39 甘い誘いは毒の元
「ジェスラー、ここ、ご飯置いとくね。ちょっとでもいいから食べてな」
ジェスラと会わずの生活が始まり一か月が経とうとしていた。ジェスラの自室の扉の横にお盆に乗った食事を置いておく。返事は無く、寝ている可能性もあるのかとあまり気にしない事にした。
俺の食事には殆ど手を付けないので最初は不安だったが、ジェスラは昼間は自室に引きこもり、夜は飲みに出かけているようだった。どこか店で食事は取っているだろうから、流石に餓死というのは無いだろう。
いつもなら、もう二週間ほどの休憩期間も終え仕事でどこか荒野を走り回っている頃だろう。ジェスラはギルドに行くことも無く、直接訪ねてくる人もいたが、そういう人たちには俺から今は無理だと断っている。
リビングに向かい、ソファへと身を預ける。机の上で羽繕いをしていたアルマはどうだったかとたずねて来た。
「いつもとかわんない。返事はないし、物音も無いし、寝てるんじゃないかな」
「ま、今日も朝まで飲んで帰ってきたみたいだし、寝てるだろうね」
「そうかあ」
家事などは大体午前中に終わらせ今は手が空いている。暇だな〜なんて思っているとチャイムの音がした。
「またお客さんかな」
玄関へ向かい扉を開けると、そこに立っていたのはルフィノだった。
「ルフィノ!」
「よっ!久々だな。元気だったかよ」
「うん、俺は元気。あ、上がってよ」
「おう、お邪魔しまーす」
そうだ。そういやルフィノと今日約束していたんだった。ルフィノをリビングへと案内し、俺は茶菓子でもとキッチンに向かった。
「よーアルマ。元気だったか〜?」
「AIに元気って聞くの不毛じゃない?」
「は〜、お前、可愛げってもんがねえよなあ」
「余計なお世話だよ」
二人は言い争いを始める。勿論おふざけの様なものだが、二人の会話を聴きながら、時折笑いながら、紅茶と茶菓子を持ってリビングへと戻る。
「ルフィノ、お待たせー」
「おう、悪いな。ありがとう」
「いえいえ」
「今日はジェスラさん居ないのか?」
ルフィノの問いに、どう言ったものかと少し思い悩む。
「ジェスラ、ちょっと最近体調良く無くてさ」
「自室で引きこもってるよ」
「大丈夫なのか? 医者とかは」
「あー、精神的なものだから、体のどこかが悪いとかじゃ無いんだ」
「精神的?」
ルフィノは不思議そうに、なんかあったのか? と聞いてきた。
「あー、うーん」
「言いにくい事なのか?」
「あ、うん。……その、昔の事件に関係する事」
「それって、アセンシオの?」
「……うん」
正直どこまで言っていいものか。詳細まで言うわけにはいかないので、ぼかしぼかし話すことにした。
「ジェスラ、犯人の人に会ったんだけどさ、それからちょっとね」
「え! 犯人に?! それって、エゼラ・アセンシオか?」
「知ってるの?」
「俺もちょっと調べてたんだよ。気になったからさ」
「そうなんだ」
まあ確かに、ルフィノは俺に遠慮して情報屋でも身を引いてくれたが、やはり気にはなったのだろう。調べると言っても、過去の新聞やらを図書館かどこかで読んだ程度だと思うが。
「エゼラとどうなったんだよ」
「それは……」
これ以上は言えないだろう。モゴモゴと口籠って居ると、ルフィノは気を遣ってかこう言った。
「言いにくいんなら言わなくてもいい。俺に個人の問題に立ち入る資格あるかって言うと、無いしな」
「ルフィノ……」
「ただの野次馬なんだよ」
「ルフィノ……俺、ルフィノの事は信頼してる。いつか……話せるときは来ると思う。だから、それまではごめん」
「いいんだよ。俺は待つよ。だって、友達だろ?」
「……うん。ありがとう、ルフィノ」
「あーあ、青春だねえ」
「茶化すなよ。恥ずかしくなってくんだろ」
ルフィノはアルマを指先で小突き、はー、と顔を手で覆いため息をついた。
「あ、そうだ。新作のゲーム持ってきたんだけどさ、一緒にやろうぜ」
「ホント? やろやろ!」
ルフィノはバッグから携帯型のゲーム機を出し、二人でやる事にした。
ジェスラは心配だが、たまの息抜きくらいはいいだろう。コントローラーを渡され、二人で格ゲーをやる事にした。
アルマはいいなー、なんて言いながら俺の肩に止まり、俺たちのプレイを見ていた。
「んじゃ、そのうち電話するからよ。また遊ぼうぜ」
「うん。ありがとうルフィノ」
「じゃーなー」
あっという間に時間も過ぎ、もう今は夕方だ。夕食でもどうかと誘ったが、今日はねーちゃんの誕生日だからすまん! とルフィノは断った。
まあルフィノのお姉さん達は正直、強かと言うか、約束なりなんなりを忘れたら怖い一面もありそうだな、なんて妄想をしながらルフィノと別れた。
「楽しかったね」
「うん。お前見てるだけで暇じゃなかったか?」
「僕ゲームしたことないから見てて楽しかったよ」
「そっか。それならよかった」
玄関から戻る途中、ジェスラの部屋の前へと行った。食事は手付かずで、少し悲しくなった。今日の夕飯はこれだな、と思いながらお盆を持ちリビングへと向かう。
リビングに付き、お盆を机に置くと同時に、家の電話が鳴った。
急いで受話器を取ると、聴きなれた声がした。
「もしもし」
『おう、アユムか?』
「あ、ガンリ」
電話の主はガンリだった。何かジェスラへの言付けだろうかと、どうしたのかと聞いてみた。
「なんかジェスラに用?」
『いや、お前を夕飯にでも誘おうかと思ってよ』
「俺?」
『俺んちでなんか食おうぜ。俺が腕によりをかけて作ってやるよ』
「夕飯かー。うーん」
ちらりと机の上にあるご飯を見る。まあ別に明日でも食べれるが、どうしようかな。
『もう夕飯の準備しちまったか?』
「あー、いや、いいよ。ガンリんち行くね」
『お、そりゃよかった。じゃあ待ってるからよ』
「うん、じゃあまた」
受話器を置くと、アルマがなんだって? と聞いてきた。
「ガンリが夕飯どうかってさ」
「行くの?」
「うん」
「ジェスラは誘われなかったの?」
「あー、うん、俺だけみたい。と言うかジェスラ誘っても来ないだろうし」
「ま、あの調子じゃねえ」
ガンリはジェスラの不調を知っているが、理由までは知らない筈だ。ジェスラの携帯に電話しても全く出ないとガンリが一度訪ねて来た事はあったのだが、それでもジェスラは部屋から出て来なかったので、それをわかった上で俺だけ誘ったのだろう。
部屋からバッグと帽子を取って来て、アルマをバッグに入れる。その後ジェスラの部屋の前でガンリの家に行くと言い残し、家を後にした。
「お、来たな」
「お邪魔します」
ガンリの家に付き、居住区の方の玄関から入る。表の店の方にはまだ白ツナギを着た整備員の人がちらほら居たが、仕事はもう終えたのだろうか。
「仕事ってもう終わったの?」
「ん? ああ、俺はな。表、まだ残ってる奴居たか? 帰れって言ったのにキリいいとこまでって残業する奴居るんだよな。ま、残業代キッチリ出すけどよ」
「へー」
「仕事熱心なのはいいことだが、プライベートも大切だぜ? まあお前はジェスラと一緒に仕事だから、休み期間以外のプライベートなんてねえようなもんだろうがよ」
「うーん、別にジェスラと一緒でも楽しいし、苦痛に思った事ないな」
「へー、ま、あいつ基本穏やかだしな。怒られて気まずくなった事ねえだろ? いい関係築けてよかったな」
「うん」
怒られたことは何度かはあったが、それは俺が危ない事をしたり、無理をしたりした時だけだった。怒った事を引きずって不機嫌になるなんて事は無かったため、やはりジェスラの穏やかさに助けられているのだろう。いいパートナーに恵まれたと思う。
だからこそ、以前パサドから帰ってきた夜のことはショックだった。
「ご飯出来てるの? 手伝う事あるかな」
「ん、後ちょい。大丈夫大丈夫、ソファに座って待っててくれよ」
「うん、わかった」
リビングに向かいソファに座りバッグにしまっていたアルマを出してやる。卵型から鳥の姿へと展開していき、俺の肩へとやってきた。
「ガンリって料理出来たんだね。意外」
「んー、確かに意外かもな。なんか外食で済ませてそうなイメージあったし」
「ま、美味しい料理が出てくる事を祈るよ」
アルマはガンリのとこ行ってくる。とリビングからキッチンの方へと飛んでいった。
ガンリとアルマの話し声が聞こえてきて、ああ、またなんかアルマが吹っかけたのかな。と少し笑った。
しばらくしてガンリが料理が盛られた皿を持ち、リビングにやってくる。
「おーい、出来たぞー」
「ありがとう。お、うまそうじゃん」
皿に盛られた料理を見て少し驚く。味をみなければわからないが、見た目はとても美味しそうだった。何品かあるようで、俺も配膳を手伝い、席につく。
「うわー、やっぱうまそう」
「これでも一人暮らし歴長えからな。まあこんくらいは作れるようになるぜ」
ガンリは笑いながらそう言った。ジェスラも一人暮らしは長そうだが、美味しいかと言ったら普通だった。俺も食事の用意の手伝いなどしているうちに、料理の腕は上がったと思うがここまでではない。
「じゃあ、いただくね」
「おう、食べてくれよ」
ガンリの料理を一口、口に運ぶ。スープだが、口の中でじゅわっと旨味が溢れて思わず顔が緩む。
「うまい!」
「ははは、あんがとよ」
「これなんて料理?」
「ソパ・デ・アホってスープだよ」
「へー、あ、そういやベルパドの店にもあったよね」
「ああ、あいつの真似して作ったんだよ。よく出来てるほうだろ?」
「うん! 美味しいよ。こっちは何?」
「ボケロネス・エン・ビナグレ。イワシの酢漬けだよ」
「へー、うまいなー。これで白米あったら最高なのになー」
「米?あるにはあるが」
「俺の故郷のお米とこっちのお米、品種が違うんだ。俺の故郷のはふっくらもちもちしてる」
「へー、てかお前記憶戻ってんのか?」
「あ……いや、断片的にね。まだ完全じゃない」
「そうか……思い出せるといいな」
「う、うん」
そういや俺記憶喪失設定なんだよな。今まで周りから問い詰められた事も無かったから、気が抜けてた。気をつけよう……。
その後はガンリとこれはなんて料理? なんて談笑しながら食事を完食した。美味しかったな〜。ガンリと皿洗いを終え、二人でリビングで食後のお茶を飲みながらゆったりとしていた。
「ジェスラにも食べて欲しかったな」
「…………ねえ、ガンリ」
「ん? なんだよアルマ」
「今日アユムを呼んだのって、ジェスラの事聞きたかったからじゃないの?」
「え? そうなのガンリ?」
「…………」
ガンリは無言のまま、目を閉じて何かを考えているようだった。おそらく、アルマの言った通りなのだろう。
「…………アユム、お前、ジェスラがああなった原因、知ってんだろ」
「そ、それは……」
「なあ、教えてくれ。ジェスラがああなったのは、これで二回目だ」
「二回目?」
「一回目は……、あいつの妻と息子が殺された時だ」
「!」
「頼む、教えてくれ。お前達がパサドに行った時に、何かあったんだろ?」
なんと、言うべきだろう。ジェスラがガンリの兄を殺したなんて、俺が言える立場にはない。どうしようと口籠っていると、アルマが口を開いた。
「エゼラを殺したんだ」
「っ、アルマ!」
「兄さん、を……」
「アルマ! お前、なんで!」
この事を、誰にも言うわけにはいかないと思っていた。ジェスラ自身が言うべき事だと。
「ジェスラ、この事をガンリ達に言うとは思えない。きっと、死ぬ時まで抱え込むつもりだよ。堕ちていって、一人で死ぬつもりだと思う」
「で、でも」
「ガンリ、ジェスラはね。エゼラとシレンを殺したんだ。培養液に漬けられた脳だけで今まで生かされてきた、人間とはもう言えない息子を」
「シレン……? 脳だけ生かされたって、どう言う事だよ。シレンは死んだんじゃ……生きていたとしても、あいつがシレンを殺すなんて……そんなのある訳がっ」
「シレンに頼まれたんだ。自分はもう人とは言えないって、僕らは、何も出来ずにみていることしか、出来なかった」
「…………なんだよ、それ」
「ガンリ……」
「なんだよそれ」
ガンリは顔を手で覆い、俯く。なんだよそれ、とぶつぶつと言いながら。俺はどうすれば分からず、みていることしか出来ない。アルマは言葉を続ける。
「きっと、エゼラだけなら、こんな事にはならなかっただろうね。でも、シレンは生きていた、殺される事を望みながら、人としての尊厳を奪われたまま脳みそだけで十年も。自分で命を断つことも出来ず」
「…………」
「自分の息子を殺すなんて、おかしくなって当然なんだよ。愛していれば愛しているだけ、苦痛も強いだろう」
「…………」
「ジェスラは今、闇の中にいる。救えるのは、僕らじゃない。ガンリ、君なんじゃないの」
「俺は……俺には、何も出来ねえよ。何かを成すことなんて、今までだって」
「今までが駄目だったなら、これからどうにかすればいい」
「それは……」
「ガンリ、君だけが頼りなんだよ」
その言葉に、ガンリは顔を上げた。悲痛に満ちた顔で。
「……なあ、アユム。これからちょっと、着いて来てくれねえか」
「え……」
「俺の実家。アセンシオ家に」
「ガンリの実家?」
「正直、今、頭の中がぐちゃぐちゃだ。ジェスラには、まだ会いたくない。考えを整理したい。あと……父さんに、報告に行きたい」
「!」
「お前みたいな子供に、付き添いなんて頼んで情けねえがよ。……一人で行って、話せる自信が無いんだよ。……頼む」
「……わかった」
ガンリはまだ全てを受け入れきれていないのだろう。報告に行くのだって苦痛だろうと思う。でも、ガンリには何か、決意のようなものも感じられた。病床に伏せていると言う父親に報告するのは残酷かもしれない。だが、言わねばならないと思ったのだろう。エゼラ自身も、それを望んでいた。エゼラを狂わせた原因は、アセンシオ家なのだろうから。
それから俺たちは家を出て、アセンシオ家へと向かう事にした。