだけで、何もしなかった。
結局周りの圧力で首が回らなくなって、どうしようもなくて疲れてしまった姉さんはついに折れてしまった。
ジェスラはそれでも反対していたけれど、ジェスラの意見を聞き入れてくれるような人はもう誰も居なかった。
そして、シレンが正式に家業を継ぐことになって、実家に姉さん達が戻ってきた。
まあすぐに家業を継ぐわけじゃないからって、俺は訳の分からない安心感を抱いていた。
でもそれからだ。兄さんが少しずつおかしくなっていったのは。今思えば気がつくことが出来たことばかりなんだ。なのに俺は、見て見ぬ振りをしてやり過ごそうとしていた。
そうして十年前のあの夜のことが起こった。兄さんはジェスラと、俺と父さんの前で、姉さんとシレンを殺した。今でも覚えてる。血溜まりに沈む姉さんと、頭だけ持ち去られたシレンのことを。
ジェスラがすぐに兄さんの後を追ったけれど、全く追いつけなかった。ファーリィの血が濃いジェスラが、ヒューマの兄さんに追いつけないなんてあり得なかったのに。
それからは今の通りだ。俺は家を出てああして街の片隅に小さな整備屋を構えて、あいつはいつの間にか運び屋になった。
あいつは兄さんを探し続けていた。ずっとずっと兄さんを憎んでいた。兄さんは抗うことだって出来たのにそれをしなかった。
でも、兄さんが悪いのか、俺にはわからないんだ。父さんが本当に悪いのか、わからないんだ。誰も悪くなかったんじゃないかって思ってしまうんだ。
俺が大金払ってジェスラに運びを頼むのは、罪滅ぼしだ。興味も無いものを頼んで、あちこち回らせて、兄さんの足取りを調べられるように。
兄さんを一番に止められたのも、父さんをどうにか出来たのも、俺だった。なんの役割を持っていなかったからこそ、自由に動けた筈なのに。俺は関係ないと客席にいる気分になっていたんだ。
自分も舞台に上がっているのに、ただ座り込んで観客を演じていたんだ。俺はなんて滑稽だったんだろうな。
「なあ、アユム……。どうかジェスラを悪く思わないでくれ。人を殺そうとすることは、きっと、いや、絶対悪いことだ。……けれどあいつだけを悪く思わないでくれ。俺もあいつに加担していた共犯者なんだ。己の手を汚さずに、あいつに全てを押し付けた。何が……何が罪滅ぼしだ……。俺が一番のクズなんだ……。どうか……ジェスラを責めないでやってくれ……本当の人殺しは、俺なんだ……」
「ガンリ……」
ガンリは両手で顔を覆い、泣いていた。嗚咽が聞こえ、俺にはどうすることも出来ない。フィトも涙を流し、苦しそうにしていた。
「ガンリ……ガンリ、すまない……私が、全て悪いんだ……!」
「父さんは、悪くない……俺が……なんでも出来た筈の俺が……」
「すまない……すまない……!」
「…………」
胸が締め付けられる。俺に泣く権利なんて無い。けれど目の奥が熱くなってくる。思わず俯くが、涙を流すわけにはいかないと堪える。
「シレンも……君くらいの歳だった……明るくて、優しい……もしかしたらジェスラは、君にシレンを重ねていたのかもしれない……」
「そう、なんですか」
「ジェスラを苦しみから救ってやるべきなのは私たちなのに……私たちは、何もしてやれなかった……」
「…………」
思わず、堪えきれなかった涙が溢れた。ジェスラといるのは、とても楽しかった。例えジェスラが俺にシレンを重ねていたとしても、それでも俺は救いになれていたのだろうか。
涙を流す二人に、誰も悪くなかったのだと言ってやりたかった。けれど俺が言うのにはあまりにも軽率で、口を開くことは出来ない。
その後、ガンリは今日はアセンシオ邸に泊まるらしく、俺は一人帰ることになった。一緒に泊まっていけばいいとガンリに言われたが、今は一人になりたかった。
帰り道を一人歩く。バッグに仕舞ったアルマから、言葉が飛んできた。
「ガンリ達、大丈夫かな」
「どうだろう……俺じゃ、ジェスラや皆の救いにはなれないよな。シレンとは、違いすぎるだろうから」
「……でも、今までのジェスラ達の笑顔はきっと偽物なんかじゃ無いよ」
「そうなのかな……」
「シレンと同じものは与えられないかもしれない。代わりにもなれない。けれど、君がジェスラ達から与えられた親愛は偽物なんかじゃない。僕はそう思う」
「…………」
「アユム。君は君のままでも皆に充分幸せを与えられているって、僕はそう思うよ」
「……ありがとう」
アルマの言葉に、少しだけ心が軽くなった感じがした。そうだ。俺には俺にしか出来ないことだってあるんだ。同じじゃなくったって、新しい愛を与えられることだってあるんだ。ジェスラに言葉が届くかはわからない。でも俺がやれることをやろう。
そう思いながら家のある路地裏に入り、家へと向かう。すると、薄暗い中、人影が見えた。
家の玄関の前に、誰かいる。体格的にはジェスラではないとわかるが、一体誰だろう。恐る恐る近づいて確認しようと歩みを進めると、そこに居たのは思いもしない人物だった。
「セレーブロ……」
「…………遅かったわね」
扉の前にもたれて腕を組んで立っていたのはセレーブロだった。一体どうしたのだろうと少し恐ろしくなりつつも何が用かと問いかけた。
「こんな時間にどうしたの。な、なんか用?」
「…………」
セレーブロは言葉を発することもなくこちらを見つめている。その目に憎悪なども見えず、どうしたのだろうと不思議に思った。
「知りたいと思わない?」
「え?」
「自分が本当は何者なのか」