008 旅立つ意志
「……おい、お前達、ここで何をしている?」
目を覚ました三月の第一声はそれだった。
何故か自分の部屋に集まっている遥、朱音、鈴子の3人を訝しげに睨み付け、説明を求めるように視線で訴えかける。
「え、えっと……み、三月君に訊きたい事があったから来たんだけど」
「それなら俺が起きてから来れば良いだろ。わざわざ寝ている時に来るな。それ以前にどうして俺はこんな服を着ているんだ?」
確かに三月は《箱庭》での訓練で疲労してそのままの格好で眠ってしまったはずだ。しかし、現在三月の体を包んでいるのはパジャマのような薄緑色の服だった。
「あっ、それは三月君、凄く汗掻いてたから着替えさせようって……鈴子ちゃんが」
「成る程……」
そう呟くと三月は半眼で鈴子を睨み付け「確かにこいつならやりそうだ」と納得する。そんな三月の様子を見て、本格的に2人の関係が気になった朱音は難しい顔をして首を傾げた。
冷たい視線を向けられた鈴子はヘラヘラと笑みを浮かべながら、三月の視線を受け流す。
そんな鈴子を見て、三月は呆れたように鼻を鳴らすと遥へと向き直る。
「で? 俺に訊きたい事って何だ? わざわざ起きるまで待ってたんだ。それ相応の事なんだろうな?」
言外に下らない事だったら怒ると言いたげ目を細めると、面倒くさそうに鼻を鳴らす。
「えっと……三月君、色んな本を読んでるからこの世界の事には詳しいよね?」
「まあ、一応。自慢出来るほど詳しくは無いがな」
「それならスキルについても色々と知ってるのかな? もし知ってるのなら教えて欲しいの。自分のスキルに合った訓練をしたいから」
「スキル……ね。そんな事も知らずに訓練をしてたのか? お前らはこの世界を舐めてるのか? はっきり言っていつ何時死ぬとも知れないこの世界をそんな覚悟で生き抜こうとしていたなんて、全くお笑いだ」
「あぅ……だ、だからこうして三月君に訊きに来たの。朱音ちゃんが三月君ならきっと詳しいだろうって教えてくれたから」
「……」
三月は朱音をチラリと一瞥すると成る程と納得する。
先日朱音には蒐集したスキルを披露している。方法などは一切公表していないが、何らかの方法で自分のスキルを写し取った事だけは理解しているのだろう。写し取ったスキルの使い方を理解しているからこそ三月は蒐集したスキルを使用出来る。朱音は直感的にそう判断し、遥に教えたのだ。
三月は面倒くさそうに頭を掻くと、本の山の中から1冊の紙の束を抜き出し遥に投げ渡した。
「スキルに関する研究内容だ。スキルの成長、分類、魔法属性との関連性、スキルの組み合わせなど、俺が独自に考察が書かれている。それを読んで自分達で考えて訓練のカリキュラムを組み立て直せ。これ以上は手伝わん」
遥は紙の束を1枚捲り顔を驚愕に染めた。朱音と鈴子も横から覗き込むようにして内容を見ると、目を丸くして驚いた。
「こ、こんなに細かく……これをたった1ヶ月で調べ上げたって言うの?」
「流石ヤッシーや……ウチらの予想を遥かに上回っとる。こないな研究、この世界の学者でも早々出来へんで」
「こ、これ、貰っちゃっても良いの?」
「俺は全部記憶してるからな。それに元々お前らに渡すつもりで作った物だ。それを生かすも燃やすもお前ら次第だ」
「……」
遥は研究内容をもう1度見直すと、そこに自分のパラメータなどが事細かく書かれている事に気が付き「あっ」と声を漏らす。
「これ、私のパラメータ……それにスキルも。三月君には話してないはずなのに」
「て言うか、クラスメイト全員分書かれてるわ。これ、本当に正しいの?」
「ウチのパラメータもぴったり同じや。これ全部ほんまもんのパラメータやで」
「パラメータに合わせた効率的な訓練方法まで書かれてる。こんなの調べようと思って調べられる事じゃないわ。一体どうやったのよ?」
朱音がそう訊ねると、三月はフッと小さく笑みを浮かべ、
「パラメータが低い、スキルが解析能力。確かにパラメータが低いからお前らのように思うように動く事は出来ないし、解析能力を直接戦闘の役に立てるのは難しい。だが、パラメータが低いからパラメータの高い奴に勝てないなど誰が決めた? 解析能力が弱いなど誰が決めた? 俺は俺の能力を最大限にまで有効活用して自ら錬磨し続けている。知っているから戦いを有利に進められる。知識は最大の武器である。それはその証明だ」
つまり、解析能力も極めれば相手の情報を読み取り弱点を見極める事が出来るから、強い者にも勝てると言う事だ。
情報は力であり知る事で圧倒的なアドバンテージを得られる。三月は既にクラスメイト全員の情報を事細かに記憶しているため、誰よりも優位に立つ事が出来ると言う事だ。
遥達もそれを理解したのだろう。パラメータやスキルの力が全てではない。もし自分よりも強力な敵が目の前に現れた時、その差を埋める事が出来る対応力こそが大切なのだ。
三月は誰よりもパラメータが低く、スキルも直接戦闘に関係しないものであったからこそ、誰よりも現状を深く理解し対策を練る事が出来るのだ。
直接対決した事がある朱音には余計に夜白三月と言う存在が常識に当てはまらない人間なのだと感じた。
「話は終わりだ。もう用は無いだろう、さっさと出て行け」
「え……う、うん……分かった」
「ヤッシー、もうちょい優しゅう言い方出来ひんの? ハルちん、ヤッシーの事ずっと心配してたんやで?」
「うるさいぞ変態娘。他人の服を勝手に着替えさせるような奴にそんな事を言われる筋合いは無い」
「んもー、ヤッシー。ウチらが他人やったら皆他人になってまうや〜ん。冗談キツイわ〜」
「だからあんたら本当にどんな関係なのよ?」
「え〜? そんなの決まっとるやん。も――」
途端、鈴子は笑顔のまま表情を固めピタリと言葉を途切れさせる。
何事かと思い首を傾げる朱音は鈴子の視線の先を辿って三月を見た瞬間に同じように硬直した。
かつてない程に鋭い視線で鈴子を睨み付ける三月。その視線からは「絶対に話すな」と言いたげな怒りのオーラを感じる。
「も……もちろん秘密や! ウチとヤッシーだけの秘密! そう簡単に話すわけにはいかんなぁ!」
「ま、まあ話したくないなら良いけど……」
空気を読んだのか朱音もこれ以上追究する気にはなれず、そう言って引き下がった。鈴子も安心したように胸を撫で下ろしいつも通りのへにゃとした笑みを顔に張り付ける。
その時、半ば叫ぶように声を張り上げて遥が口を開いた。
「あの、み、三月君!」
「……何だ?」
「その……この書類。元々私達に渡すつもりだったって言ったけど……どうしてなの? わざわざこんな物作らなくても口頭で説明してくれれば良いはずなのに」
「それが面倒だから作った。以上」
「そ、そんなはず無いよ! これを作る方が面倒だって三月君だって分かってるでしょ? 私が知ってる三月君なら嫌でも効率の良い方法を選ぶよ! 何を隠してるの!?」
「……」
必死になって問い詰める遥を三月は無表情にじっと見詰める。
そんな2人のやり取りが理解出来ないのか、朱音と鈴子は頭に疑問符を浮かべながらポカンとした表情を浮かべていた。
「……俺が何かを隠してるって言う根拠は?」
「無いよ。ただ付き合いが長い、幼馴染だから何となく分かるの」
「もし本当に何かを隠していて、それを話さなければならない理由は無いし、お前が知らなければならない理由は無いはずだが?」
「幼馴染だから……じゃ駄目、かな? やっぱり三月君の事は大切だし、何か隠しているのなら知っておきたいと思うから」
「それが知られたく無い事だとしてもか?」
三月がそう問うと、遥は薄っすらと微笑んで首肯する。
そんな遥を見て、三月は面倒くさそうに溜め息を吐く。
「幼馴染のよしみで教えろ……か。時々お前は強情になるから面倒くさい。やる気を出した時の四郎と同じくらい面倒だ」
「あ、あそこまで面倒じゃないもん!」
一体どんなだと、朱音と鈴子は内心でツッコミを入れる。
「良いだろう。知りたいというその心意気に免じて特別に教えてやる。光栄に思え」
一体何様だと言いたくなるような言い草に思わず呆れる一同だったが、次に三月が発した言葉でその態度が一変する。
「俺は近々旅に出ようと思う」
◆◇◆◇◆
三月の部屋を後にした3人は三月が発した言葉を心の内で反芻しながら、先ほどのやり取りを思い出していた。
『俺は近々旅に出ようと思う』
そう、つまり三月は《ステラ》を出て自分達の前から姿を消すという事だ。
もちろん遥は何故旅に出るのかと問い詰めた。しかし三月は「話は終わった」と言って頑なに話そうとはしない。
朱音も人類を救う役割を放棄するのかと訊ねたが「救ってやる義理も義務も無い」と言って突き放されてしまう。
ただ鈴子だけは神妙な顔つきで三月を見詰めており何も言う事はなかった。
そして黙り込む3人に三月は最後にまるで忠告するかのようにこう言った。
「この国は歪んでいる。女王は教皇の操り人形、教皇は女神なんていう不確かな偶像の傀儡だ。更に俺達異世界人は【勇者】含め、《ステラ》にとっての駒でしかない。お前らは知らないだろうが【勇者】と【従者】の関係はそれほど綺麗なものじゃない。この【従者】っつう称号の持つ意味をよく考えておくんだな。そうしないと、あの女神狂いの教皇に使い潰されるぞ」
三月はただそれだけ言い放つと3人を部屋から追い出しそのまま眠ってしまった。
「【勇者】と【従者】の関係……か」
「ちょっとウチには難しゅうて理解できひんわ」
「でも、あいつが出て行く理由は何となく分かったわ。この国の歪み、それに嫌気が差しているのよ。あの教皇のおっさんが怪しいのは薄々気が付いていたけど、あいつは最初からこの国の歪みに気が付いていたんでしょうね。だから旅立つまでの間出来るだけの事をやって行こうって考えたんでしょう」
「そしてあらゆる本を読み漁っとる内に【勇者】と【従者】の関係の真実に行き着いた」
「教皇の思惑通りに事を進めないため、あいつは旅立つ決意をした。でも、それを話したとしても異世界に召喚されたと言うこの状況に気分がハイになってるクラスメイトは信じてくれない。だからこそ、せめて困難に立ち向かう事が出来るだけの力を身に付けさせるため、これを作った」
朱音はスキルの研究が書かれた紙の束をポンと叩いた。
「整理したのに逆に頭がこんがらがりそうね」
「そやな」
「でも、三月君が私達の事を心配してくれている事は分かったよ」
「善意かどうかは定かではないけどね。多分あいつは自分の事しか考えて無いと思うわ」
「朱音っち。妙にヤッシーの事詳しいんやね? 何かあったん?」
「何も無いわ。ただ、何となく夜白の奴があたし達を遠ざけてる気がしただけよ」
先日三月に言われた『遥を頼む』という言葉。今ならばこれが、自分は旅に出るから遥の面倒を見て欲しいと、言われたのだと理解出来る。しかし、逆に思いやりからそう言ったのではないとしたら、三月は遥の事を朱音に押し付けたかっただけなのでは無いだろうか。
(……流石にそれは妄想が過ぎるわね)
「遠ざけてる……かぁ。言われてみれば確かにそんな気もしはるなぁ。本当に心配しとるんならあんな回りくどい言い方やなくてはっきりと真実を話すやろうし」
「そうよね」
「で、でも国を出て行くなんて……」
しょんぼりと落ち込む遥の肩に朱音は励ますようにポンと手を置いてニィと微笑んだ。
「そんな落ち込むんじゃないわよ。あいつを出て行かせたくないのなら、方法はあるじゃない」
「え?」
「いつもあいつは言ってるでしょ。『力ずくで来い』って。だったら今回も力ずくで止めてやりましょうよ」
「朱音ちゃん……」
「朱音っちの言う通りやな。ウチもまだヤッシーと別れとうないし、いっちょ力ずくで止めたろか」
「そうと決まれば早速作戦会議よ! 絶対あいつに目に物見せてやる!」
「い、良いのかなぁ?」
「ええんよ、ええんよ。常に力ずくで来いって自信を持って言っとるんやし、それで旅立てなくなっても文句は言わんはずや」
「……そうだね。三月君だもんね」
「そや。どんな理由があっても幼馴染を置いてどこかに行くんは許さへん。完膚なきまでに止めたるで」
3人はニッとお互いに笑い合うと早速作戦会議を始める事にしたのだった。




