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識~叡智の賢者~  作者: ニコカメン
第Ⅱ章 聖なる闇の蠢き
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053 豪腕のケイン

今回、朱音達は出てきません。


 そこは地獄だった。


 触手に触れられただけで人が死に、掠っただけでも一瞬で肉を抉り取られる。まさに地獄。

 ほとんどの者が仲間の残酷な死に恐怖し、辛うじて正気を保っていた冒険者達も迫り来る触手と言う名の暴力の塊に恐れおののいた。まともに動くことすらままならない。そんな状況の中、動くことが出来たのは一団のリーダーである男であった。

 大柄な身長とほぼ同じくらいの大剣を軽々と振るい、触手の脅威を振り払わんとするその男の名は、ケイン・オリオン。

 彼はステラ冒険者ギルド所属のAAAランク冒険者であり、【豪腕】の二つ名で知られる冒険者である。後一歩でSランクに到達すると言われている実力を持つ強者である。新人冒険者を育成して共に依頼へと赴き、優れた指揮で依頼をこなす事から若い冒険者からの評判が高い。そして長年に渡って鍛え上げられたその肉体は、二つ名に恥じないほどの筋肉に覆われており、純粋な筋力だけならば力自慢の魔物であるトロールやオーガなどにも匹敵すると言われている。

 ケインが振るった大剣は空気を揺らし、衝撃波を巻き起こしながら仲間の冒険者達へと襲い掛かっていた触手を1本残らず斬り落とした。

「総員! 撤退しろ! ここは俺が抑える!」

「で、でも……!」

「俺は大丈夫だ! あの魔物は明らかに普通ではない。死にたくなければ早く行け!!」

 その言葉から、冒険者達は魔物と自分達には隔絶された力の差があるのだと読み取り、お互いに頷き合ってケインへと向き直る。

「分かりました。どうかリーダーもご無事で」

「何年冒険者をやっていると思っている? そう簡単に死んではやらんさ」

 冒険者達は最後に「ご武運を」と言い残し、その場から離れて行った。それを逃すまいと襲い掛かろうとする触手だったが、ケインはその触手を大剣で振り払った。

「彼らを追うことはこの俺、【豪腕のケイン】が許さん! どうしてもここを通りたくば、まずはこの俺を殺してみろ!」

 ケインが触手の魔物へと大剣の切っ先を突き付けそう言い放つと、ふと自分の隣に並び立つ1人の男の気配を感じ取った。

「何だアクリオ。お前は彼らと共に行かなかったのか?」

「何を言ってるんすかリーダー。僕の役目は彼らと共に逃げる事じゃない。貴方の隣で共に魔物と戦う事です。そうじゃないと、貴方はすぐに1人で逝ってしまいそうだ」

 そう軽口でも叩くかのように言った男の正体は、つい先程までケインと話しをしていた若い冒険者だった。名はアクリオ。鼻の高い整った顔立ちに細身な体格、そして夕焼けのような赤い髪。防具姿でさえなければ、昼間から街中で女性を引っ掛けて遊んでいそうな風貌の青年だが、これでもAランク冒険者であり、ベテランの一端に数えられる強者である。

 得意な武器はエストックで、若いながらもその類稀なる剣の才能をケインに見込まれ、彼のパーティーへと入る事となった。

 アクリオはエストックで襲い掛かってくる触手を1本ずつ正確に斬り落としつつ、ケインへと笑みを向ける。その顔を見て、ケインも小さな微笑を浮かべると、

「ふっ……それじゃあ、背中は任せるぞ、アクリオ」

「ちっちっちっ。背中だけなんて水臭いっすよリーダー。背中どころか左右も守ってみせるので、リーダーは前だけ見て突進してください。リーダーの馬鹿力だけが今は頼りなんすから」

「豪腕と言え豪腕と。それに俺にとってもお前のサポートだけが頼りだ。全力でサポート頼んだぞ」

「任されました! それじゃ、サクッと片付けますか」

 そう言うと、アクリオは触手の間を縫うように走り抜けつつ、エストックで触手を一本一本正確に切り落としていく。更にケインの方向へ向かって行こうとする触手も残らず切り刻み、完璧なサポートを見せつける。

 それを見てケインは満足げに口の端を吊り上げると、自らも触手の伸びる中心にあると思われる本体を目指して地を蹴った。


    ◆◇◆◇◆


 戦いが始まってどれだけの時が経っただろうか。もう何時間も戦っているような気もするし、ほんの数分しか経過していないようにも感じられる。いや、恐らくはそれほどの時間は経過していないのだろう。目の前の一撃でも喰らったら死ぬかもしれないという圧倒的な恐怖と緊張。それが時間の感覚を狂わせているのだ。

 2人の周りには切り落とされたおぞましい量の触手の残骸が散らばり、|《涼風の森》の大地を真っ赤な血で染め上げていた。

 アクリオは肩で呼吸をしつつ、仲間は無事逃げられただろうかと考えたが、即座に思考を切り替えて今はこの窮地を如何にして脱するか、それだけを考えることにした。

 目の前の触手を後一体どれだけ切り刻めば道は開けるのだろうか。百回、千回、いや一万回。もしくは永遠に触手が途切れることはないのかもしれない。

 気が遠くなるような思いを感じつつも、アクリオは剣を振るう手を止めない。ここで諦めるという事は、自身を信頼して背中を任せているケインの信頼を裏切る事になるからだ。

(しっかし……この触手。どれだけ切り刻んでも一向に減る気配が無い……いや、実際に減ってないのかな?)

 そう思いアクリオは自身が切り落とした触手をじっと観察していると、その触手の切れ目から徐々に新たな触手が生えてくるのを確認した。

(ッ!? やはりそうか。この触手には再生能力があるんだ。だからどれだけ切ったとしても本体の|《生命力》が尽きない限り再生し続ける。このまま触手が減るのを待っていても永遠に突破口は開けない!)

 とその時、本体へと向かっていたケインと背中がぶつかる。どうやらどれだけ切り払っても再生する触手の猛攻によって後方まで追いやられてしまったようだ。

「リーダー。この触手、どうやら高い再生能力を持っているみたいですよ。生命力の源である本体を叩かない限り戦いは終わらないです」

「ああ、俺もそれには気づいていた。だが、一撃でも喰らえば大打撃、下手をすればあの世へ真っ逆さまだ。無理に押し切ろうものなら物量に負けて一瞬でお陀仏だな」

「確かに。でも、このまま守り続けていてもいずれこっちの体力が尽きて、ジ・エンド。同じ死ぬにしても、当たって砕けた方が気分が良いっすよね?」

「フッ、違いない。ならば砕けてみるか?」

「それは御免です。でも、リーダーと一緒なら本望です」

「そうか……では、共に攻めるか!」

 背中合わせにそう言葉を交わすとアクリオは守ることを止め、ケインと共に正面の触手へと向き直る。

「僕が道を切り開きます。なのでリーダーは最後の最後まで今出せる限りの全ての力を自慢の【豪腕】へと集中させて下さい。あの触手を根こそぎ殲滅出来るのは、あなたの全力だけっすから」

「分かった。お互い全力を尽くそう」

 ケインはそう言って口の端を吊り上げて笑い、今持てる限りの全ての力を自慢の両腕へと注ぎ込む。

「行きます!」と言って、背後からも迫る触手を振り切ってアクリオは正面の触手へと突撃する。ケインもそれを追うように後に続いた。

「【スラスト】ッ!」

 そう叫んだアクリオの剣から繰り出されたのは、先ほどまでとは比べ物にならないほどの速度の斬撃。次々と触手が切り落とされて行くが、まだそれでも触手の海に潜む本体の姿は見えない。

 瞬間、弾丸のように飛び出してきた1本の触手が、アクリオの頬を軽く掠った。

「ぐぅっ!?」

「アクリオ!?」

 僅かに掠っただけで頬の肉を大きく抉り取られ、その精巧な顔を自らの鮮血で真っ赤に濡らす。

 が、しかし、それでもアクリオは止まらない。

(まだだ! まだ止まれない! ここで止まってしまったら、僕を信頼してくれているリーダーに……何の取り柄も無かった僕を拾ってくれた恩人に申し訳が立たない!)

 かつて、アクリオは単なる下町の不良だった。両親からも見放され、誰からも蔑まされる存在であったアクリオ。そんな彼を拾い冒険者として鍛え上げてくれたのは他ならぬケインだった。だからこそアクリオは彼を信頼し、自分を信頼してくれるケインの期待に何としても応えたいのだ。

 アクリオは想いも痛みも奥歯で噛み締め、何としてでもケインを魔物の本体へと送り届けるべく全霊を賭してエストックを振るった。

「【サウザンド・スラスト】ォッ!!」

 アクリオが放ったのは先の【スラスト】よりも更に速く、そして数え切れないほどの手数を誇る千刃の斬撃であった。

 瞬く間に触手は肉片へと姿を変え、魔物の本体が姿を現す。

 遂に現れた魔物の本体。それはまるで触手が生えた肉塊のような、生物と言うのもおこがましく、おぞましい存在だった。

「リーダーッ!!」

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォッ!!」

 アクリオの呼び声と同時に、ケインは咆哮を上げながらその両腕に溜めた全ての力を解放した。

「【ソード・インパクト】ォォオオオオッ!!」

 人一人分はあるであろう大剣の刃は、大気の壁を易々と切り裂き周囲の空気を大きく振動させる。そして生み出されるのは竜の咆哮を彷彿とさせる圧倒的な衝撃波である。

 振り下ろされたあらゆる物を破壊する衝撃は、大地を抉り取りながら周囲の触手を全て跡形もなく消滅させ、遂には本体である肉塊へと直撃した。

 【ソード・インパクト】。これこそがケインの必殺技であり、彼をAAAランク冒険者たらしめる要因である。そして、彼が【豪腕のケイン】と呼ばれる由縁でもある。

 本当にただの肉塊となり果てた魔物を見下ろしながら、ケインは何とか窮地を乗り越えたと安堵の溜め息を吐くのだった。

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