044 切り札VS切り札
「と、突然何だ!? 何が起こったんだ!?」
突然の事態に慌てた様子でそう叫ぶルシルだったが、それとは裏腹に三月は至極冷静な表情で目の前の障壁を解析し始めた。
青白い障壁の表面には紅い輝きを放つ幾何学模様が浮かんでおり、それが魔力を発していることが見て取れた。更に天井にはこの障壁の発生源と思われる赤と青のブロックのような物が設置されている。恐らくはこの障壁、もとい結界を発生させるための魔導具なのだろう。
この結界とは、以前《契約ゲーム》において三月の幼馴染である二遥が使用していた結界魔法と同質のものであり、高位の魔導師にしか扱えない上級魔法の技術の1つとされている。しかしある時、魔力を込める事で結界魔法を扱えない者でも、結界を張ることを可能とする《結界器》と呼ばれる魔導具が開発された。《箱庭》と同じく超高額であり、使用魔力量が尋常じゃないくらい多い。更に魔力を込める時間が掛かり過ぎるという不便さから、あまり名の知れた魔導具という訳でもない。しかし、魔力さえ込める事が出来れば、誰でも結界魔法と同強度の結界を張ることは可能な、使い方次第では強力な戦力となり得る魔導具とも言える。
恐らくこの盗賊達はどこからかこの《結界器》を盗み出し、隠れ家にやって来た冒険者を誘き出しては捕縛用の罠として使用していたのだろう。
「ふむ……ちょくちょく奴らが襲撃してきていたのは、この《結界器》に魔力を込める時間稼ぎのためだったのか。成る程、納得した」
「納得してる場合じゃねぇぜ、ミツキ兄っ!! オレ達閉じ込められちまったんだぞ!?」
焦ったように叫ぶルシルを無視しつつ、知識欲をそそられたのか興味深そうに結界を観察する三月。
とその時、結界の外からドッと弾けるような下品な笑い声が響き渡り、数十人の盗賊達がわらわらと結界の周りを取り囲み始めた。
「ギャハハハッ! まんまと引っ掛かりやがったなこのマヌケがぁ!」
結界越しにニヤつきながらそう言ったのは、三月達が追い掛けてきたあの3人の盗賊の内の1人だった。
「例えテメェらがどれだけの化け物だろうと、この結界から抜け出すことはできねぇぜ! せいぜい餓死するまでもがき苦しむんだなぁ! ギャハハッ!」
そう言って笑う盗賊だったが、三月は全く意に介した素振りも見せず、ただ淡々と結界を観察し続けていた。そんな三月の態度に腹が立ったのか、盗賊は顔を怒りに歪めて叫び散らした。
「聞いてんのかゴラァ!?」
「ふむふむ、結構硬い結界だな。遥の【四重精霊結界】と同じくらいか? 大量に魔力を込めているだけあって強度は中々のものだ。改造して色々と結界に効果を付与することも出来るだろうか? むぅ、研究すれば意外と出来るかもしれないな」
「オラァ! テメェふざけてんのかぁ!? 反応しろやぁ!」
しかし三月は盗賊の言葉に耳を傾ける様子は全く無く、盗賊は諦めたのかどこか自慢げに結界の説明をし始めた。
「その結界の強度は鋼よりも硬いと言われる危険度Sランクのドラゴンの皮膚と同等! しかも閉じ込めた人間の魔力を封じる【封魔結界】だぁ! 物理攻撃でも魔法攻撃でも破壊する事はできねぇぜぇ! そこんとこ分かってんのかぁ! ぁあ!?」
「お、おいミツキ兄。大丈夫なのかよ……? この結界、相当ヤバイぜ」
「ほぉ? 確かに魔力が放出できないな。刀に流そうとしても瞬時に内側に引っ込められる。興味深い……」
危機感など覚えていないかのようにそう呟く三月。しかしルシルは相当焦っていた。
三月は速度を重視した【抜刀】と、魔力を断つ特殊な剣技を得意とする。しかし魔力の使用を禁じられた今、【魔斬り】含めその他の魔力を使用した一切の技が封じられている。つまり、結界を破壊するだけの攻撃力を発揮できない恐れがあるのだ。
しかも結界の強度は遥の【四重精霊結界】とほぼ同等。あの時は魔力を断つ効果を持った【月桂樹】を使用していたため何とかなったが、今回ばかりはそうもいかない。ジョンドが作った【八式】は確かに驚異的な切れ味を宿しているが、魔力を流す事で性能を発揮する妖刀。魔力を流せないこの状況では本来の性能を発揮する事が出来ないということなのである。
絶体絶命とも思えるこの状況。だが、三月はむしろ楽しんでいるかのように爛々と目を輝かせながらクスクスと笑みを浮かべ、じっくりと結界を観察していた。
何故こんな状況にもかかわらずそんな楽しそうにしているのか、ルシルには甚だ疑問だった。同じく、盗賊達も今までの冒険者とは違う三月の態度に戸惑いを隠せないでいた。
だが、もしこの場に長年連れ添ってきた四郎や遥が居たのならば、三月の目を見て、その目が何を意味するのか気が付くことが出来ただろう。三月が爛々と目を輝かせて何かを観察している時は、大抵良からぬことを企んでいるのだということを。
かつて元の世界で周囲の人間から《大天災》と呼ばれていた三月は、悪巧みをしている時はいつもこの顔をしていた。つまり何かとんでもないことをやらかす時にのみこの顔を浮かべているのである。
昔からの付き合いがある人間からは三月のこの笑い顔は《不吉の前触れ》と呼ばれ、大天災の前兆として恐れられていた。
数々の天災を巻き起こした三月だったが、まあ所詮は数多くの人間を巻き込んだだけの盛大な悪戯に過ぎなかった。しかしこの世界《エタニティ》において、この《不吉の前触れ》は向けられた者の生死にかかわる大惨事の前触れへと変貌を遂げる。
三月は【八式】へと手を伸ばすと、無言で結界に歩み寄り【抜刀】の構えを取った。
すぅっと一度深呼吸をして精神を統一すると、体が内包する《存在力》をゆっくりと、そして確実に体の内側より捻出し、手の平の黒刀へと移動させる。
やがてゆらゆらと鞘とその周囲の空間に歪みが生じ、完全に《存在力》の移行が完了したことを確認すると、三月は戸惑いの表情を浮かべている盗賊達が透けて見える、紅い幾何学模様の描かれた青白い結界をじっと見据えた。
一体何が起こるのだと一同は緊張を孕んだ表情で事の成り行きをただ無言で見つめ続ける。
そしてその瞬間は唐突に訪れた!
突如三月がキッと結界を睨み付けるが如く眼差しを凄めたその時、一瞬だけ【八式】の柄に触れる三月の手がブレたかと思われた直後、突如としてけたたましい打撃音が洞窟全域に響き渡った。
ギガガガァン! ギギガガガガガァン! ギガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッシャァァアアアアアアー!!
まるで金属で硝子を思い切り叩き割っているかのような甲高い音が響き渡る度に、目の前の結界が波を打つようにぐらぐらと揺れる。
自分達の切り札であり、最高の盾でもあった結界が、ただの人間の攻撃で形を崩されている。そんな異常とも言える事態に盗賊達は戸惑いの色を一層強め、不安そうな表情を浮かべながらざわめき始めた。
「な、何だぁ! こりゃぁ!?」
「け、結界がぁ!? 結界が壊れるぅ!?」
「やめろぉ! やめてくれぇ! やめやがれぇ!?」
三月は尚も攻撃の手を一切緩めず、結界に対して怒涛の連続攻撃を繰り返し続ける。徐々に結界はその衝撃に耐えられなくなり、表面にヒビが走り、そして遂に、
パッキャァァアアアアアアアアアンッ!
硝子が割れるような甲高い悲鳴を上げながら、結界はとうとうその限界を超えて粉々に砕け散った。
一切の魔法や魔力すら使用することなく、単なる物理攻撃のみでドラゴンの鱗の約2倍の強度を誇る結界が破壊されたという常軌を逸したその光景に、三月以外の誰もが言葉を失い呆然とした。中には驚きのあまり腰を抜かして、尻餅を突いている者の姿もあった。
三月は刀へと移していた《存在力》をゆっくりと自らの体へと還元すると、ふぅとかったるそうに溜め息を吐いた。
「やれやれ……やっぱり《存在力》を使用して繰り出す技は疲れるな。尋常じゃないほどの集中力で精神も疲労するし、腕への衝撃も倍増するから筋力値が低いとすぐに筋肉痛になる。何か対策を考えねばな」
そう独り言のように呟いて【八式】を鞘に戻すと、もう一度深い溜め息を吐いた。
――【牙連】、それが今回三月が編み出した新たな【抜刀】の名である。
この【牙連】とは、以前フェンリル戦において使用した《存在力》で不可視の刃を構築して攻撃の手数を増やす【三爪】、それの応用である。
【三爪】は構築した2本の刃を元々の刀身の左右に配置して獣の爪のように斬り裂く剣技だった。だが【牙連】はそうではなく、構築した刃を横ではなく縦に配置して元々の刀身と全く同じ軌道で斬り裂く技だ。コンマ1秒のタイムラグも無く、一点に集中して殺到する複数の斬撃。攻撃の集中する一点へのダメージは通常の【居合】の数倍にも跳ね上がる。例え結界が危険度Sランクのドラゴンの皮膚と同等の強度であろうとも、耐え切ることは不可能である。
しかしこの【牙連】は通常の何倍もの負担が刀に掛かるため、【八式】のような柔軟性と強度を併せ持っていなければ刀が壊れてしまうため繰り出すことはできない。その上、使用者に伝わる衝撃は凄まじく、筋力値と耐久値が低いと確実に筋肉痛になるというデメリットも存在する。
だが、そのデメリットを差し引いても余りある強力なスキルであることには変わり無い。これこそが、攻撃力不足を解消するために、三月がこの半月の間に編み出した切り札である。
三月は呆然と立ち尽くしている盗賊を一瞥すると、後ろで固まっているルシルにチラと視線を送りこう言葉を投げ掛ける。
「敵の数は43人。1人を残して皆殺しだ」
「へっ? あ……うん、了解だぜ」
そう言って駆け出した三月に倣って、ルシルはダッと地を蹴って走り出す。
切り札を失って慌てふためく盗賊達に為す術は無く、そこからはただ一方的に蹂躙されるだけの道しか、残されていなかった……。
◆◇◆◇◆
「さぁ〜て、俺の質問に答えてもらおうか?」
三月は少女のような整った美貌を返り血で濡らしながら、黒刀の切っ先を壁に張り付けにして拘束した盗賊の首筋に突きつけそう言った。目の前の人間を家畜程度にしか見ていない絶対零度の眼差しもさることながら、黒衣を着ていることも相まってその姿はさながら地獄からやってきた死神である。
「……」
盗賊は泣きそうな表情を浮かべながらも口を噤んで、何も話すまいと必死に恐怖に耐え続ける。
「ふーん、だんまりか。じゃあ、お前もあの中に加わるか?」
「っ!?」
そう言って三月が指を差すのは、後ろに転がっている42人の盗賊の亡骸だ。切り札を失った盗賊達は為す術も無く蹂躙され、唯一生かされたのはこの盗賊ただ1人である。
三月は再び目の前の盗賊へと視線を戻し、口元をにんまりと歪ませてぐいと顔を近付け、耳元で囁くようにこう言葉を紡いだ。
「お前は運が良い。何てったって最後の1人に選ばれたんだ。そんなラッキーなお前にはチャンスをやろう。俺の質問に答えろ。そうすれば……な?」
そう言って三月はにっこりと邪悪な笑みを浮かべる。
盗賊は三月の笑みに生理的な恐怖を感じ、その身を震え上がらせ、全力で首を縦に振った。
「そうかそうか、答えてくれるか。じゃあ早速1つ目。お前達の目的は何だ? 何故獣人の子供を攫っている?」
「し、知らねぇ。俺達はただ、頭領の命令に従って近くの村から獣人のガキを攫って来ていただけだ。頭領が言うには、良い金づるが出来たって……」
「その金づるってのは何だ? 組織か?」
「し、知らない。ただ頭領は獣人を攫って大儲けが出来るって。それ以外の事は何も知らされてねぇんだ!」
「ほぅ? まあ、良いだろう。それじゃ、2つ目の質問だ。攫った獣人達はどこに居る? 別の場所に隠しているんだろう?」
そう、三月とルシルは盗賊を殲滅した後、洞窟内全体を隈なく探したが、攫われた獣人の子供を発見する事は出来なかったのだ。そこで、三月は隠し場所は別にあると考えた。
「し、知らない。俺達の役目はあくまでガキ共を攫うだけだ。その後はこことは別の本拠地に連れて行かれる」
「本拠地の場所は?」
「お、俺達は知らされていない。もしもの事が起こった時のために本拠地の場所がバレないよう、俺達には秘密なんだと」
「ほぅ? 中々考えているな。その頭領とやらは相当な切れ者らしい。それで? その回収役の奴はいつやって来るんだ?」
「わ、分からねぇ。ある程度獣人を回収したと頭領が判断した時にやって来る」
「そうか……じゃあ3つ目の質問だ。ここに来た俺達以外の冒険者はどうした?」
「半分以上は殺した。だが、まだ若い冒険者は獣人のガキと同じく本拠地に連れて行かれた。た、多分奴隷にでもして売るんだと思う」
「そうか。これだけ聞ければ十分だな。そろそろ終わりにしよう」
そう言って黒刀をカチンと鞘に戻すのを認めると、盗賊はほっと溜め息を吐いて心底安堵する。だが、三月は何かを思い出したように「あぁ、そうそう」と呟くと、
ザシュッ。
「えっ……?」
刹那の内に抜き放たれた黒き刃は、盗賊の首筋を横一線に綺麗に通り抜けると何事も無かったかのよう再び鞘の内へと収められた。
「お前は質問に答えたけど……俺はお前を見逃してやるなんて一言も言ってないぞ? せいぜい苦しまないで逝くんだな」
そう吐き捨てるように言い放つと、首から鮮血を迸らせて絶命した盗賊に背を向けて歩き出す。
三月の所業の全てを目撃していたルシルは、気分が悪そうに顔を顰め、吐き気を堪えるように口元を押さえた。
「ミツキ兄、悪趣味過ぎるぜ……おぇ」
「必要なことだ。我慢しろ」
「だからってアレは無ぇぜ……ちょっと残酷過ぎ」
「本来、殺人に酷いか酷くないかの度合なんて存在しない。人それぞれ殺人に対する受け止め方が違うだけだ」
「そう……なのかな?」
「さあな。それ以上は宿に戻ってから自分で考えろ」
そう言ってさっさと歩き去って行く三月の背中をじっと見つめ、ルシルは思いつめたような表情を浮かべると、
「今のオレじゃ……分からないこと、か。んじゃ、ミツキ兄の言った通り後で考えるとすっかな!」
無駄にポジティブ思考に切り替えたルシルは、いつの間にかに見えなくなっていた三月の後を慌てて追い駆けて行った。




