09 水仙の時計
あの散々な時計屋の一件から数日後、俺とジェスラは無事マルディヒエロの家へと戻り、荷物の仕分け、依頼人への受け渡しを行いながら日々を過ごしていた。
ジェスラの家まで依頼の品を取りに来たり、依頼人の家まで届けたりと様々だが、ジェスラに付いて依頼人の家を回った際、顔見知りやお得意様と思われる人々から「今回は早かった」と口々に言われていたのを聞いた。今回は仕事の期間としては短かったのだろうか? まさか俺を気遣って今回の仕事は主に近場を回っていたのではと気になって配達を終えた後にその事を聞いて見たが、「たまたま近場の依頼が重なっただけだ。馬鹿なこと言ってないで仕事しろ」言われ、依頼の品をガンリに届けて来るようにと、少し薄汚れた軽い木の箱を押し付けられ家を追い出された。
両腕で荷物を抱えながら人混みを歩く。初運び屋仕事に出る前、ガンリの家は数回ジェスラと訪れた事もあり、ジェスラ自身心配ないだろうと送り出してくれたのだろうが、こんな子供に重要かもしれない荷物を届けさせてもいいのだろうか……。いや、重要じゃないのか? 窃盗などけして無いわけでもないだろうに。
少し疑問に思いながらもガヤガヤと人の声が響く大通りを歩き、しばらくして横道に入る。道幅は広いままだが、人通りは先ほどよりも少なく、話し声は聞こえるが先ほどの通りとは質の違う会話が聞こえてくる。辺りからは鉄のぶつかる音や、機械のガコガコガチャガチャとした音や、甲高い何かを削る音などが聞こえ、機械整備などの主な仕事場が固まっているのだろうか。
確かガンリの店はあと一本横に入り込んだところにあるはずだ。道の先に見覚えのある目印を認め、曲がろうとすると、どんっ、と人にぶつかってしまった。
「うわっ」
「おっと!」
軽い体が弾かれそうになるが、大きな手が俺の肩にかけられ、後ろに転ぶのはまぬがれた。荷物も両腕に抱いたままで変化はない。
「いや、不注意で済まなかった。…それでは」
きっちりとしたスーツ姿に白髪混じりの黒髪、中年期ほどの年齢と思われるヒューマの男性は、俺を真っ直ぐに立たせるとそれだけを言い、俺が歩いてきた方向へと歩き出した。すぐさま後ろを振り返り、男に謝罪とお礼の言葉をかけるが男からの反応は帰っては来ない。呆然としたままそれを見送り、なんとなく違和感を覚えたがすぐさま荷物を思い出し、目的の方向へと足を進める。
それから数分進み、見覚えのある店が見えてくる。大きめの車が数台並び、整備中と思われる見覚えのある白いツナギ姿と同じく白い帽子の人間が数人いるが、肝心のガンリの姿はどこにもない。
「あのすみません。ガンリさんいらっしゃいますか?」
「ん? ああ、君ジェスラさんとこの。社長なら奥にいるよ、届け物かい?」
人間と言っても見た目は様々で、一番近くにいた大きな体の牛頭に声をかけると、厳つい見た目とは裏腹な優しげな声の返事が帰ってくる。何度かこの店を訪れた際に少しばかり会ったのだが、ガンリはここの店主らしく数人整備士を雇っているようだ。この牛のファーリィもそのひとりで、確か……カミロとか言う名前だった気がする。牛の頭は俺のイメージする牛、日本人が一般的に持つものだと思うが、それよりもゴツく毛深く、野性味溢れる感じだ。俺の知る牛とは別種なのだろうか。
一旦手を止めた様子になんだろうと思うが、どうやら奥へ案内してくれるらしく、ついてくるように言われる。
有難くカミロについて行き、店の奥へと入っていく。ひとつの扉の前につくとカミロは扉を三度叩き、中にいるであろうガンリに、俺が来た事を伝える。が、返事は無く、カミロと共に顔を見合わせ首を傾げる。
「おかしなあ、居るはずなんだけれど。社長入りますよー」
カミロが再び扉を叩き、中に入る旨を伝え扉を開けると、中は書類などが乱雑に机の上に置かれていたり、ファイルがはみ出しているキャビネットがあったり、事務作業等を行う部屋のようだった。乱雑に見えるが散らかし放題という訳でなく、一部、主にガンリの周辺が散乱としており、その中心にいつものツナギを着たガンリが仕事卓を前に椅子に深く腰掛けていた。
「なんだ、社長いるじゃないですか」
「……ん? あれカミロ、お前なんでここにいんだ?」
「お客さんですよお客さん。ほら入って来なよ」
ぼーっとしていたらしいガンリは、カミロの声に気がついていなかったらしく、とぼけた声でカミロに尋ねる。呆れたような声色のカミロに促され、部屋に入ると数週間ぶりに会うガンリの顔がみるみる変化していく。
「ガンリ、久しぶり」
「おお! 久しぶりだなあ。ちょっとでかくなったかあ、アユム」
「一ヶ月経たないのにそんなにすぐでかくなるわけないだ…いてっやめ」
椅子から立ち上がりズカズカと俺に近づくと頭を撫でられる。ガンリは俺に会うと毎回のように頭を撫でてくる。ぐりぐりと痛いほどに。そろそろ頭の傷に気付かれそうでやめて欲しいが、両手が塞がっている今、これを止める術は俺には無い。
「おお? 俺に会えて嬉しいかそうかそうか!」
「嬉しくねえええやめろいてででで」
「社長……痛がってますけど。アユムくん荷物を届けに来たみたいですよ。またなんか頼んだんですか?」
困ったようなカミロからの声が天の助けに聞こえる。ガンリもやっと俺の腕に抱えられた荷物に気が付いたのか、んん?と声をあげる。
「そういやそうだったなあ。ご苦労さん」
カラカラと笑いながらそう言うと頭からようやく手を離し、腕の中の荷物を受け取る。やっとのことで自由になった両手で荒れ放題の髪をどうにか整える。ふう、とため息を吐きガンリを見ると、ガンリは机に箱を起き、既に開け始めていた。
「何頼んだんです?」
「陶器だよ。ジャドロって奴が作ってるんだ。ルービアプラタまた行くって言うもんだからさあ。興味あったんで頼んだんだよ」
嬉々とした様子で箱から陶器と思われる壺を取り出す。いやあーいいねえなどとガンリは言っているが、先刻転びかけた件を思い出して、内心ひやっとする。あのスーツの男性に助けられていなければ、今頃箱の中はどうなっていただろうか……。
「……ガンリ、俺荷物も届けたし、もう帰るや」
「えー、もう帰るのかよ。ゆっくりしてけばいいじゃねえか」
「社長、仕事まだあるじゃないですか」
内心青ざめながら帰ると伝えると、ガンリは残念そうな声で俺を引き止める。カミロが呆れ声でガンリに注意するが、ガンリの方はといえば、面倒臭そうな表情をしながら椅子に再び腰かけた。
「じゃあ今夜ジェスラに飯食いに行こうって言っといてくれや。夜にお前ら迎えに行くからよ。カミロ、お前も来いよ」
「ええー僕もですか」
「どうせお前も独り身なんだろう……。独り身集まって寂しく飲もうぜ」
「僕、彼女いますよ」
「かあああー!! お前なぞ焼肉になっちまえ!!!」
くしゃくしゃと丸められた元書類であったであろうものをガンリはカミロに投げつけるが、カミロはカミロで一切表情を変えることなく、それを片手でキャッチする。……いつもこんな調子なのだろうか。ガンリの独身者の悪態に動じることなく、カミロは俺と共に部屋を退室すると元来た道を戻り、作業場の外まで見送りに来てくれた。今夜またね。という声を最後に、俺はガンリの店を後にした。
家まで帰ると、見覚えのある後ろ姿が、扉が開け放たれた玄関に見えた。あの長く大きなツノ言えば彼しか思い当たらない。近付く気配に気が付いたのか、ピンと立った耳をピクっと反応させながらこちらを振り返った。
「ああ、君。この前の」
「どうも……」
神経質そうな鹿のファーリィは俺に気が付くと会釈をし、俺もそれに習うように会釈で返す。開け放たれた扉の奥にはジェスラがおり、どうやら彼の対応をしている最中だったようだ。
「アユム帰ったのか。裏から入ってこい」
「うん」
ジェスラに言われたとおり、仕事用ではない方の玄関の方の回り込み、家の中に入る。恐らくお茶を入れてくれと頼まれるだろうと思い、荷物が乱雑に置かれた廊下や部屋を通り抜けキッチンを目指す。いつも通る度に思うのだが、依頼品をこんな適当な扱いでいいのだろうか。今度ジェスラに荷物の扱いについて意義を申し立てるべきかもしれない。
荷物の処遇について考えるうちにキッチンに着く。水を出し手を洗っている最中にジェスラから思ったとおりの声がかかり、やかんに水を汲み火にかける。以前のとおり、紅茶でいいだろうか、以前ははっきり言って不味いし、あの鹿も飲んでは行かなかったが今度こそはと妙な意地が出張る。椅子に乗り自分の身長では届かない棚にある茶葉を探す。
茶葉をキャディスプーンで計り、ティーポットに入れる。カップとソーサー、スプーンにミルクと砂糖を用意して、沸いたお湯を注いで数分待つ。今度こそはうまく入れてやる、という意地で出来たこのお茶は果たして美味しいんだろうか。
ノックをし応接間へと入ってゆく。扉を開けると以前と同じようにジェスラと鹿のファーリィはソファに座り、二人で話し合っていた。
「失礼します」
「ああ、どうも。これ、ここで確認してもよろしいでしょうか?」
「ええ、構いませんよ」
「では、失礼して……」
二人の前に紅茶などを置こうとすると、ちょうど良く依頼品の件になって居たらしく、鹿の依頼人が箱を開けようとしていた。あれだけ精神的に苦労したのだからそれはそれは良いものなのだろうと思い、こっそりと様子を伺うと、おお……と感嘆の声が鹿から零れた。
「ああ、思ったとおり素晴らしい作りだ」
「それは良かった」
「ええ、蓋の水仙の花も美しいですが、この私の銀細工の肖像なんて最高じゃあないですか!」
……ん?銀細工の、肖像? 懐中時計の蓋を開けながら、鹿のファーリィはうっとりとしたいように中を見ている。蓋に描かれているのは見たところ、彼が言うように水仙なのだろう。何らかの花が美しい銀細工によって描かれている。彼の言う肖像というものは見えないが、蓋の内側にあるのだろうか。
「ああ、私の美しさはどんなものに写しても美しい。実際に私が行って、私を見て貰いながら描いて貰おうとも思ったのですが、それでは私の美しさに描き手が倒れてしまうかもしれないと思って、写真を送ったんですよ。ああ、本当に良い職人ですねえ、カーブロレは。写真のみでこんなに私の美しさを再現してくれるなんて、特にこのツノ、とても美しいと思いませんか? この艶めきや形の美しさ。銀細工の美しさは私をさらに輝かせるのですね。ああ、なんて事なんでしょう。私の美しさは陰ることを知らないようですよ。いやはや、本当にありがとうございます。ジェスラさん」
「え、ああいえ、私どもは己の仕事を全うしただけですので……」
語り出した鹿のファーリィに、ジェスラは一瞬ばかり引いた様子を見せるが、何とかうまく繕うと今までに見た中で最高と思われるような、虎の顔を恐らくは、恐らくはだが爽やかな笑顔に変えながら謙遜を言う。が、鹿の彼は時計の方に夢中のようで対して気にする様子もなく時計に見入っている。
「ああそうだ。これから用事があるのでした。 報酬は口座の方に振り込んでおきますね。ジェスラさん。機会がありましたらまた利用させて頂きますよ。本当にありがとうございました」
鹿のファーリィは一瞬何かを思い出したようにすると、荷物をまとめて出し、部屋を出て行く準備をし始めた。
「美しい私に夢中の方が待っているのでね。ではこれで」
そう言うと前のようにツノを扉のヘリにぶつけないよう大袈裟にくぐりながら、外へと出て行く。ジェスラも見送りのために後を追い、俺はひとり応接間に残された。
「……」
遠くで聞こえるジェスラ達の声を聞きながら、鹿の座っていたソファに座り紅茶をすする。紅茶は相変わらず苦く、己の舌に渋みを残しただけだった。
なんなのだろう、この言い知れぬ虚無感は。客が喜んでくれる、仕事人冥利に尽きることではないか。いや、それは分かっている。分かっているが、一体、俺のあの精神的苦労は何だったのだろう。若い女性の汗を取って来いなどという、あの変態な願いに本気で悩んだ俺は何だったのだというんだ。あの変態ジジイの気持ちが少しだけ分かってしまった俺は一体……何を得たんだろう。
「あんなツノ、折れちまえばいいのに……」
苦い紅茶にミルクと砂糖を注ぎながら、ぽつりと呟いた。
そのうち番外でも書くかもしれないです。