006 識者VS拳士
城内の明かりもほとんど消え、白銀の月明かりが幻想的に城を映し出す深夜。
朱音との決闘を控える三月は試合に向けて準備を行っていた。
スタンドミラーに立ちながら自らの格好を確認する三月。
現在三月は召喚されて以降ずっと着たきりだった、一張羅の制服脱ぎ、新しい服に着替えていた。
黒の長袖シャツに黒いズボン、そして肩から腕に掛けて白い筋が走った刺繍の成されたフード付きの黒ローブ。
全身黒で統一されたその格好は、唯一[D]ランク以上である敏捷のパラメータを生かすため、最低限の装飾のみを施し、動き易さに特化させてある。その証拠に黒ローブもぶかぶかとした全身を包む魔導師風のものではなく、細身の三月に見合ったすらっとした線の細いデザインをしている。どちらかと言うとコートに近い。
更にほったらかしで腰まで伸びていた黒髪もしっかりと手入れをし、長さを整えて紐で1つに纏めている。自らの持つスペックを最大限に生かした格好だ。
そして最後に、手に持っていた黒塗りの鞘に収められた刀を腰のベルトに差し、鞘の位置の微調節を行って完成。
「……ま、こんなもんだろ」
フードを被れば暗殺者に間違われてもおかしくないファッションだが、三月の個性が十分に引き出されているため非常に似合っている。
勇者然とした四郎の格好を光に例えるなら、三月のそれは間違いなく闇だろう。
だが、派手でゴテゴテし物のよりも、動き易く実用性に富んだ服装の方が絶対に良い。魔物や怪物が闊歩するこのファンタジーな世界では一瞬の隙が命取りになる恐れがある。今だ魔物との戦闘経験どころか人間とすら戦った事など無い三月だが、戦いに対する覚悟は誰よりも強いと自負している。
この世界はラノベやゲームの世界ではなく現実なのだ。ほんの少しの油断や慢心で命を落とす事もあるだろう。だからこそ、三月は戦いにおいては一切の情け容赦を捨てると心に決めた。
「さて、そろそろ行くか」と呟き自室を出て朱音が待っている城の訓練場に向けて歩き出した。
しばらく廊下を歩いていると背後から「あっ」と誰かが漏らした小さな声が三月の鼓膜を揺らす。
振り返るとそこには驚いた顔をして硬直して立ち尽くす遥の姿があった。
まるで信じられないものでも見るかのように固まっている遥は、何かを言おうとするが、言葉が思いつかず口をパクパクと開閉している。
しばらく待っても何も言わない遥に業を煮やしたのか、三月は面倒くさそうな表情で鼻を鳴らすと、何も言う事なくその場から立ち去ろうとする。
それを見た遥は慌てたように「あっ」と声を上げると、すかさず三月のローブの袖を掴んで歩みを止めた。
三月は袖を掴んで放さない遥をじっと見詰め、やがて面倒くさそうに頭を掻きながら溜め息を吐いた。
「…………何か、用か? 俺、これでも急いでんだけど?」
「あ、え、えっと、その……ひ、久しぶりだね」
「……」
確かに召喚されて以来ずっと書斎に籠って生活していたため遥とは最近会っていない。
「まあ、久しぶりだな。……それで? それを言うためだけに呼び止めたのか?」
「あ、いや、その……い、今から朱音ちゃんとし、試合をするんだよね?」
「ふぅん、知ってたのか」
「う、うん。朱音ちゃんが教えてくれた」
「あっそ。で? 何を言いたいのかはっきりしてくれないか? さっきからモジモジモジモジ鬱陶しいんだが?」
ピシャリと言い放つと遥は顔を強張らせ、どこか迷うように俯きがちに視線を左右に逡巡させると口を開いた。
「うっ……あ、あのね、お願いがあるの」
「何だよ?」
「出来れば……出来ればで良いんだけど。あまり朱音ちゃんを虐めないで欲しいの。試合だから怪我をするのは仕方ないんだけど、それでも必要以上に朱音ちゃんを痛め付けないで。お願い」
三月はどこか不安げな表情でこちらを見詰めてくる遥を見詰め返し、しばし視線を交えると、面倒くさそうに溜め息を吐いて遥に背を向けて歩き出した。
咄嗟に呼び止めようとする遥だったが、それよりも早く三月が言葉を発した。
「話にならない。そのお願いとやらを聞いて俺にメリットは1つも無い。むしろ手加減しろと言っているようなものだからデメリットしかない。そもそも俺はあいつを虐める為に試合をする訳じゃない」
「あ、で、でも」
反論しようとする遥の言葉を三月は鋭い目付きで睨み付けて遮る。
「これは俺と五十嵐の戦いだ。お前が介入する余地は存在しない。いくらお前が俺の幼馴染で五十嵐の友達だろうと言う事を聞く筋合いは無い。さっさと部屋に戻りな。どうしても納得出来ないのなら力ずくで俺を止めるんだな」
「で、でも三月君……」
何か言い返してやりたい気持ちに駆られる遥だったが、三月の言っている事は正論なので何も言葉を発する事が出来ず、やがてしょんぼりと肩を落として黙り込んだ。そんな遥を振り返る事無く、三月はさっさと廊下を歩き出す。
その後ろ姿を、遥は何も言う事なく立ち尽くし見送る事しか出来なかった。
◆◇◆◇◆
訓練場に降り注ぐ月明かりの下、五十嵐朱音は腕を組み、瞑想しながら三月がやって来るのを待っていた。
戦闘において何よりも重要なのはその場の状況に応じられる冷静さ。熱くなってただ攻め続けるだけでは必ず隙が生まれて負ける。だからこそ、こうして精神を静め試合に対して膨れ上がる高揚感を抑え込むのだ。
カツーン、カツーン、カツーン……
鼓膜を叩く足音を聴き取り、朱音は腕を解き目を開けて音の方向を振り返った。
「逃げずに来たようね」
「逃げたら敗北になるからな」
訓練場に現れた三月の姿を認めると、朱音はハンッと鼻を鳴らす。
「まるで暗殺者ね。まあ、根暗で姑息なあんたにはお似合いの格好だけど」
「お褒めに頂き光栄の極み」
わざとらしく頭を下げながらあからさまな皮肉を言って挑発する三月。しかし、朱音は特に気にした様子もなく三月へと歩み寄り、睨み付けるように目を細めた。
凄みを効かせて威圧する朱音だったが、三月は眉1つ動かす事無く小柄な朱音を無表情に見下ろす。
「確認するぞ。勝った方が負けた方に対して命令権を1つ獲得する。それで良いんだな?」
「ええ良いわよ」
余程自信があるのか即答する朱音。
「分かった。それじゃあ早速始めるぞ。いつまでもお喋りなんてしてたら時間が勿体無いからな」
「ええそうね。本当に勿体無いわ」
「ああ、勿体無いな。こんな勝ち試合」
「ええ。あたしの勝ち試合ね」
お互いに睨み合いながら徐々に距離を空けて行く。
そこで三月が刀の柄に手を掛けている事を朱音が気付いた。
「あんたの得物はその刀? ふぅん……でも、あたしは毎日鈴子と模擬戦をしてるのよ。今更あんた如きが振るう刀を避けられないと思ってるの?」
「当然、思ってるさ。チートスペックな四郎ならまだしも、お前程度じゃ避けられない」
「言ってくれるわね。そういうセリフは……」
朱音はグッと拳を握り締め、腕を引く。
「あたしの拳を避けてから言いなさい!」
ダンッ! と、朱音が地面を蹴り付け三月へ向けて一直線に跳躍する。それを皮切りにその場の空気は一変した。
一瞬の内に三月の眼前まで肉薄した朱音は握り締めた拳を一直線に三月の胸に向けて突き出した。この1ヶ月の間に純粋な正拳突き威力だけならば空手の達人に匹敵するほどにまで高めた朱音。そして速度も異世界人補正により並の物ではない。
岩すらも一撃で砕くと思われるその拳は確実に三月に突き刺さるかと思われたが、
バサッ。
正拳が自分の胸に突き刺さる寸前、まるで既にその攻撃が来る事が分かっていたかのような完璧過ぎるタイミングで身を翻し、ローブの裾をはためかせながら正拳をかわすと、実に自然な動作で朱音の肩に手を置き、耳元で囁く。
「お前の攻撃は既に読んでいた。ずっと見てたからな。お前の行動パターンは頭の中にインプットしてある」
挑発するのではなく、淡々と事実を語るような口調でそう囁き、朱音が振り返りざまに回し蹴りを放ってきたのをトンッと、1歩後ろに下がる事で回避する。そして小さく鼻を鳴らすと、全く攻撃する素振りすら見せずに無防備に立ち尽くす。
それを好機と受け取ったのか、朱音は再び踏み込み先程よりも速い正拳を放つ。しかし三月は、
「言っただろ。お前の攻撃パターンはインプットしたって」
そう呟き自らの顔面に叩き込まれるはずだった正拳を首を動かしただけでかわし、すれ違いざまに朱音の足に自らの足を引っ掛けた。
前につんのめる形で地面に手を付いた朱音は、驚いたように目を見開き飄々とした態度でこちらを見下ろす三月を見た。
(ずっと引き籠ってたこいつが、何であたしの攻撃を避けられるの!?)
「どうして自分の攻撃を避けられるんだって顔をしているな?」
思っていた事をそのまま言い当てられて更に衝撃を受ける朱音。
「教えてやる。お前の攻撃は良くも悪くも真っ直ぐだ。それ故に攻撃の軌道は読まれ易いが、お前はそれを攻撃の速度でカバーしていた。だが、俺からしてみれば速かろうが遅かろうが関係ない。速度に合わせた絶妙なタイミングで体を反らせばお前の攻撃はそのまま直進する。だからお前の攻撃は俺には通用しない」
「っ!?」
そう、朱音は変則的な戦いを苦手としている。鈴子が【抜刀】と言うそこまで特徴があるスキルで無いのに朱音に勝ち続けているのはそのためだ。鈴子は【抜刀】と言うシンプルなスキルを変幻自在に使い分け、先読みの出来ない動きで朱音を圧倒する。そして三月も鈴子と同じで何を考えているのか分からない故、次にどのような動きをしてくるのかが全く分からないのだ。
「だが、パラメータを生かした戦闘方法を見つけたのは褒めてやろう」
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《五十嵐朱音:[16歳][女]》
種族:人間族
筋力:[B]
耐久:[C−]
敏捷:[A]
魔力:[D]
魔抗:[D]
スキル:【魔力収束】[放出]
【拳砲】
属性:火・風
魔法:【 】
称号:【拳士】[異世界人・拳士・従者・ツンデレ・友達思い]
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そう、朱音は敏捷のパラメータが圧倒的に高いのだ。恐らく異世界人補正とセット称号の【拳士】辺りが底上げしている。だからこそ、近接戦では誰よりも高いアドバンテージを誇っていた。そして敏捷に特化させた一撃がこの真っ直ぐ放つ正拳突きだったのだ。
だが、三月は相手の攻撃の軌道すらも解析する事が出来る【識】を持つ。真っ直ぐにしか攻撃が来ないのならば、タイミングすら完璧に読む事が出来る【識】を持つ三月には当たらない。
「くっ!」
朱音は歯噛みをしながら三月から距離を取ると拳を握り精神を集中させた。すると拳の周りに光が集まって行き、その光を拳へと宿した。朱音の保有スキル【魔力収束】の効果である。
「吹き飛べぇ!!」
そして拳へと収束した魔力は砲弾を形成し、破壊力の塊となって三月へと飛来する。
「……はぁ」
三月はどことなく詰まらなそうに溜め息を吐くと、身を低くし刀の柄に手を掛けると、飛来する砲弾を目を細めじっと見据える。
(あの構え、まさか!?)
眼前まで砲弾が迫ったのを確認すると、三月は目録からスキルを発動する。
「【抜刀・居合】」
ヒュンッ!
短い風切り音が鳴る。それを同時に朱音の放った魔力の砲弾は真っ二つに裂かれ、三月の横を通り過ぎて粒子となって霧散した。
三月は抜き放った刀身を鞘へと戻すと、目を見開き呆然と立ち尽くす朱音へと視線を向けた。
しばしの視線の交差。そして不意に我に返った朱音はキッと目付きを鋭くし、
「何であんたがそのスキルを使えるのよ!?」
「答える義理も義務も無いな」
「それは鈴子のスキルよ! それにあんたのスキルは解析能力だけのはず!」
「はぁ……2度も言わせるな。答える義理も義務も無い。聞きたいのならば、力ずくで来るんだな。そうすれば……命令出来るだろう?」
そう、この試合に賭けられているお互いの命令権。それを得たのならば三月に自分の言う事を聞かせる事も可能だ。
「良いわ。だったらお望み通り力ずくで聞き出してやる!」
「それは無理な話だ。お前の攻撃は見切っている」
「うるさい!」
三月に肉薄し連続して正拳を放つ朱音。更に四肢を全てを攻撃に用いた、周囲に衝撃波を撒き散らすほどの強力なラッシュへと移行する。
しかし、三月はその全てを紙一重で回避しつつ、時には手の平で衝撃を受け流しながら刀の柄に手を掛けた。更に、刀へと謎の光が収束して行き、やがて刀はその輝きを宿した。
それを見た瞬間、朱音はそれが自分の【魔力収束】と同じある事を悟り驚愕する。
「な、何で……あんたがあたしのスキルを……」
あまりの驚きに攻撃の手が一瞬緩む。その隙を見逃さず三月は勝負を決めるべくスキルを発動した。
「【抜刀】……【魔斬り】!」
パアァンッ!
魔力を纏った神速の居合。その一撃は朱音に回避する暇さえ与える事無く炸裂し、光の粒子を弾けさせながら朱音の体を遥か後方へと吹き飛ばした。
「安心しろ、峰打ちだ。骨が数本折れただけで済む」
地面に倒れ伏した朱音を見下ろしながら淡々とした口調でそう告げる。しかし朱音はまだ戦意を喪失していないのか、【抜刀】を打ち込まれた脇腹を押さえながら立ち上がった。
「まだよ……まだ負けてない」
正直何故三月が自分達のスキルを扱え、パラメータが低いはずなのにここまで自分を圧倒出来るのかは分からない。混乱で頭の中がぐちゃぐちゃになり今にも気絶しそうなくらい脇腹が痛む。しかし、朱音には意地とプライドがある。こちらから仕掛けたこの試合。絶対に負けるわけにはいかないのだ。
(それに、あたしが負けたら遥が……)
三月が書斎に籠って以降、遥は毎日のように三月の事を心配して表情を曇らせていた。三月が体調を壊していないか、何か手伝って欲しい事は無いか、ずっと不安そうにしていた。そんな遥の憂いを朱音は取り除いて上げたかった。だからこそ、こうして三月に勝負を挑んだのだ。
「ふむ……正直今の一撃で音を上げるかと思ったが、良い根性だな」
「あんたに褒められても嬉しくないわ……。あたしは、遥の笑顔を見たいから立ち上がったの。絶対あんたを書斎から引きずり出す」
「ふん……【友達思い】の称号は伊達じゃなかったか」
その言葉を聞き、何故自分が【友達思い】の称号を持っている事を三月が知っているのか疑問に思った。しかし、それよりも今はどうやって三月に一撃を入れるのかを考えるべきだと頭を振って思考を切り替える。
「まあ良い。さっさと終わらせるか。いつまでも無駄話をしている場合じゃないからな」
三月はそう呟くと、タンッと地面を蹴り付け朱音へと接近する。朱音は反射的に蹴りを放つが三月はその場でくるりと身を翻りそれを避ける。そして刀を抜き放ち朱音の顔面に向けて刃を振るった。
(まずっ、避けられない!?)
眼前へと刃が迫る中、朱音は何とかそれを回避しようと後ろに跳躍するが如何せん遅過ぎた。このままでは確実に顔に攻撃を喰らって意識を刈り取られる。そう予感したが、
スッ。
「え?」
目の前にまで迫ってきていた刃は一瞬で眼前から消え失せ、そして、
「ぐぅ!?」
鳩尾に三月の拳が叩き込まれた。
肺の中の酸素を目一杯吐き出し、胃の中をまさぐられるような不快感と共にその場に崩れ落ちる。
「安心しろ。俺の筋力は[D]だ。痛みはあるだろうがそこまで深刻なダメージは負っていない」
蹲る朱音を見下ろしながらそう告げると、スゥっと刀を抜き放ち朱音の首筋に突きつける。
「さぁ、負けを認めな」
「はぁ……はぁ……っ!」
悔しさに歯を食い縛りながら朱音は三月を睨み付ける。
「あ、んた。はぁ……さっきはどうして、フェイントなんか……した、のよ?」
搾り出すような掠れた声でそう問い掛ける朱音。
「あの、まま振り抜けば……あたしは避けれなかったわ。な、のに、どうして……?」
「……」
そう、確かに先ほどのフェイント。刀を引かなければそのまま朱音の顔に直撃し、一撃で意識を刈り取る事が出来た。しかし、三月はあえてそれをせず、刀を引き鳩尾に拳を叩き込んだ。
こちらを睨み付ける朱音を見下ろしながら、三月はすんと鼻を鳴らすと口を開いた。
「お前を虐めるなって、お願いされたからな」
「誰に、よ?」
「答える義務は無い。聞きたいなら力ずくで来い。……だがまあ、あえて言うのなら、お前と同じ【友達思い】な奴なんじゃないのか?」
「っ!?」
その言葉を聞き、朱音が思い浮かべたのは遥の顔だった。お願いされたからと言って三月が誰かの言う事を聞くとは思えない。聞いたとしてもそれは付き合いが長く信用している相手のみ。そう、幼馴染であり、朱音の友人である遥だ。
「それに顔に傷が残ったら大変だろう。一生消えない傷を残すなんて、そんな虐めは俺にはとてもとても……まあ、お願いされてなかったらやってたかもしれないが」
さりげなく恐ろしい事を口にしながら三月は刀を鞘に収め、朱音に背を向ける。
「負けを認めろ。これ以上はお前を虐める事になる」
「…………分かったわ」
朱音はそう呟き、自らの敗北を認める。
もし三月にお願いした人物が本当に遥なのならば、これ以上自分が傷つくのは遥を悲しませるのと同義だ。
「あたしの負けよ。どんな事でも命令すれば良いわ」
「……随分と潔いな」
「こっちから吹っ掛けた勝負だもの。何をさせられようと文句は無いわ」
「そうか……だったら」
◆◇◆◇◆
試合を終え、去って行く三月の背を見詰めながら朱音は1人訓練場に立ち尽くす。そしてこちらを覗き込むように見下ろすお月様を仰ぎ見た。
「何よ、カッコつけちゃって……」
『遥を頼む』
ただ一言だけそう言い残した三月の言葉を朱音は心の中で反芻し、呆れたように肩を竦める。
今回の試合で三月が自分ならではの方法で自らを錬磨し、何も無駄に時間を浪費するために書斎に籠っていた訳では無い事を知り、心底自らの短絡さにうんざりするように溜め息を吐く。結果として何もかも三月に惨敗である。
しかし、負けっぱなしは朱音のプライドが許さなかったのか、負け惜しみのように夜の空に叫んだ。
「あたしに頼むくらいなら、自分で支えろっての。バーカッ!」
そしてその後、それとは別に脇腹の痛みで悲鳴を上げたのは余談である。