052 這い寄る絶望の波
朱音達《クロス・ホープ》の面々が森の探索を再開したのと同じ頃、別れた冒険者達一行も森の奥深くへと歩を進めていた。
リーダーの男を先頭に不気味なほど静まり返った森の中を進んでいると、ふと後方を歩いていた若い冒険者の男がリーダーの男に話し掛けた。
「リーダー。ちょっと良いっすか?」
「何だ?」
「さっきの……その、《クロス・ホープ》でしたっけ? 見たところあの子達は実力もあるようでしたし、別に協力してもらっても良かったんじゃないっすか? 何であんな突き放すような言い方を?」
若い冒険者がそう訊ねると、リーダーの男は「確かに言い過ぎだったかもしれんな」と小声で呟き、若い冒険者へと視線だけ向けてこう言った。
「お前も《クロス・ホープ》の連中が何者か知っているな?」
「ええ、まあ一応は。《クロス・ホープ》は異世界から召喚された勇者一行により設立された新興のギルドであり、最近では災害現場や飢饉に苦しむ村などに現れては問題を解決してその名声を高めている……ですよね?」
「ああ、そうだ。実は以前、俺は1度彼らの活動現場に出くわした事があってな。伝承通り、やはり異世界人は恐ろしく高い才能を秘めていた。先程の彼女達も恐らくは相当な実力者なのだろう」
「へぇ……でもそれってどれくらいの実力なんですか? ウチのギルドマスターくらい強かったり?」
若い冒険者がそう言うと、リーダーの男は「何をバカな事を」と言いたげに可笑しそうに微笑を浮かべこう言った。
「バカを言うな。いくら《クロス・ホープ》の連中が異世界人とは言っても、まだまだ尻の青い子供だ。最も他種族との諍いが激しかったと言われる先代勇者の時代、戦場の最前線で戦い続けた俺達のマスターには到底及ばんよ」
「ですよねぇ〜。なんたってマスターは現《人間族》最強とも謳われてる、ステラ騎士団の団長に並び立つくらいの実力者ですもんね。当然と言えば当然か」
「ああ……だが、そんなマスターや騎士団長ですら、先代勇者の従者には手も足も出なかった」
「従者に……ですか? 勇者じゃなくて?」
「ああ、そうだ。……もう20年近く前の話になるな。当時、俺が冒険者になってまだそれほど時間が経っていなかった頃、先代勇者一行はこの世界へと召喚された。そこからはまさに激動の時代だった。今代の勇者とは違って、先代勇者は召喚されて1月もしない内に戦場へと投入され、その抜群のセンスでみるみる内に戦果を上げていった。更には他種族との関係の安定化を図り、《森人族》とは同盟を結ぶまでに至り、今でもその関係は続いている。
そして、そんな先代勇者の周りにはいつも仲間である従者が居た。その中に一際異彩を放っている1人の少女の姿があった」
「しょ、少女? まさかその少女がマスター達よりも強いっていう?」
若い冒険者がそう訊ねると、リーダーの男は無言で薄っすらと笑みを浮かべて肯定すると、話を続けた。
「当時、彼女は異世界人の中で最も若い13歳の少女だった」
「じゅ、13歳!? それはまた随分と若い……」
「ああ、若い。しかし、彼女は召喚された時点で既に猛者揃いの騎士団の誰よりも強かったそうだ。恐らくはこちらの世界へと召喚される以前から、何らかの武術を嗜んでいたのだろう。彼女が魔王軍最高幹部《六天魔》の1人と引き分けたというのは、当時の人間にとっては有名な話だ」
「マジっすか。うわぁ〜……何か、僕じゃ一生掛かっても追いつけそうにないっすね」
「それは俺も同じだ。彼女は冒険者としても優秀だ。今の俺でさえ、彼女の足元にすら辿り着けていないだろう」
「その人、冒険者だったんすか?」
「ああ。彼女は従者であると同時に冒険者でもあった。彼女にとって冒険者業はほんの暇潰し程度の事だったのかもしれないが、当時の冒険者はみんな彼女に憧れて冒険者になった奴ばかりだった。それ以前に冒険者だった奴も彼女に近付きたい一心で自らを鍛えていた。そのせいで冒険者の質は、現在とは比べ物にならないほど高かったな」
「リーダーもその人に憧れて鍛えていた口っすか?」
「まあ、似たようなものだな」
「? どういう事っすか?」
「俺は彼女に憧れていたと同時に……惚れてたんだ。当時、冒険者として戦うことしか考えていなかった俺にとって衝撃的な出会いであり、初恋だった。それほどまでに彼女は可憐で、魅力的で、そして何より美しかった」
「いつもはお堅いリーダーにそこまで言わせるとは……その人はそんなに綺麗な人だったんすか?」
「それもあるが……俺は彼女の容姿よりも何よりも、彼女の目が好きだった。あの凛と見据えるような鋭い眼差し。しかしそれでいて、その瞳の奥には自らの強い意志と大切な仲間への優しさが垣間見えた。今ではあのような目付きの冒険者など居ないに等しい」
どこか昔を懐かしむようであり、物悲しげにそう語った男の顔を見て、若い冒険者は先程の朱音達に対して何故あのような突き放すような態度を取っていたのかを何となく理解した。
「リーダー、もしかして……憧れの人と同じ異世界人である彼女達に期待してるんすか?」
「ふっ……そうかもしれんな。だが、彼女達は異世界人ではあるが、まだまだ未熟だ。あのままではいつかこの世界の辛い現実に押し潰されてしまうだろう」
「それを教えるために、あんな言い方をしたんすか?」
「それもあるが、何よりも彼女達はこの世界を生き抜くために必要な事を知らない」
「必要な事?」と若い冒険者が訊き返す。すると、リーダーの男は真剣な表情を浮かべ、拳をぐっと握り締めてこう言った。
「《強さ》だ。例えどれだけ高い壁であっても乗り越え、辛く苦しい困難さえ撥ね退ける本当の《強さ》。人は自らを研鑽し、努力を積み重ね、強くなろうとする。それは彼女達だけでなく、俺達、いや、全人類に対して言える事だ。立ち止まっても良い、泥に塗れても良い、涙を流しても良い。でも歩むことだけは絶対にやめない。そしていつか知るのだ。人の《強さ》とは一体何であるのかを」
「《強さ》……パラメータとかスキルってわけじゃないんすよね? 一体何なんすか《強さ》って?」
「具体的なことは俺にも分からん。個人の持つ資質によって《強さ》は異なる。だが、敢えて言わせてもらうならば、人間の《強さ》とは恐らく《弱さ》にあるのではないかと俺は思っている」
「弱……さ、っすか? 人間の《強さ》が《弱さ》にあるって、随分と矛盾してるんすね……」
若い冒険者は訳が分からないといった様子でそう呟き、自身の手の平を見つめながらふっと小さく笑みを漏らした。
「……でもま、分からなくもないかな。僕達人間は、弱いからこそ強くなろうと思い、何も持ってないからこそ何かを得ようと努力が出来る」
「ああ。《人間族》は《魔人族》のような強大な力を持っているわけでもなく、《獣人族》のように強靭な肉体を持っているわけでもなく、《森人族》のように高度な魔法技術を有しているわけでもない。だがしかし、そんな強い種族と違って人間は《弱さ》を知っている。脆弱だからこそ、それを補うための術を何代にも掛けて磨いてきた。
人は何も持っていないからこそ何かを得られ、脆いからこそ強固になれる。きっと彼女達はいずれ大きな壁にぶつかる事になるだろう。だが、本当の《強さ》さえあればきっとその壁も乗り越え……いや、砕き割ることだって出来るかもしれない。彼女達もあの人のような本当の《強さ》というものを身に着けてもらいたいものだ」
「ま、大丈夫なんじゃないっすか? 見た感じ、少なくともあの髪を2つに結んでいる子は、人間の《弱さ》って奴を知ってるみたいでしたし、現実をしっかり見つめていた。あれはまだまだ伸びますよ……多分」
「……そうだな」
リーダーの男はそう呟くと遠い目を浮かべ、先程対峙した小柄でツインテールの少女の姿を頭に浮かべ、その瞳に炎のように燃え滾る、確固たる《強さ》が宿っていた事を思い出す。あの目は何度も本当の《強さ》によって打ちのめされ、人間の脆弱性と、自分の《弱さ》を知っている者の目だった。
それは誰よりも自由でありながらも、仲間を信じて戦った彼女の瞳の輝きとよく似ていた。
(あの人と同じ輝きを持った少女、か。否が応でも、時代は変わろうとしているのだな)
《クロス・ホープ》を中心に、世界は再び動乱の時代へと突入していくのだろう、と男は悟った。
(彼女達の歩む道の果てが、希望の光に満ち溢れん事を願って……)
小さな笑みを浮かべながら心の中でそう呟いたその時、
「う、うわああああああああああああああああああぁぁ?」
突如として隊列の後方から甲高い悲鳴が響き渡る。リーダーの男はハッとしたように後ろを振り返り、目を疑うような衝撃的な光景を目の当たりにしてしまった。
「なっ!? 何だ、これは……!」
彼の視界に広がっていたのは数えきれないほどの触手、触手、触手……。無数に蠢くその触手は、冒険者の1人を雁字搦めに巻き取ると、宙高くへとその身を持ち上げる。
そして次の瞬間、謎の触手に絡め取られた冒険者は自らの身に何が起こったのかを理解する間もなく――
――その肉体が跡形も無く消滅した。
一瞬だった。瞬きをするような、そんな刹那の間にベテランであるはずの冒険者が髪の毛1本残すことなく消滅……命を落としたのだ。
自分達の目の前で起こったことが理解できず、ただ呆然と津波のように蠢きながら押し寄せる触手を見つめる冒険者達。そして不意に誰かがハッと我に返ったように悲鳴を上げ、自分達が一体何と出くわしてしまったのかを理解する。
次々と後方の冒険者達が触手に蹂躙されていく阿鼻叫喚なその光景。地獄にも等しい窮地に立たされた冒険者達は、その触手の大群が一瞬で自分達を冥府へと引きずり込む死神の手であると認識した。
圧倒的な死の恐怖に正気を失い逃げ惑う冒険者達。
理不尽なまでに無慈悲で絶望的な蹂躙劇が幕を開けた。
◆◇◆◇◆
――うわああああああぁ……。
どこからか響く誰かの悲鳴が朱音の鼓膜を震わせた。どうやらその悲鳴が聴こえたのは朱音だけだったらしく、他の3人は足を止めて周囲を見回し始めた朱音に何事かと訊ねた。
「どしたん? 何か見つけたんか?」
鈴子がそう訊くと、朱音は「シッ」と口の前で人差し指を立てて耳を澄ませるように目を瞑り、しばらくすると先程とは違う別の誰かの悲鳴が聴こえてきた。
まぶたを開き、後ろの3人へと振り返ると真剣な表情で口を開きこう告げた。
「悲鳴が聴こえるわ。それも複数。あたしの予想ではさっきの冒険者達だと思う」
「悲鳴……ですか? どうして悲鳴なんか……?」
そこまで口にして、冒険者達の身に何が起こったのか気が付いたらしく、涼子は「もしかして」と呟き顔を青ざめさせる。
「青海さんが想像している通りだと思う。今まさに彼らは目的である魔物に襲われている。しかも悲鳴を上げるほどの危機的状況に陥ってる。ベテランの冒険者であるはずの彼らが、よ」
「多分奇襲されたんやろな。なんぼベテラン言うても、相手の存在に気づけへんかったら対処のしようがあらへん。こら不味いな……」
神妙な顔つきでそう呟く鈴子。もし魔物の正体がSランク、またはそれ以上の存在だとしたら下手に行動を起こすのは得策とは言えない。ここは1度引き返して増援を連れて来るべきなのではないだろうか。と、鈴子は思考を巡らせ、どうするべきなのかを模索する。
とその時、夏海は同じく考えを巡らせている朱音に声を掛けた。
「五十嵐ちゃんはどうするべきだと思う? 私としては1度街に戻って増援を要請するのが得策だと思うけど、もしもの判断は五十嵐ちゃんに任せる。五十嵐ちゃんが退くと言うのなら私達はそうするし、彼らに助力すると言うのなら今すぐにでも向かっても良い。最終的な決定権は君にある。どうする?」
「……そうね。確かにたった4人だけじゃ心許ないし、何よりも情報が少ない。唯一分かっている事は、ベテランの冒険者であるはずの彼らでも手に余る危険が迫っているということ。これだけでもあたし達が撤退する十分な理由になるわ。正体も分からない魔物と戦うには分が悪いし、Sランク級の魔物なんかが相手だったら最悪の場合命を落とすかもしれない。それに彼らを助けて上げる義理は、あたし達には無いわ」
非情にも感じられる朱音の言葉。しかし、この世界ではそれが普通であり現実。いつ命を落とすのかも分からないこの世界で、一時の感情に流されて行動することは危険極まりないのだ。
しかし、彼女達は平和な日本に生きていたごく普通の高校生に過ぎない。朱音の言葉を頭では理解していても、心が納得することが出来ない。助けられるかもしれない命が目の前にあるのだ。彼らの叫びを無視してまで自分達の安全を取ることが、果たして人間として正しい事なのか。それが分からない。
静寂をその場を支配する中、朱音は小さく溜め息を吐き「でも」と言葉を綴る。
「それでもあたしは、あの人達が苦しんでいるのを黙って見過ごすような真似は絶ェ…………ッ対に出来ない! 皆、ごめん。危険だって思ったら撤退しようって言ったのはあたしなのにこんな事言って。でも、ここで引いたら《クロス・ホープ》に成長の芽は無いと思うの。だから……」
「あー、朱音っち。それ以上は言わんでええよ。朱音っちの気持ちはよぉ分かった。さっき言うたようにウチらは朱音っちの判断には従うし、反対もせぇへん。朱音っち自身がしたいようにすればええねん」
「鈴子……」
「そうですよ。私達は貴女を信じているからこそ、もしもの時の判断を任せたんです。その五十嵐さんが冒険者の人達を助けたいって言うのなら、私達は全力でお手伝いさせていただきます」
「うん。私はこの1ヶ月、五十嵐ちゃんの頑張りをずっと見てきた。そんな五十嵐ちゃんの力になりたいと思ったから、今ここに私は居るんだ。他の心配なんてしないで、五十嵐ちゃんはいつも通り前だけ向いて突っ走ってれば良いんだよ。私達は全力で五十嵐ちゃんの後を追い駆けて行くからさ」
「青海さん、夏海さん……」
3人の顔をもう1度一瞥し、心の底から込み上げてくる嬉しさを堪えるように俯くと、決意を固めるようにぐっと拳を握り締め、口元に不敵な笑みを浮かべながらこう言い放った。
「んじゃ、遠慮なんてしないからね! マジで全力で突っ走るから覚悟しときなさい! 行くわよー!」
そう言って、疾風のように駆け出した朱音を追い駆けるように、3人も慌てて走り出して行った。
三月側にも関係がある話なので、番外編というより朱音視点の本編かな? と感じたのでサブタイトルを変更しときました。




