32 決意
「ヒョエ」
予想以上に大きな体で尻込みする。いや、デカすぎません? ルシア向けに作られた扉を潜って中に入れるくらいの大きさではあるが、やはり自分が知っている狼の大きさよりも大きいとどうにも恐怖感が湧いてくる。
以前クナの森で遭遇したカミエントと比較すれば、グロテスクさなどは無く、本当にただ狼を大きくしたような感じではあるのだが、小さな子供なら丸呑み出来そうな巨体だ。
なんとなく、もののけなプリンセスの山犬ってこんな感じなのかな、なんて間抜けな事を考えた。
「誰だお前ワ」
「は、はひい。アユムと申します」
名を名乗ると、カミエントにふすふすと匂いを嗅がれる。なんだか以前の商隊のキャンプ地でもこんな事があったな。
「お前、嫌な臭いがするナ」
「え! く、臭いですかね」
服の匂いを嗅いでみるが、自分では臭いかどうかわからない。シャワーを浴びれるときは毎日欠かさず浴びているし、服だってそんなに着っぱなしと言うこともない。少々不安になり、後でジェスラに聞いてみようと思っていると、台所の方からルシアがやって来た。
「シャルス、久しぶりだな。変わりないか」
「ああ、変わりなイ。こいつはなんダ」
「客人だ。珍しいだろう? 人身御供の娘の妹と友人が訪ねて来たんだ」
「生贄の娘はいるカ」
「ああ、今ちょっと手が離せないんだ。もう少し待ってくれ」
「わかっタ」
狼のカミエント、シャルスは家の中へと入り込み、部屋の一角で寝転んだ。狭い家ではないが、やはりここまで大きいと圧迫感がすごい。
扉を閉めロラの寝ている椅子に近づく。疲れていたのか、眠りは深いようだ。
シャルスは目を閉じ、時折台所から聞こえる物音に耳をピクピクと反応させている。いい匂いが漂って来て腹が減ってくる。そういえば昼食を食べていない。
この村には飲食専門店は無いようで、宿屋の食堂がその役割を果たしていたのだろう。ジェスラは夕食どきまで寝ているかもしれないから、まだ俺が居ないことに気が付いていないかもしれない。
「夕食が出来たぞ。君、ああ、名前を聞いていなかったな」
「アユムです」
「アユム、夕食を運ぶのを手伝ってくれ」
「はい、わかりました」
ルシアに言われ台所へ向かい、出来上がったばかりの料理をリビングへ運んで行く。どれもこれもが美味しそうで、お腹がなりそうなのを堪える。
ルシアはどこからか、大きな肉塊、というか動物の脚を持ってきた。それはなんだと聞くと、狩罠で捕らえた鹿の脚だという事だ。夕飯にも使われているようでジビエ料理か~と少し気分が上がる。
ルシアは脚をシャルスの前に持っていき、食べてくれとシャルスに与える。シャルスはすぐには手を付けず、こちらの準備が整うのを待っているようだった。
食卓に料理が並びきると、ピアがシャルスの前へ向かう。
「わたくし、ピアと申します。この度、この森へ嫁入りに来たものです」
「……そうカ……」
ピアは恐る恐るといったようにシャルスに近づき、シャルスの前で礼をする。シャルスはピアの事をまじまじと見つめたが、少しすると興味が無さそうに床に伏せる。
ピアが若干ホッとしたように食卓へ着くと、夕食を食べようということになり、ロラを起こすことにした。
「ロラ、ロラ起きなよ」
「うーん? なあにアルマちゃん」
「ご飯だよ」
「え? あ、ほんとだ~……いい匂いねえ」
「!」
のんびりとした口調でまだ眠いのだろう。ぼやっとしているが起きようと努力はしているようで、大きなあくびの後、伸びをして姿勢を正す。
「うーん。まだ眠いや~」
「ご飯食べたら寝ましょうね」
「お姉ちゃんのご飯美味しくて大好きなんだ~。……ん? あれ?」
ある一点を見つめ、ロラの動きが止まる。おそらくカミエント、シャルスに気が付いたのだろう。
怖がって泣きださないか気が気でなかったが、どうやら心配は無かったようだ。
「おっきいわんちゃんだ!」
目をキラキラとさせながら椅子から降り、シャルスの方へ駆け寄って行く。シャルスはロラを見つめ、固まったまま動かない。
「おっきいねえ。お名前はなんですか?」
「……シャルスだ。幼子、名はなんといウ」
「私はロラだよ!」
「ロラ……いい名だナ」
「えへへ、ありがとう!」
シャルスは先程のピアに対する態度と打って変わって、友好的に見える。ロラに気が付いた時、少し驚いたような雰囲気をしていた様な気がするが、気のせいだったのだろうか。
「ロラ、席に座りなさい。ご飯を食べてから、シャルス様とお話ししましょうね」
「うん! わかった!」
ロラは完全に目が覚めた様で元気に返事をする。席に着き皆で夕食を食べ始める。
「ピアさん、料理とても美味しいですね」
「あら、ありがとう。母の代わりに毎日料理をしていたから……」
「お母さん、体弱いんだ……。でもとっても優しくてロラ大好きなの」
「そうなんだ。お父さんはどんな人?」
「いっつもムッとしてる。眉毛の間にシワ寄せて怒るの。こんな風に! 優しいけど、ちょっと怖い時もある。でも大好きだよ!」
「そっか~」
「……」
ロラのころころと変わる表情を見ているのがとても面白い。本当に可愛らしい子だ。正直撫でくりまわしたいと思うほど和む。
いや! ホント可愛いな! 別にロリコンとかそういうのではなく、散歩中のにこにこしている柴犬を見ると撫で回したくなってしまう様な感じだ。ロリコンではない。断じて。
盛り上がる会話の端の意識でシャルスを確認すると、もう食べ終わったのか、骨だけになった元肉塊が置いてあった。視線はロラへと注がれているのがわかるが、何か気になる事でもあっただろうか。
夕食を食べ終わり、片付けを手伝う。ロラはアルマとシャルスと話に興じているらしく、リビングから時折笑い声が聞こえてくる。
「ロラ、楽しそうで良かったですね」
「ええ、本当に。シャルス様も優しい方の様だし、私、失礼じゃなかったかしら」
シャルスの大きさでは怖がるのも無理はないだろう。自分だって最初あの大きさに恐ろしくなった。そう言えば、ピアは安心したようにこちらを向いて微笑んだ。
「ありがとう、アユム君。そうよね。誰だって驚いてしまうわよね」
「私だって初めては驚いたんだ。無理もない」
「ルシアも?」
ルシアは洗い終わった皿を拭きながらそう言った。ピアは少し驚いている様で、俺も少し意外だな、なんて思った。
「自分がこんな身なりだ。これから先どんな事があっても驚きはしないと思っていたが、あの大きさで言葉を解するというのは、やはり驚いてしまったよ。まだまだ世界は広いものなのだとしみじみ思ったさ」
軽く笑い声をあげながら、ルシアはそう言う。ルシアレベルで驚くのなら、一般レベルなら驚きを通り越して畏怖を覚えるのは無理もないのだろう。
片付けも終わりリビングに戻ると、ロラはシャルスの腹で、長い体毛に包まれながら眠っていた。
ここまで来るのに歩き疲れたと言うのもあるのだろうが、はしゃぎ過ぎて疲れてしまったのだろう。ルシアがロラをベッドに運ぼうとすると、シャルスはそれを引き止める。
「ルシア、このままデ、このままでいさせてくレ」
「しかし」
「もう少しだケ、この幼子と居させてくレ」
「……わかった。ロラにかける毛布だけ取ってこよう」
「それなら私が取ってくるわね」
「ああ、頼んだ」
シャルスがロラを見る目は慈愛に満ちている様に感じた。錯覚かもしれないが、優しげに目を細め、ジッとロラを見つめていた。
「アユム、君もそろそろ寝なさい。明日朝早くに、森の出口まで案内しよう」
「はい。ありがとうございます」
「君達の親も心配している事だろうからな。簡易ベッドですまないが、用意してくるよ」
そう言うと、ルシアは奥の部屋、おそらく寝室に消えていった。それと入れ替わる様にピアが毛布を抱えて持ってくる。シャルスの体にもたれて寝るロラに毛布をかけてやれば、気持ちよさそうに寝返りをうつ。アルマはロラの膝で丸くなり、毛布の中へ消えていった。
ロラの幸せそうな寝顔をみて思う。……このままでいいのだろうか。ピアはルシアと共に居て、きっと自分の悲しみを理解してくれている存在だと思っているだろう。家族のように寄り添ってくれる人。
けれど、本当にこのままでいいのか? 人身御供なんて、自分にとっては昔話だけの中の事だと思っていた。当たり前にあった幸せを享受することも出来ず、ただ村のためだと自分を殺して森へ入る。そんな事をこれから先も続けていくのか?
「ピアさん」
「なあに? アユム君」
「明日、一緒に森を出ませんか?」
「え」
驚いた様なピアの声に続けざまに言葉を紡ぐ。
「昔は、戻った娘は酷いことをされたって言うけれど、こんなにいい人達なんです。説得すれば、きっとわかってくれますよ!」
「でも……」
ピアは戸惑うような仕草をする。無理もないのだろう。ただ帰っても村人はきっとピアを受け入れてはくれない。帰った娘が酷い仕打ちを受け森へ逃げ帰る。怖いに決まっている。良くても家族揃って村八分にでもなるだろう。そんな事、きっとピアは望んではいない。
「今と昔じゃきっと人の考え方だって変わってますよ。やってみなきゃわからないです」
「…………」
「いつかはこんな風習、断たなきゃいけない。断たなきゃ、ピアさんと同じような、悲しい思いをする人が居るんです」
悪しき風習はどこかで断たなければいけない。これから先、時が経てばもしかしたら消えゆくものなのかもしれない。けれど、それでは遅すぎるのだ。今、目の前にいるピアだって犠牲者なのだ。これ以上の犠牲者なんて、本当に出していいのか? ピア深く考え込むように、口元に手を当てている。
「ピアさん」
「……わかったわ。私、やってみる」
ピアの目には不安と希望、どちらも混ざっているように見えた。変わらなければ、変えられるのは当事者である自分しかいないのだと、ピアもわかってくれたのかもしれない。
きっと怖いはずだ。助けてくれる人なんて、ルシア以外にはいない。そのルシアも、ミュータントというハンデを背負っている。正念場で頼りに出来るのは自分自身だけだ。
「ん? どうした二人とも」
俺たち二人の雰囲気に疑問を覚えたのか、戻ってきたルシアが不思議そうに話しかけてきた。
まずはルシアの説得だ。明日に向け、ピアとルシアと話し合うことにした。