表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
識~叡智の賢者~  作者: ニコカメン
第Ⅱ章 聖なる闇の蠢き
51/54

050 クロス・ホープ

三月と日奈の決闘の前日に当たる王都での話。

 あたしの中で龍崎四郎という人間は理想の勇者であり、あたし達異世界からやって来た人間の希望だった。誰にでも優しく、誰よりも努力家で、誰よりも強かった。いつかきっと、何もかもを解決してあたし達を導いてくれるのでは? と、思えてしまうほどに理想的で、如何なる夢すらも実現してしまいそうなほど完璧な男だった。

 でも、それは間違いだったのかもしれない。理想は理想に過ぎず、夢も夢でしかない。どれほど彼が強くとも、決して彼は完璧な人間などでは無かったのだろう。勇者というだけで完璧に仕立て上げられた、ただの人間に過ぎないのだ。

 それに気が付いた時は何もかもが終わっていて、『彼』の姿は広原の遥か遠くに歩み去ってしまってしまっていた。

 四郎とは正反対に特別強いスキルを持たず、誰よりも劣るパラメータにより《無能》の烙印を押されることとなった『彼』。にもかかわらず最強であったはずの四郎を打ち倒し、強い力を手に入れていつまでも夢見心地だったあたし達の目を覚ましてくれた。

 自分達は異世界人だが特別でも何でもない。勇者だろうと従者だろうとそれに違いはなく、ちょっぴり力が強いだけのただの人間に過ぎない。巨大な暴力の前にあっさりと一蹴されてしまう弱い存在なのだ。

 でも『彼』は抗う事でその運命を覆せる事をその身で示した。何も持たない弱者であった『彼』は、弱者のまま強者を打ち倒し《自由》を得た。

 力なく倒れた四郎の傍らであたしは覚束無い足取りで離れ行く『彼』の背中を見つめた。非常に弱々しく、見ようによっては情けないその姿に何故かあたしは憧憬の念を抱いた。

 理由は分からない。異世界でも変わらず自由に振舞うその姿に憧れたのかもしれない。理想を越える現実を見せ付けられたからかもしれない。

 でもその時あたしは不謹慎にもこう思っていた。


 ――できることなら、何もかも投げ捨ててあんたの背中を追い掛けたい。


 それが叶わない願いだとは分かっている。『彼』がそれを望んでいないことも知っている。それでも尚、手を伸ばしたかった。


 ――希望に満ち溢れたその背中が、とても魅力的だったから。



    ◆◇◆◇◆


「やってられるかぁぁああああああああああああッ!!」

 そう叫びながら無数の書類を巻き上げながら勢い良く立ち上がったのは、長い髪を両端で結んだツインテールが特徴の少女、五十嵐朱音だった。

 現在朱音が居るのは王都内の王城近くに建てられた大きな屋敷《水樹館》、その書庫である。とある理由から朱音が女王に直談判して譲り受けたものであり、異世界人達の新しい住居でもある。

 《水樹すいじゅ》と呼ばれる水属性の加護が付与された霊樹を材料に造られたものであり、代々の勇者が住まいとして利用していたという歴史深い建造物である。にもかかわらず建物自体は《水樹》の性質(水分を魔力に変換して老朽化を防ぐ)のお陰で建てられた当時とほぼ変わらない姿で聳えている。

 朱音はバンッと机に平手を叩き付けると、犬歯を剥き出しにして猛獣のような低い唸り声を上げ始めた。

「い、五十嵐さん? ととと、突然どうしたんですか?」

 朱音の突然のヒステリックに驚き、ビクリと背筋を伸ばしながらそう訊ねたのは朱音と同じ異世界人である青海涼子あおみりょうこだ。元の世界に居た時は図書委員をやっており、メガネを掛けた目立たず素朴だが可愛らしい少女だった。現在では水属性の魔導師兼、朱音が始めたある事のサポート役の1人として働いている。

 涼子に声を掛けられた朱音は元々ツリ目気味の目付きを更に鋭くし、涼子の方にギロリと視線を向けた。他人を射殺さんばかりの鋭利な視線を受けた涼子は、再度ビクリと背筋を伸ばした。

「い、五十嵐さん……怖い」

 そう蚊の鳴くような声で呟くと、涼子はそそくさとその場に縮こまってしまった。

 そんな涼子の呟きが聴こえていたのか、朱音は少しだけ申し訳なさそうに頭を掻くと盛大な溜め息を吐いた。

「ふぅ……ごめんなさいね、青海さん。少し取り乱したわ」

「い、いえ……気にしないでください」

「それで、どうかしたの?」

 非常に落ち着いた態度でそう訊ねたのは、朱音のヒステリックに驚くことなく書類に筆を走らせていた少女、佐々木夏海ささきなつみである。担任である佐々木冬子の妹であり朱音達のクラスメイトでもある。女子にしては背が高く、姉が教師のためか少し大人びていて落ち着いた雰囲気を纏っているが、話してみると意外にもさっぱりとした性格をしていて話しやすい。そのため男女共に人気は非常に高い。現在では弓使い兼涼子と同じく朱音のサポート役を担っている。

 朱音は一度だけ鼻を鳴らすと夏海の問い掛けに対しこう答えた。

「別に。単に魔が差しただけよ」

「その魔が差すほど不機嫌になる理由があるんじゃないの? 例えば……今まさにそこら中に散乱している書類の束とか、ね?」

「……」

 何とも目聡い夏海の指摘に朱音は純粋に感心を抱きつつ、ストンと椅子に腰掛けてこう言った。

「まあ、少なくとも3分の1くらいは当たってるわね。何よこの依頼書、別にあたし達じゃなくて冒険者に依頼すれば良い内容ばかりじゃない。浮気調査なんて冒険者すら受けないわよ。探偵行け探偵」

「この世界には探偵が居ないから持ってきたんじゃないの?」

「だったら自分でやれば良いでしょうが!」

「い、五十嵐さん……落ち着いてください」

 勢いのまま立ち上がった朱音だったが、涼子に諭され渋々椅子に座り直し、不機嫌そうにぷくっと頬を膨らませる。

「だってその通りじゃない。別にあたし達がやらなくても良い依頼ばかりが持ち込まれてくるんだもの。普通怒るわ」

 朱音の言葉に涼子や夏海も思い当たる節があったのか微妙に顔を顰めた。

「それは……私もそう思います」

「確かに、この世界の人は私ら異世界人任せ……いや、他人任せ過ぎる気がしないでもないかな?」

「でしょ? あたしも始めはここまで見境無いとは思ってなかったわ。でも、こうしてこの世界の社会のことについて触れていると分かるのよね」

「この世界の人間は堕落している、って?」

「どちらかというと停滞ね。変化を恐れて現状を受け入れてしまっている。ぶっちゃけ、責任を押し付けられるのが嫌なんでしょうね。だからあたし達異世界人に責任を押し付けようとしている。体の良い身代わり人形ってとこかしら?」

 手に頬を載せ憮然とした態度で朱音は吐き捨てるように言った。

(こりゃ確かに『あいつ』が見限った理由も分かる気がするわ。人を道具としか見ていない。利用するだけ利用したら捨てようとしている魂胆が見え見えね)

 そんな運命を受け入れる事を否定し、自らの意思で旅に出た『彼』の姿を思い出し溜め息を吐く。

「身代わり人形……か。こちらに来た当初はそんな事微塵にも思わなかったんだけどね」

「今でも、私はちょっと分からないです。でも、五十嵐さんはそう感じたんですよね?」

「ええ。あなた達は比較的に聞き分けが良かったからこうしてあたしの話を聞いて危機感を持ってくれる。でも、生徒達の多くは微塵にも危機感を覚えていないわ。まるでゲームのようにこの世界で力を振るっていればいずれ元の世界に戻れると思ってる。でも、その考えがあたし達にもたらすのは希望じゃない。破滅だけよ」

「そうならないために、五十嵐ちゃんはこの場所を創ったわけだ」

「そう、ここ《クロス・ホープ》はそのために設立された組織よっ!」

 《クロス・ホープ》とは朱音、四郎、鈴子、遥の4人を代表とする組織、所謂《勇者ギルド》とも言える組織なのである。

 活動内容として活動資金調達のための魔物討伐に始まり、庶民から貴族まで問わず持ち込まれる依頼の解決及び、王家直々に下される特命まで様々である。時には冒険者ギルドと連携して事に当たることもあり、俗に言う何でも屋をより肥大化させたような組織とも言える。

「あたし達の目的は自らの手で希望を掴み取る事。そして出来る事ならこの世界の人達をその希望に導いて上げること。そして変化の先にあるのが不幸だとしても、不幸の先にあるものが不幸だとは限らないとこの世界の人達に教えて上げるのよ」

 《クロス・ホープ》設立当初、四郎はこう言っていた。

『《クロス・ホープ》とは、自らの信念を胸に人々を見えない希望あしたへと導く組織だ』、と。

 現在に希望が無いのなら過去にも希望は無い。だったら未来に希望はある。誰よりも前向きな四郎らしい言葉だ。

(でも、四郎にとっての希望って、やっぱり『あいつ』の事よね)

 今はどこに居るともしれない『彼』を思い出し、朱音は苦笑を浮かべた。

「それで五十嵐ちゃん。貴女が依頼内容があまりにも陳腐なものばかりで怒っているのは分かったんだけど、残り3分の2は何で怒っているの?」

「別に怒ってるわけじゃないんだけど……ちょっとムカついてる」

「まあ、何となく予想は付いてるよ」

 夏海の言葉に涼子も何となく予想できたのか「あー、成る程」といった感じに苦笑を浮かべる。

「龍崎君……ですね」

「そう! そうよ! 四郎の奴、《クロス・ホープ》を立ち上げたら立ち上げたで修行するとか言ってどっか行っちゃったのよ!? 全部あたしに仕事丸投げして!」

「それを言ったら遥さんだって修行のために出て行ったでしょ? 同じじゃないの?」

「は、遥はあたしが後押ししたわけだし強く言えないわ」

 1月前の《契約ゲーム》後、案の定意気消沈して部屋に籠ってしまった遥。そんな親友の姿を見かねた朱音は遥の部屋のドアを蹴破って突撃、更に突然の事態に面食らっていた遥の頬に平手打ち。その後色々あって珍しく怒った遥との口喧嘩の末、朱音が浴びせた叱咤激励の言葉で立ち直り魔法の修行のために、ある魔導師を師事しようと王都を出て行ったのだ。

 自分で後押しした手前、遥に文句を言うわけにもいかない。

 しかし、四郎は「何かあったら戻る」と言って勝手に修行に出たきり帰って来ないのである。

「お陰であいつのシワ寄せは全部あたしと鈴子に回ってきたわ」

 そう、現在《クロス・ホープ》の代表で残っているのは朱音と鈴子の2人だけ。しかし、鈴子は書類仕事があまり得意ではないため、必然的に山のような書類は朱音が処理する事になるのだ。

「まあ、逆に騎士団の訓練に参加して欲しいとか、そういう単純な要望は鈴子が代わりに請け負ってくれるんだけど、それでも人手が足りないのよねぇ……」

「まあ確かに、ウチが人手不足なのは否定出来ない事実だね。全ての生徒が協力してくれてるわけではないし、龍崎君が居ないのは相当な痛手だよ」

「四郎にも四郎なりの考えがあるとは思うんだけど……それでもちょっと腹立っちゃうわ」

「何だか、何日も帰って来ない夫を待ってる妻みたいですね……」

 涼子のボソッとした呟きを朱音は敏感に察知すると、不機嫌そうにぷいとそっぽを向いてしまった。

「別に、あいつとはそんな関係じゃないわ。からかわないで」

「お似合いだと思うんですけどね……五十嵐さん、人気者ですし。同じく人気者の龍崎君となら釣り合いも取れてると思ったんですが」

「確かにそうかもしれへんけど、恋愛ってそういうものやないとウチは思うで?」

 割り込むようにそう声を掛けてきたのは長い黒髪を1つに結っている大和撫子、一鈴子にのまえりんこであった。

 鈴子は朱音達の近くまで歩み寄ると適当な椅子に腰掛けた。

「あら鈴子、騎士団との訓練は終わったの?」

「うん。今日も一頻り団長にボコられて終わりや。ほんま、あの人容赦無いわぁ〜」

「手加減しないように頼んだのはあんたでしょ? 自業自得よ」

「う〜ん、まあそうなんやけど……あれでも団長、手心を加えてくれてると思うんよ。殺す気で来られたらウチなんて瞬殺やな」

「当然よ。先代の勇者と一緒に戦った英雄の1人で、現人間最強なんて言われてる人よ? 今のあんたやあたしじゃ天地が引っ繰り返っても勝てないわ」

「せやな」

 朱音自身《ステラ騎士団》の団長とは何度か手合わせさせてもらったことがある。分かりきっていることだが結果は惨敗。はっきり言って他の騎士に勝てるからと言って敵うような甘っちょろい相手ではない。あの四郎でさえ剣で打ち合うだけで精一杯なのだ。一従者に過ぎない朱音や鈴子では団長には触れることさえ叶わない。

「本人は歳だから心身ともに鈍ったとか言ってたけど、本当のチートってのはああいう人の事を言うんでしょうね。あれは反則よ反則!」

「まあまあ朱音っち、落ち着きや。それを言うたら最初から団長と打ち合えるキッシーの方が反則やろ?」

「……それもそうね」

 確かに四郎は勇者の名を持つに相応しい強さと才能を秘めている。団長の強さが長年培ってきた経験によるものならば、最初からその足下に及んでいる四郎の方がよっぽど反則だろう。

「で、話を戻すんやけど……何の話してたんやっけ? 朱音っちとキッシーが結婚するんやっけ?」

「うん、掠ってるけど限りなく間違ってるわ」

「2人とも人気者だから付き合っても釣り合うんじゃないかって話ですよ」

「ああ、そやそや。ウチとしたことが、思わずど忘れしてもうた」

 鈴子はケラケラと笑ってから話を再開した。

「何で釣り合いが取れとるのに2人がくっ付くのが間違っているのか、やったな?」

「はい、どうしてなんです?」

「青海ちも女の子なら分かると思うんやけどな、いくら釣り合いが取れとるる言うてもお互いが愛し合っとらんと意味無いやん? 確かに朱音っちは可愛いし、キッシーも他に居ないって言うくらいのイケメンや。お似合いやと思うで。でもな、お互いがお互いを思い合っとらんと意味無い。愛が無いのに付き合うんは、ドラマでよく見る両親が勝手に決めた政略結婚と同じや」

「そう……ですよね。私、龍崎君は人気者だから皆好きものだと勘違いしていました」

「ま、しゃーないんちゃう? 女子が付き合いたい男子ナンバー1のキッシーやからな。そう思ってしまうのも当然や。そもそも朱音っちは男子が付き合いたい女子ナンバー3やし、釣り合い取れてへんよ。釣り合い取りたいならハルちん連れて来んとな」

「それ、さりげなくあたしをディスってない?」

「さあ? 朱音っちの気のせいやないの?」

 飄々とした態度でそう言った鈴子を朱音は一度キッと睨むが、へにゃっと緩んだ鈴子の柔らかい笑みを見て怒気を抜かれ、はぁと溜め息を吐いた。

「それを言ったらあんただってナンバー2じゃない。釣り合い取れないわよ?」

「ウチは別にキッシーに恋愛感情は持っとらんしなぁ?」

「……ま、そうよね。あんたが好きなのは、『あいつ』だしね」

「……ふふっ、さぁ〜て、どぉやったかな?」

 相変わらず誤魔化すようにそう呟くと、鈴子はどこか遠い目をして『彼』の不敵な笑みを思い浮かべた。どこか哀愁漂うその表情に涼子や夏海は同性ながらも思わず見惚れてしまうほど絵になっていた。

 一頻りボーッとした表情を浮かべた鈴子は、思考を切り替えると同時に真剣な表情を作りこう話を切り出した。

「ところで朱音っち、さっきまた虎坂のアホがバカ仕出かしとったで」

「また? ホンッッット! 毎度毎度調子に乗って鬱陶しい奴ね。そろそろ本気で【拳砲】ぶち込んでやろうかしら?」

「それでもあのアホは反省せんやろ。あれは脳髄イカレとるからな」

 虎坂というのは朱音達と同じ異世界人、虎坂天架こざかてんかのことである。

 曰く、自分の事を誰よりも有能で格好良いと思っているナルシスト。曰く、常に他人を見下している不良。曰く、自分がモテていると思って女子にちょっかい掛けてくる勘違い野郎。典型的なDQNである。

 魔法と剣技の両方を扱えることから魔法剣士と呼ばれている。皆に慕われる四郎のことを一方的に敵視しており、先ほど夏海が言っていた《クロス・ホープ》に協力的でない生徒とは彼と彼の取り巻きのことである。

 異世界人の中でも天架の実力はそれなりに高く、なまじパラメータが高かったばかりに調子に乗りまくっている、現在朱音達が頭を悩ませる原因の1つでもある。

「傷害事件に器物破損、クラスメイトに対するイジメに果てには強姦未遂……ホント挙げたらキリがないほどのクズね。しかも本人には悪気が一切無いときた。日本なら即刻豚箱行きよ。……で? あのクズ、今度は何を仕出かしたの?」

「取り巻き引っ付けて騎士団に殴り込みに来たで? 『《クロス・ホープ》よりも俺達の方が有能な事を証明する』、とか言うてな」

「それでどうしたの?」

「ウチが1人で片付けたわ。異世界人て言うても訓練に真面目に取り組まん連中や。騎士団の方々の手を煩わせるまでもあらへん」

「そっ。なら良いわ」

「でもあれはまだ何か企んどる顔やったで? 止めなくてええんか?」

「別に構わないわ。あいつらが出来ることなんて屋敷に落書きするくらいのもんよ。あいつらが容易に手出し出来ないくらい、あたし達《クロス・ホープ》は大きくなった」

「せやな。ヘタにウチらに敵対しよ思うたら、王国そのものを敵に回しかねへんしな」

「そうよ。だからあんなクズは放っておきなさい。あんまりにも目に余るようだったら、今度はあたしが出るわ」

 そう言ってふんっと鼻を鳴らした朱音の瞳には、逆巻く怒りの炎が見え隠れしていた。

 鈴子は「おー、怖っ」と心の中で呟き肩を竦めた。

「それでさ。結局五十嵐ちゃんがムカついてる事って虎坂のことなの?」

 夏海の質問に朱音は首を横に振ってから、周りを警戒するように書庫全体を一瞥すると、声を潜めつつ口を開いた。

「これは騎士の人から聞いた話なんだけど……どうやら近々《魔人族》が侵攻して来るって噂が流れているらしいわ」

 朱音の話を聞いた3人は驚いたように目を見開くと、どういう事なのかと聞き返した。

「そ、それって……」

「戦争が始まる……ってことだよね?」

「……」

 朱音はコクリと首肯した。

「確かに、戦争は始まろうとしているわ。でもこの話、あたしは逆なんじゃないかと思ってる」

「? 逆ってどういうことや?」

「あたしなりに冒険者を雇ったりして《魔人族》のことを調べたんだけど……《魔人族》が人間を攻撃しようとしているなんて情報は一切無いのよ」

「それってつまり……」

「ええ。《魔人族》が準備が整ったから攻めてくるんじゃない。あたし達人間側の準備が整ったから攻めるのよ」

 朱音から告げられた思わぬ事実に涼子と夏海は言葉を失い、鈴子は目を細め神妙な顔つきを浮かべる。

「これはまだ憶測に過ぎないんだけど、そもそも《人間族》と《魔人族》がお互い緊張状態にあるって話すら本当かどうか危ういわ」

「それはどういう事や?」

「あたし達がこの世界に召喚されてどれくらい経ってると思う?」

「えーと、約3ヶ月と言ったところかな?」

「そう3ヶ月。もし本当に緊張状態にあるって言うなら《魔人族》側から何らかのアクションがあってもおかしくない期間だわ。それなのに何も無いってことは」

「人間が、一方的に魔人を敵視しとるっちゅう事か……」

「そっ。人間は魔人を敵視している。だから魔人も人間を敵視しているだろう。これが今の人間側の認識ね。でも、魔人が人間を敵視していないとしたら、戦争を起こす理由は?」

「侵略……」

 涼子がポツリと呟いたその言葉に朱音は首を縦に振って肯定する。

「これはあくまで憶測に過ぎない。でも、本当だとしたら一大事よ。異世界の救世主から一転、侵略者になりかねないわ」

「で、でも、それが事実だとしたら何故本当のことが伝えられないんでしょう?」

「あたし達を協力させるため……でしょうね。《魔人族》が敵じゃないと分かったら異世界人を駒として組み込めないかもしれない。だからあえて嘘の情報を伝えてあるのかも」

「だけど人間と魔人が緊張状態にあるって情報は女王様から伝えられたものだよね? 私から見て、女王様はそんな嘘を伝えてわざわざ魔人を攻撃しようなんて考えてる人には見えないんだけど?」

「女王様自身嘘の情報で操られてるって考えたらどうかしら?」

「そんなこと出来る人が居るの?」

 夏海の問い掛けに、朱音は《エタニティ》に来た当初に出会った胡散臭い笑みを浮かべる教皇の顔を思い浮かべた。確かにレイトムならば言葉巧みに女王を操るだけの地位と発言力がある。だがしかし、彼が本当に黒幕かどうかは事実無根であるため定かではない。余計な混乱を招くわけにもいかず、朱音はあえてその名を口にせずこう締め括った。

「ここまでの話はあくまであたしの憶測。余計な混乱を起こさないように他言無用でお願いするわね。でも心の片隅にこの話は留めておいてちょうだい」

「了解(や・しました)」


    ◆◇◆◇◆


「それにしても、私達も変わったよね」

 書類整理を再開して30分。ふと夏海がそんな事を呟いた。

「何よ突然?」

「いや、何となくそう感じちゃってね。だってそうでしょう? 1月くらい前まではいつ攻めてくるか分からない《魔人族》を警戒して訓練に明け暮れるばかりだったのに、今ではもっと視野を広げてこうして《クロス・ホープ》で働いてる」

「そう言われてみると……うん、夏海さんの言う通りですね。私も想像してなかった」

 夏海の言葉に共感するように涼子もしみじみとした声音でそう呟く。

「激動の1ヶ月だったね。突然龍崎君がギルドを創ろうなんて言ってきて」

「たった1ヶ月で、騎士団や冒険者に並ぶ一勢力として数えられるほど大きくなった」

「全ての発端は……やっぱり、あの出来事なんだろうね」

「「……」」

 あの日、《契約ゲーム》が終結したその瞬間は今でも鮮明に朱音と鈴子の脳裏に焼き付いている。

 理不尽とも思える境遇に置かれながらも迫り来る精鋭を薙ぎ倒し、最弱の従者でありながら最強の勇者である四郎を下した『彼』。

「『夜白三月』君……か」

 誰よりも低いパラメータが原因で【最弱の従者】の烙印を押された自分達と同じ異世界人の少年。彼が刀一本で襲い来る理不尽の波を振り払ったことで全てが変わった。

「あの日……彼が出て行ってから何もかもが変わった。姉ちゃんは以前にも増して指導に力を入れるようになったけど、ふと何かを思い悩むようにボーッと遠くを眺める事が多くなった」

「女王様も、まるで自分を責めるかのように辛そうにしている時があります。その所為か体調も崩しがちのようですし……」

「ねぇ、1ヶ月前のあの日、夜白君は一体に何をしたの? 2人なら知ってるんでしょう?」

 夏海の問い掛けに朱音と鈴子はしばし口を噤んでいたが、やがて観念したかのように口を開いた。

「2人は、《契約ゲーム》のことについて、どこまで聞いとるん?」

「え? え〜と……夜白君が旅に出るに当たって、女王様と佐々木先生に提示したゲームでしたっけ? 16人の精鋭と夜白君1人で対決するっていう。龍崎君や五十嵐さん達も参加したんですよね?」

「そっ。その結果、あいつはたった1人であたしら全員を打ち倒し、ゲームに勝った」

「何でそんなゲームを仕掛けたんでしょう? 黙って出て行けば良いだけなのに……」

「そのことについても色々噂されてたね。新たな力を手に入れた彼の暴走とか、人間を見限って魔人に寝返ったからとかね」

「果てには夜白は女神の使者であり、勇者である四郎に試練を課すためだった、とか教会がほざいてたわよね。宗教家ってのは、どうしてああも自分達の都合の良い解釈しか出来ないのかしら?」

 朱音は心底呆れた様子でそう呟くと、涼子と夏海に視線を向けてこう言った。

「貴女達が聞いた内容は、どれもこれも間違ってる。あいつがゲームを行った理由はただ1つ。見極めることよ」

「見極……める? 一体何を?」

「何もかもよ。自分の力、四郎の才能、あたし達の結束、騎士の力、女王と先生の器。多分あいつはゲームが始まる前からずっと見極めるために動いていたんだと思う」

「なんぼなんでも先生と女王の器については、ゲームが始まる前に見極められとったと思うで?」

「? どういうこと?」

「何でもキッシー、ヤッシーから女王と先生への伝言を頼まれとったらしいんや」

「伝言って、どんな?」

「『やっぱりあんたらは、人の上に立つ器じゃない』」

「この言葉を聞いて、最初あたしは単純に夜白の奴がゲームに勝ったから勝ち誇ってたのかと思ってたけど、最近になって意味が分かったわ。あのゲームは、受けちゃいけないゲームだったのよ」

「っ!? どういう意味なの?」

「あのゲームはね、先生と女王だけは絶対に受けちゃいけなかったの。ゲームを承諾することで、夜白を手放す確率を高めることになるんだから」

「あのゲームには人数制限が設けられとった。つまり、ゲームを承諾することで先生達は自動的に戦略の幅が狭められたっちゅうわけや」

「人の上に立つっていうことは、代表となって下の人々を導くってこと。誰1人欠けさせずに導かないといけないの。でも、先生達は……」

「ゲームを承諾し、結果夜白君を失った」

 夏海の言葉に朱音と鈴子は首を縦に振った。

「先生達はゲームを承諾せずに力尽くで夜白を止めるのが正解だったの。だけど2人はゲーム承諾した。この時点で『人の上に立つ器じゃない』。そしてあまつさえ彼に敗北してしまった。だから『やっぱり・・・・人の上に立つ器じゃない』」

「それに気付いてしもたから、今も2人は思い悩んでいるんやろな」

 《契約ゲーム》の思わぬ真実に涼子と夏海は視線を落とす。

「夜白君は、何で見極めようなんて思ったの?」

「見捨てたくなかったのよ。少なくともあいつは最後の最後まで遥のことを気に掛けていた。あいつは誰よりも自分勝手だけど、それ故に自分の大切なものだけは捨てられなかった」

「先生達への言葉も何かのアドバイスだったのかもしれへんな」

「ふふっ……かもしれないわね」

 そう小さく微笑みを浮かべると、朱音は窓の外へと視線を移した。

(とは言ったものの、あたしもあいつが何を考えてんのかは実のところよく分かんないのよねぇ……)

 結局のところ夜白三月という少年が何を考えて行動しているのか、そもそも何かを考えて行動しているのかどうかすら、朱音自身よく分かっていない。恐らく彼を理解出来るのは彼本人か、親友である四郎くらいのものだろう。

(だけれども、少なくともあんたはあたし達の《希望ホープ》よ。癪だけどそれは認めたげるわ)

※6/28 半月→1ヶ月 三月が城を出て数週間経過した後に半月経過したので約1ヶ月だったので訂正

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ