37 あなたの涙は最果てに
廊下で壁を背に体育座りをしながら、ふたりの話に耳を傾ける。かちゃかちゃと音がするのは、飲み物でも用意しているのだろう。
「……十年ぶりだね。君とこうして話すのも」
「……そうだな」
「ガンリは元気かい?」
「ああ、元気だよ。今は大型車の整備屋やってる」
「そうか……アセンシオは、継がなかったんだね」
「ああ」
「父さんは、元気?」
「……もう随分交流は無いが、今は病床に伏せているらしい」
「そうかい……歳も勿論だけれど、僕のことがあったからなんだろうね」
「……」
「ジェスラ、帰ったらさ。僕のこと、殺したってちゃんと言ってね。きっと父さんも、それを望んでいるだろうからさ」
「……ああ」
ヤカンに火をかけたのか、カチチとコンロの火をつける音がした。二人の声は穏やかで、これからエゼラを殺す事になるなどとは、つゆほどにも思えなかった。
「今まで、なにしてたんだ」
「色々旅をしていたよ。短くて一月、長くて数年ひとつどころに居座ってはいたけれどね。ここに住み始めたのはここ一年くらいかな」
「通りで捕まらないわけだ」
「ははは、僕みたいな中年、どこにでもいそうで見つけにくいだろうからね」
「そうだな」
ジェスラは声に笑いを含ませ、ふたりは普通に談笑している。
「どうして……手紙を出したんだ」
「書いてあっただろう? もう終わりにしようってさ」
「…………」
「背負うのが、つらくなったんだ。僕の身勝手で殺したのに……自分勝手だろ?」
「ああ」
「元々、もう僕は長くないんだ。病気が見つかってね。死ぬなら……君に殺されたいと思った」
「病気……」
「うん。癌だって医者は言っていたよ」
「…………」
お湯が湧いたのかぴー、と音が鳴った。カチリと音が鳴り、コンロを切ったとわかる。こぽこぽとお湯を注ぐ音。
「どうして……、レトラとシレンを殺したんだ」
「なぜ、なぜだろうね。僕は人並みに家族を愛していたよ。レトラやシレン、ガンリや父さん。もちろん君も」
「……後継者問題か」
「そう、なんだろうね。僕の唯一の居場所が、積み上げてきたものが、父さんのたった一言で崩れていった。僕は、世間をあまり知らなかった。勉強ばかりしていたからね。ただアセンシオにふさわしい人間になりたくて、努力していたから」
「止められなかった俺にも非はある」
「君が一番僕のために動いてくれていたのは知っている。……だからこそ、思ってしまった。僕は知らなかったよ。自分があんなにも歪んでいたなんて」
「歪んでいた……?」
かちゃかちゃと食器の音に、お湯を注ぐ音。紅茶を注いでいるのだろう。ふわりと匂いがこちらまでやってくる。
「僕は、君たちを憎いと思ってしまった。そうしてこう思った。君たちの絶望した顔が見たいと」
「…………」
「レトラを殺したら、君はどんな顔をするんだろう。シレンを奪ったら、皆どんな顔をするんだろうって」
「だから、ヴァルレクサに手を出したのか?」
「最初は全てに逃げだしたくて手を出していたけれど、そうだね。君たちのために投薬していたのもあるよ」
「ヴァルレクサの出どころはカルファスだな?」
「ああ、その通り。僕は数年前まではカルファスを拠点にしていたんだ。研究の手伝いもしていた。そうだ! ジェスラ、見せたいものがあるんだ!」
「見せたいもの?」
「おいで、シレン」
「シレン……?」
『……』
シレン、ジェスラの息子の名前。一体なにが? とリビングを覗き見る。そこにいたのは、シンプルな機械の塊。街を警邏していたAIに似ていると感じた。
「これ、なんだと思う? なんと、この中にはシレンの脳が入っているのさ! どうだい? すごいと思わないかい?」
「は」
『……お父さん……』
体から血の気が失せていくのを感じた。ジェスラを父と呼ぶその機械の塊は、ジェスラの近くへと近づいていく。ジェスラの息子は、殺された際、頭だけ持ち去られていたと聞いている。まさか……。
「冗談もいい加減に……!」
ジェスラは座っていたソファから立ち上がり、怒りに震えているようだった。
「ふざけてなんていないさ。なあ、ヴァルレクサの本当の利用法を知っているかい? ヴァルレクサは本来、植物状態の脳なんかを活性化させて治療に使う為にあるのさ。死んでいない脳だったなら、培養液に漬けるだけでも効果がある。ま、死んでる脳もどうにか利用出来ないかって研究している奴もいるみたいだけれど」
「な」
「適切な量なら問題ないが、量を超えて投薬すれば、一時の快楽と強靭な身体能力を得ることができる。昔の僕みたいにね。まあ、まだ政府では実験段階だから、知っているものは少ないんだけど」
「なにを、言って」
「街を警邏のために浮いているAIがあるだろう? あの中にも人間の脳が入っている個体があるんだ。脳だけでも生きていけるなんて、いい利用法だね。まあ大体規制がかけられてて、人間だったとわからないようにしてあるから、知っている人間は研究所の連中くらいかな」
「……っお前!」
「ああ、綺麗だ。その顔だ、憎しみに染まるその顔が僕は見たかった。シレンを生かしておいて正解だったよ」
「ふざけるな……! 殺してやる!」
ジェスラがエゼラへと銃を向ける。止めなければ、止めなければと思いながら、体は動かない。体が震えるばかりだ。
「おや、いいのかい? 銃なんかで。君の憎しみは僕の想像以上だろう。もっと惨たらしく死んで欲しいと思わないのかい?」
「お前にそうするまでの価値はない。路傍の石のように誰にも知られず、誰にも悲しまれない。そんな死に方の方がお似合いだろう?」
「ははは、それも、そうかもね。いいさ、殺してくれ。ああ、君に殺されるのをどれほど心待ちにしていたか」
エゼラの表情は恍惚とし、恐怖など感じられなかった。止めなければ、止めなければ、ジェスラが、人殺しになってしまう。
「ふふ……愛しているよ、ジェスラ」
「ああ、俺もさ。反吐がでるくらいにな」
バン、と銃声が響いた。ドタンと大きな音を立て倒れたエゼラは、もう動くことはなかった。
……止められ、なかった。
「あ、あ……」
声にならない掠れた音しか出ない。ジェスラには気づかれていない。覗き込むのをやめ、廊下の壁に背を預け、頭を抱えた。
『……お父さん』
電子音の声が聞こえる。
「……本当に、シレンなのか?」
『うん』
「俺の好物は?」
『お母さんのビーフシチュー』
「はは、本当にシレンだ……随分、遅くなっちまったな」
『そうだね、遅すぎるくらい』
「ごめん、ごめんな、シレン。お前を守ってやれなかった」
『いいんだ。お父さんが悪くないって、知ってるから』
「ごめんな……」
ジェスラは、泣いているようだった。
『ねえ、お願いがあるんだ』
「……なんだ?」
『僕を……殺して欲しい』
「…………」
『僕、もう疲れちゃったよ。おじさんは優しかったけれど、僕はもう、人とは言えない……』
「…………わかった」
『…………ありがとう。……お父さん。愛してるよ』
「俺もさ、シレン。愛してる」
バン。バン。バン。
…………銃声が響いた。次いで、機械が壊れるエラー音。
……涙が止まらなかった。体育座りした膝に顔を埋める。俺の考えは甘かった。復讐を止めようなんて、到底無理だったんだ。止められると思っていた。ジェスラが血に塗れる必要なんてないのに、話せばきっとわかってくれるって、そう思っていた。説得以前の問題だ。思い上がりにも程がある。
けれど、頭だけ持ち去られた自分の息子が実験道具にされ、その愛している息子すら手にかけなければいけないだなんて、そんなの、あまりにもむごすぎる。
復讐を果たしても報われることはないだなんて、自分の息子を殺したことを一生背負っていかなければならないだなんて。ジェスラが、どうしてジェスラがこんな目に合わなければならないのか。
「ふっ……く……」
どうしてジェスラが。どうして。
「……なあ、アユム……いるんだろ?」
「!」
名前を呼ばれ、体がビクッと反応する。バレていた、のか。
「はは……お前は本当に、俺の言うこと聞いちゃくれないな……なあ、どう思った? 復讐にかられた男が……最後に自分の息子に手をかけた……。俺は、なんのために生きてきたんだろうな……」
「妻と息子のために、今まで生きてきたはずだった。でも、それは、全部俺の独りよがりだった……」
「シレンを手にかけたことは、幸福だったのかな……」
「恐ろしいと思うか? 俺がした事が……」
「レトラ……シレン……すまない……」
「ジェス、ラ……」
「うっ……あああっ……ああああ……!」
何も、言えなかった。
ジェスラの慟哭がその場に響く。俺は泣くことしか出来ず、ごめん、ごめんと、うわ言のように呟いた。