10 23番通りで何が起こったか
「ロディさんの馬鹿ァ!」
ばちん!
小気味いい音と共に、男の悲痛な叫びが喧騒とした街に響き渡る。ああ、止められなかった……。突如生まれた光景は街行く人の目を引き、無視して通り過ぎる人や、心配そうに足を止める人、にやにやと野次馬らしく煽るような声をかけてくる人と様々な人を生む。目の前の二人は気にする事はなく、男が女をなんとかなだめようとしているが、女の方は見向きもしない。
どうしてこんなことになったのだろう。男の情けない声を聞き流しながら思わず天を仰ぐと、憎らしいほどの青空が建物の奥に広がっていた。
「アユムーいるか」
がさごそと物が至る所に置かれ、荒れ気味のリビングの整理をしているとジェスラが廊下から顔を出し俺を呼ぶ。何かあったのかと抱えていた荷物を置きジェスラの元へと行くと、少し大きめの茶色い紙袋を片手で抱えていた。
「なに、ジェスラ」
「いや、お前に届けて欲しいものあってな。今大丈夫か?」
「うん。物の整理してただけだし、大丈夫」
また何か依頼品の配達だろうか。どうせ暇な時間を有効活用しようと掃除をしていただけだし、何の問題もない。その旨を伝えると何処と無く申し訳なさげな表情になった。
「ああ、すまない。お前が来てから大分片付いたよ」
「ジェスラは整理しなさ過ぎなんだよ」
笑いながらジェスラにそう返すと、ジェスラも苦笑しながら同意する。
「それでどこに届ければいいの?」
「二十三番通りにある茶葉の専門店でな、これを届けて欲しいんだよ」
そう言いながら右腕に持つ紙袋を揺らす。茶葉の専門店ということだから、中身はやはり茶葉なのだろうか。動くたびにかさかさと微かに音がする。
「二十三番通り……俺って行ったことないよね?」
「ああ、ないな。でも大丈夫だ、地図も書いたし、少し奥まった場所にある店だが迷うことはないだろう」
左手でひらひらと折りたたまれた紙を見せられる。それに地図が書いてあるのだろうが、俺はまだこの街をよく知らない。近場は暇な時、迷子にならない程度に散策はしたのだが、遠めの場所はジェスラについて行くくらいで全くわからない。大丈夫か不安だが地図もあるし、それでもわからないのなら人に聞けばいいだろう。個人宅ならいざ知らず、店ならばある程度知名度はあるはずだし、大丈夫だろう。
「わかった、行ってくるよ」
「ありがとう。この依頼品、今日までだっていうのをさっき思い出してな……。俺が行くべきなんだろうが、客の予約があってな」
今までもそうだがこの虎は結構抜けている。こんな調子でこれまでやってきたのかと思うと、不安とおかしさがこみ上げてくる。
「ジェスラ、荷物の管理やっぱもう少しちゃんとした方いいんじゃないか」
「……そうだな」
考えておく、というジェスラは荷物と地図を俺に託すとジェスラは書斎に引っ込んでいった。預かった荷物を一旦リビングに置くと、用意をするために与えられた部屋へと行く。服はそのままで、必要なものを突っ込んだ斜めがけのボディバッグを背負い、帽子を被ってリビングに戻る。地図をズボンのポケットに突っ込み、紙袋を抱えると、ジェスラの部屋へと行き、開け放たれたままの扉の前で声をかけた。
「じゃあ行ってくるよ」
「おー、わかった。お前行ったことないだろうから遊んで来てもいいぞ。ただし遅くならないようにな」
「うん、わかった!」
そうだ。この街に来てひとりで遠くまで行く事は無かった。初めての遠出でなんとなく気分が舞い上がりそうだったが、玄関まで来てハタと気付く。俺は重要な事を聞いていない。もう靴も履いてしまったし面倒だなと、玄関から大声でジェスラに聞く。
「ジェスラー! 店の名前と届ける人の事聞いてないー!」
「ああー、店の名前はインシエンソだ。カリダートという女性に届けてくれー! じゃあ頼んだぞ、アユム」
「わかった、行ってきます!」
ガチャと扉を開けると、後ろから行ってらっしゃーい。と間延びした返事が微かに聞こえた。
家を出て大通りの方へと続く道を歩いていく。疲れはしないが案外重めの紙袋を両腕で抱えながら、辺りの様子を眺める。工業中心の街というだけあって、ルービアプラタのように全て石畳という訳ではない。車道と歩道に分かれているアスファルトの道と、コンクリートの外装の建物などが多いようだ。少し裏道や細い路地などは舗装されていない場所などもあり、やはりあの街よりも荒い印象を受ける。どちらかといえば街の中心に近い場所でこれだから、街の端の方はまだまだ整備されていない場所も多いのかもしれない。
初めて街に出た時は、街の風景より街に住む人間たちに目を奪われていたが、そのおかしな光景にも大分慣れてきたように感じる。こうして街の違いを比べているのが証拠だろう。以前の自分なら驚き固まっていたかもしれないような、蛇の頭を持つ人間や考えられないほどの背丈を持つ獣頭などとすれ違おうとも何とも思わなくなってきた。まあ、関わらないからなんとも思わないだけで、もし絡まれたら俺は泣き叫ぶかもしれないが……。
しばらく街や人の様子などを観察しながら歩いていると、大分人が多くなってきたように感じる。大通りが近くなって来たのだろう。
大通りは大体の道に繋がっている場所らしく、人の流れが多い、車の通りも多く、なんだか人の姿形さえ気にしなければ、元の世界と何ら変わらないような印象を受ける。
「んー、地図確認しとこうかな」
そろそろ大通りだろうし、確認しておいた方がいいだろう。道の端に寄ると紙袋を片腕で持ち、素早く地図を出すと両腕で抱え直し片手で地図を開く。
「んん?……なんかわかりずらいな」
ジェスラから渡された地図は、一応家からの道のりと若干の解説が書いてあった。だが分かりにくいことこの上ない。縮尺の適当さと目印になるものが微妙というか……。この道から大通りに出るとまず見えるのが大きな看板なのだが、どうしてそれではなく隅の方にあるあまり目立たない店を選ぶんだ。この調子だと他に書いてある目印もわかりずらいんじゃないだろうか。いや、手書きの地図なんて記憶を頼りに書くしそんなものだろうか。
「まあ行けないことはないだろうし、いいか」
本当に分からなくなった時は誰かの助けを借りよう。そうしよう。とりあえず自分を納得させ、歩みを再開する。
大通りまで出ると、地図のとおりの方へ向かい、目印を探す。ここら辺までは何度か来たことがあるが、そこからどの道がどこに繋がっているのかは、多分ベルパドの店やガンリの家に繋がる道くらいしかわからない。ここからは本当に手探りだ。まあ23番通りなんて名前だし、標識とかありそうなものだが。
「あった。あれだあれ」
地図にあったとおりの目印を見つけた、その横にご丁寧に23などと書かれている。この標識が目印じゃ駄目だったのかジェスラ。
標識の場所を通り過ぎしばらく歩くと、大通りの雑多としたものとはまた別の雰囲気が感じられる。喫茶店のカフェテラスでくつろぐ人や、食事をしている人。洋服店だろうか、外からウィンドウを眺める人や、袋を持って出てくる人。外から店内の様子を覗いてみると、カップルや女性の集まりなど見ていると、お洒落な感じの店が多いのかなあと感じる。
「うーん、不思議だなあやっぱ」
やっていることは俺の知っている人間と変わらないが、エイビーやファーリィだったり、獣耳や尻尾の生えたヒューマの女性だったり、顔はヒューマでも腕や足の一部がファーリィみたいだったり、見た目が違うというのはなんとも不思議な気分にさせる。しみじみと俺は今、別の世界に来てしまっているんだなあ、と己の不思議体験に浸っていると、ぶぅん、と微かにこの場には似つかわしくない音が聞こえてきた。
「ん?」
音のする方に目を向けると、銀色の球体が宙に浮いていた。ぶぅーんと、ラジコンヘリのプロペラのような音を生み出すそれは、人々の頭上に滞空しながらゆっくりゆっくりと移動していた。
「……なんだろアレ」
明らかに異質な存在感を放っているそれに、道行く人は気にするそぶりを見せない。ここの人達にとっては当たり前の光景なのだろうか?恐らく害のあるもにではないのだろうが俺にとってはなんとも気になる存在で、人の歩幅でも充分追いつけるそれについて行きたくなる。
「気になるなあ。いや、でもこれ届けなきゃいけないしなあ」
両腕に抱えられた紙袋を見やる。ジェスラに頼まれたものだし早く届けなければいけないが、頭上のあれが気になって気になって仕方が無い。いや、でもこれ今日中にだしちょっとくらい……。
「いやいやいや、駄目だろ。煩悩よ消え去れ!」
まず配達が先だ。その後に思う存分追いかけ回すなり、街の探索をするなりすればいいだろう。片手に持った地図の通り、俺は宙に浮くそれとは別方向に歩き出した。
「あれー。ここら辺だと思うんだけどな……」
大きめの通りから横道に入った場所で地図と辺りの様子を比較する。ちゃんと目印になるものも書いてあるものと同じだし、間違いは無い。
「ジェスラが間違えてるとか? んーでも問題なさそうだけどなあ。これ」
目印は分かりにくいがここまでの道のりを思い返しても、何ら問題は無かった。ううん、と唸りながらもう一度間違いはないかと、少し前の道からやり直そうと二十三番通りの大きな通りに出ようとすると、ひらけたところでばんっと何かにぶつかった。
「あで!」
「おわっ、ごめんごめん、大丈夫か?」
ぶつかった人を見上げると、トカゲのような、なんだろう多分トカゲだと思うんだが、頭と顎から喉元がトゲトゲとしている。スケイリーの男性がそこにいた。なんか数日前もこんな事あったな。
「ごめんなさい。前ちゃんと見てなくて……」
いやいや、俺こそごめんな。という男性の反応の安心する。いい人で良かったが、自分の不注意さを治さないとそのうちぶつかった人に、肩が骨折しただのなんだのといちゃもんをつけられる未来が来そうだ。
「じゃ、俺はこれで」
「あっちょっと待ってください!」
思わず男性を引き止める。これも何かの縁だし、今探している店のことを聞こう。別に道行く人を引き止めるのが面倒とかそんなではない。
「あの、ここら辺にインシエンソって言う店ありませんか? 探しているんですけれど、中々見当たらなくて」
「インシエンソね、いいや知らないな。何の店?」
「茶葉とか取り扱っている専門店らしいんですが」
「そういうのかあ。俺には縁遠い店だなあそりゃ。ごめんな、わからないよ」
「そうですか……すみません引き止めてしまって、ありがとうございました」
もしかしたらと思ったが、この男性は知らないようだ。少し奥まったところにある店とか言っていたし、知る人ぞ知る、みたいな店なのだろうか。スケイリーの男性にお礼を言い、この場を去ろうとすると待てと引き止められる。
「なんか荷物持ってるけれど、お使いかなんか?」
「はい、そうです。地図の通りに進んでるんですけれど、辿りつかなくて」
「ふうん。どれ、見せてみ」
男性に手を差し出され、地図を渡す。手伝ってくれるのだろうか? 差し出した地図を見ると男性は、ああ! と何かわかったように反応した。
「これ、この目印になってる店。ちょっと前に移動したんだよ。こんな手前じゃなくって、前はもう少し向こうにあったんだ」
「そうだったんですか」
地図が間違って居た訳ではなく、目印が移動していたと……。仕事でしょっちゅう街を離れるジェスラに街の様子を常に理解しておけというのも無理な話か。ひとり納得し、男性に礼を言うとにっこりと微笑まれる。多分微笑んでいるはずだ。トカゲの顔は正直まだよく分からない。
「いいんだよ。どうせ俺もそっちに行くし、付いてってやろうか?」
「いや、そこまでしていただかなくても」
「なあに気にすんなって!」
ばんっと背中を叩かれ、うっ、と声を出してしまう。ぶつかった時より痛いぞ、これ。
男性の言葉に甘え目印の店まで共に行く事にし、歩み出した。しばらく道を共に歩いていると、またあの浮遊物が頭上に見えてきた。
「あの、あれってなんなんですか?」
「あれ?」
男性にそう聞きながら頭上に浮く銀色の物体を指差すと、なんでもない風な答えが帰ってくる。
「ああ、nAIか」
「えぬえーあい?」
「人工知能だよ。なんだ見たことないのか?」
「最近この街に越してきて、初めて見ました」
「ほー、まあnAIなんて、デカい街じゃないと滅多に見ないとか言うしなあ。小さいとっから来たのか?」
「はい、今は叔父の世話になっているんです」
適当な嘘を言いながら、話を続ける。案外嘘ってすんなりつけるものなんだな……。ちょっとの罪悪感を感じながらも、あの球体についての情報を得た。人工知能なんて、まさにSFだよなあ。
「人工知能って何をするんです?」
「あのタイプは街の警邏とか放送とかだな。あと、犯罪が起きた時に警察機関への通報とかも」
「他にもあるんですか?」
「ああ、機械の制御とか、管理統率とか。街の清掃しているのとか他にも色々。そういやあ、ここ一年で性能上がったとか喜んでるやつがいたっけなあ」
球体を見上げると、変わった様子もなくただそこに佇んでいる。映画や漫画、空想の中にしか出てこなそうなものが今自分も頭上に浮いているのだと思うと、少し気持ちが膨らんだ。ロマンがあるよなあロマンが。
にまにまと顔をゆがませていると、そういえば、と男性が話しかけてきた。
「別のところから来たなら、ここら辺の噂も知らないわけか」
「噂?」
「男なら聞いてて損ないぜ。ここらの地下にな、何年か前から地下鉄通そうってんでトンネルがあるんだよ」
「地下鉄……」
地下鉄なんてものもあるのか。ただ街と街を繋ぐには、距離が長い様な気がするが。
「その排気口がここら辺にあるんだ。んで運良くそこの上にスカートのお姉ちゃんとかいるとな」
「きゃあ!!」
「お! あんな風になるわけよ!」
ブワッっと舞い上がるスカートを抑える女性がいた。排気口と思われる格子の近くに居たのだろう。ゴオオと先ほどまでは聞こえなかった音が鳴り、風が吹いているのか。両手で押さえながらもちらりとスカートとは別の色が見えた。
どこの世界でも男とは変わらないものなんだな……。周りの通りすがりと思われる男性も、ちらっと横目で見る人や、ヒューと茶化すように口笛を吹く男性が居たり、この隣の男性みたいに、にやけ顔を見せたり。下世話であるがまあ俺も見ちゃったんですけどね! 恥ずかしいけどね! 仕方ないね!
「お、なんだよ顔を赤くして、可愛いやつだなお前ー」
「あはははは……は?」
「いやー、ピンクかー。俺的には黒とかもいいと思うんだよなあ」
男性に茶化されながら笑っていると、どこからか視線を感じる。ふと先ほどの女性に目を向けると、恐ろしいほどの形相でこちらを見ていた。正確には恐らく、この男性を。
やばい。直感でそう感じ、隣の男性を見やる。呑気に先ほどの話の続きなのか、白もいいよなーなどと話す男性。こいつの口をなんとしても閉ざさねば、こいつの命はない。下着の色などという下世話な話をする男だが、これでも一応恩人だ。今すぐ逃げ出したいがここは俺がなんとかしなければ。
「ね、ねえ! えっとお兄さん! それよりも、地図にあった店ってまだ先だよね! 早く連れてってよ!」
「ん? いやあ、もうここだぞ」
「じゃあ、お礼をしたいから美味しいご飯食べようよ! 僕お腹減っちゃってさー!」
「子供から奢られる訳にはいかないだろ。それよりもなーお前は何色が好きだ?」
駄目だこいつ。いや俺に話術がなくて誘導出来ないのが駄目なのか。向こうから女性がゆったりとした歩みでやってくる。もう、すぐそこに。
「ロディさん」
「ん? おお、リンダじゃ、ってお前さっきの……」
ゆったりと、男性の名前を呼ぶ。その表情は一見穏やかだが、纏う雰囲気から殺気が滲み出る。知り合いだったらしく、男性、ロディが女性の名を呼ぶがすぐさま先ほどの女性だと気が付いたのか、表情が固まる。リンダはヒューマで、日に焼けた小麦色の肌と黒髪の一目で美人だと分かる女性だ。吊り目がちで少し気の強そうな印象を受ける。
彼女の笑顔は美しいが、同時に寒気も感じる。ああ、どうか無事であってくれと願うがその願いは虚しく、次の瞬間にはビンタとロディの悲鳴が響き渡った。
「ロディさんなんて大っ嫌い!」
「リンダごめんって! 悪かったって!」
「ロディさんが待ち合わせに遅れなきゃ、あんな事にならなかったのに!」
「うぐっそれには訳がだな」
「しかも、わたしの下着見て黒がいいとかなんなのよ意味わかんない! 馬鹿!」
「そ、それはあ、その、希望というか」
「はああ!? 馬鹿馬鹿! ロディさんの馬鹿! 変態!」
「俺は変態じゃない! ただ男としてだなあ!」
「意味わかんない事言わないでよ! 変態じゃない! もう知らない、どっか行って」
「リ、リンダァ」
ああ、空が青い。憎らしいほど青い。青、水色とか、俺は好きだよ。ロディ。
空を見上げるのを辞め、二人をぼんやりと見る。ロディとリンダ、何処かで聞いたことがあると思ったが、初めてこの街に来た時のあのふたりか……。なんとなく聞き覚えのある声に納得する。
じゃあ、ロディはイグアナか……。イグアナってこんななんだ。
野次馬が集まり始め、ふたりを茶化す声が飛ぶ。リンダがロディの言葉を無視し始めたところで自業自得とはいえ、なんだか可哀想になってきた。ロディの情けない声を聞いているのが辛くなってきたとも言える。
というか、リンダの話を聞くと、俺がぶつかったことでロディは遅れたようだし、ここは俺にも非があるだろう。ならばその誤解だけでも解かなければ。貰った恩は返さなければ罰が当たるというものだ。
俺は渋々と傍観をやめ、巻き込まれたくないという気持ちを抑え、ふたりに声をかけた。