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肆国演義-冒険伝奇-   作者: 山道 歩
第弐章『天鏡之空』
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 がらがらと車輪が道路の敷石を掘削する音が尻から伝わってくる。時々大きな振動があり、そのたびに木々の爆ぜる音と、人々の悲鳴が響いた。

 何が起こっているのかわざわざ外へと顔を出さなくても分かっていた。つい今しがたまで自分たちはこの戦車に追われていたのだ。 黎華らいかは捕らわれてから終始無言だった。

 黎華らいか泰斗たいとに対して顔を背けているので、彼女がいったいどんな表情をしているのかは分からない。

 騒音に満たされているはずの戦車の中だったが、自然と人の気配が近づいてくるのが分かった。二人がいる場所は扉も何もない。ただの物置になっている部分だ。

 その入口からひょっこりと顔を出したのは強毛の男。

 男は口をきつく閉じむっすりと座り込む二人を見、にかりと笑う。砌剛せいごうだ。

 黎華らいかは鋭くねめつけたが、砌剛せいごうはまったくひるまなかった。


「すまねぇな、お姫様よ」


 戦車の轟音にも負けない大声で砌剛せいごうが言う。怒鳴ってもいないのにこの男の声はよく耳に届いた。

 黎華らいかはむっすりと押し黙ったまま、拳ほどしかない薄汚れた窓から外を眺めている。


「おいらたちをいったいどうするつもりだ」


 黎華らいか泰斗たいと共に腕を縛られているために身動きがほとんど取れない。

 黎華らいかを庇うように泰斗たいとが体をずらして前に出た。


「どうするも何も、べつにとって食おうってわけじゃないが……」


 無精髭の残る顎をなでながら、砌剛せいごうはしばしあさっての方を見る。

 日に焼けた顔は薄暗い戦車の中ではほとんど真っ黒だった。その中に光る白い目だけが、異様な鋭さをもって泰斗たいと黎華らいかの二人を射た。 一瞬身を強張らせ、泰斗たいと砌剛せいごうから目をそらす。


「俺が怖いか、坊主」


「こ、怖くなんかないよ」


 声の震えを押さえようと努力したが、それは全く無意味だった。拘束されてからずっと、体の震えが止まらない。


「言い返せるだけの度胸があればたいしたもんだ」


 心底そう思っているのか、砌剛せいごうは一度大きく笑ってから二人の縄を確かめもせずにその場をあとにした。

 砌剛せいごうが去ったのを確認してから泰斗たいとは振り返って黎華らいかを見る。鳳凰ほうおう帝国の姫君は、窓から外を見たまま身動き一つしていなかった。


 戦車の最前部に兎狸とりはいた。

 彼は双眼鏡を覗き込み指示を出す。その指示に従って、彼の前下方にいる二人の部下が戦車を操舵そうだするのだ。

 戦車の動力は高価な黒煙油。安価な石炭よりも馬力があり、また量も少な目で済んだ。何より石炭のようにいちいち誰かが補充するという手間がかからない。それが大きな利点だった。

 戦車を用意したのは砌剛せいごうだった。彼はどこかしらから軍の使い古した戦車を持ち込み、それを部下を使って改造したのだ。

 外装には鉄板を使い、棒火矢程度の攻撃ならば耐えられる。正面には厚手の鉄棒を仕込み、石塀を体当たりで打ち壊せるようにしてある。

 そして、何よりも兎狸とりが気に入っているのは大砲だ。これは炸裂薬を用いて鉄の玉を打ち出すというきわめて簡単なものだった。しかも命中率が悪く、今まで一度も標的に命中したことがない。しかし、その音と見る者を圧するの威圧感は、そこにあるというだけで持つ者には絶大な自信を、見る者には恐怖を与えていた。

 そして、本来ならば鉄球だった弾を、炸裂薬の詰まった弾に変えて打ち出すという案を砌剛せいごうが出し、今回それが見事に功を成した。


「お頭、どうでした?」


 双眼鏡から目を離さずに兎狸とり、彼は気配で人を区別できるらしかった。


「坊主はともかく、姫様はだんまりだ」


 砌剛せいごう、どかりと兎狸とりの後ろに腰を下ろす。兎狸とりは口だけで笑った。


「そうでしょうね。撃て!」


 鈍とした振動が砌剛せいごうの体を揺らす。太蘭たいらんの街の外壁を破壊するために炸裂弾が撃ち出されたのだ。わずかの時間をおいて爆薬の炸裂音と、外壁の崩れる音が響いた。


「そのまま前進、外壁に少し乗り上げるかもしれんが、構うな」


 兎狸とりの言葉が終るよりも早く、戦車が大きくかしいだ。破壊した外壁の破片を乗り越えているのだ。


「奴ら…追ってきますかね」


「当たり前だ」


 そっけなく言い、砌剛せいごうは目をつむった。


「連中、牽奄けんあんから天翔を持ち出すぞ」


 戦車の中にいた誰もが一瞬砌剛せいごうの顔を見る。砌剛せいごうは目をつむったまま腕を組んで寝入りの体勢に入っていた。ただ兎狸とりだけが冷静に前だけを見ている。


天翔てんしょう……それは確かなことで?」


「勘だな。だが、俺ならそうしている」


 兎狸とりはもっともだと頷いた。だが同時に不安も胸中にあった。鳳凰ほうおう一の速さと移動距離を誇る飛空艇ひくうてい、天翔が出てこられてはいずれ追いつかれてしまう。


「なぁに、心配するな」


 兎狸とりの心を読んだように砌剛せいごうは言った。


「こちらにも切り札はある。ちと足は遅いがな。まぁ何とかなるさ」


 砌剛せいごうの回答はのんびりとしたものだった。


「あれが、完成したんですか?」


 兎狸とりが目を輝かせた。見ると戦車内の仲間たちにも歓喜の表情が見て取れる。砌剛せいごうはそんな仲間たちの表情を見、満足げに頷いた。


「昨日の深夜、報が届いた。あいつらには無理させちまったな」


 あいつらとは砌剛せいごうの仲間、訳あって砌剛せいごうたちと別れ、別の場所で逃亡の準備をしている連中のことだ。


「連中はそうは思ってないと思いますがね」


 兎狸とり砌剛せいごうのささやかな心遣いが好きだった。砌剛せいごうはいつも仲間のことを考えて行動している。砌剛せいごうが先陣をきって敵地に乗り込んでいくのもこのためだ。


「いいか、盗賊なんてものは五年ももてばいい方だ」


 ある日の夜、砌剛せいごう兎狸とりと酒を交わしながら言ったものだ。


「みんなそれぞれ夢を持っている……初めから盗賊になりたい奴なんていない。俺もそうだった」


 兎狸とりはこのとき驚きを隠さなかった。この盗賊をするために生まれてきたような男は、波乱ではなく平安を望んでいたのだ。


「だが、盗賊になった以上、人様の物を掠めなけきゃ生きていけねぇ。俺は頭になった以上盗賊をやめるわけにはいかねぇ」


 だいぶ酒が回っているのか、ふらふらとした手つきで砌剛せいごうは酒を酒瓶ごと口に運んだ。兎狸とりはちらりと足もとに視線を落とす。酒瓶は既に十を越え、そのほとんどを砌剛せいごう一人で飲み干していた。


「だがお前たちは違う。まともな生活がしたいだろ?」


 兎狸とりは黙ったまま砌剛せいごうの顔を見つめる。


「家族を持って、幸せな家庭を築くそれが男としての夢じゃないか」


 兎狸とりは何も言わず、砌剛せいごうの顔を見る。


「お頭も、家族を持ちたいんで?」


 やっとそれだけが口からこぼれる。


「そうだなぁ」


 砌剛せいごうは腕を組み背もたれに寄りかかる。兎狸とりの見ている前で砌剛せいごうの体が傾いた。

 兎狸とりが「危ない」と立ち上がったときには既に、砌剛せいごうはどうと倒れて床の上で高いびきをかいていた。

 結局、兎狸とり砌剛せいごうから答えを聞き出すことはできなかったのだ。


「ようし、戦車を止めろ」


 兎狸とりの号令でゆっくりと戦車が停止する。太蘭たいらんの街から一日、ひたすら東に進んだこの辺りに人の姿はない。


 心配していた追っ手の姿は今はなかった。おそらく、密偵が後をつけていると思われるが、それほど気にするようなことではない。これから、砌剛せいごう達はさらに驀進ばくしんするからだ。


周りは荒涼とした原野が広がり、吹きつける風にも自然の暖かみというものが欠如していた。

 頂竜の刻はとっくに過ぎ、陽は沈もうとしている。


「お頭」


 砌剛せいごう兎狸とりの言葉にゆっくりと頷く。兎狸とりと席を交代し、戦車を再び始動させた。

 黒煙を噴き出し戦車は走り出す。戦車の走る先には小高い岩山があった。

 砌剛せいごうが目指しているのはその裏。

 寂れた大きな屋敷があり、穴の空いた板葺き屋根は人足が絶えて久しいことを示している。だが、戦車が近づくと、中から人影が現れた。


「おうい」


 兎狸とりが呼びかけると中の何人かが手を振った。

 やがて戦車は古びた屋敷の前で止まった。


「おうお前たち、すまなかったな無理をさせてよ」


 砌剛せいごうが戦車から飛び降り、屋敷から出てきた男たちの肩をぽんと叩く。


「お頭にそう言ってらえるだけで、ウチらは満足じゃ」


 白髪の老人がしわをさらに深く刻ませてくつくつと笑った。


「ようし、二人を降ろせ」


 やがて後ろ手に縛り上げられながらも鋭い目付きで周囲を睨つける黎華らいかと、おそらくは戦車に酔ったのだろう。ぐったりとした泰斗たいとが引きずり降ろされた。

 地に降ろされ、男たちに囲まれても黎華らいかの態度は相変わらずだった。


「お前たち、降参するなら今のうちだぞ。今なら…」


はりつけで勘弁してやるって言うのか?」


 砌剛せいごうが皮肉げに笑い、黎華らいかは押し黙る。

 男たちは表情を変えず。泰斗たいと黎華らいかの縄を解く。ほっとしたのもつかの間、その代わり足に鎖がはめられた。鎖は黎華らいか泰斗たいとをつなぎ、つながれた二人は状況を把握できずにしばし茫然としている。


「これでお前たちは一心同体だ」


 兎狸とりがにやりと笑う。黎華らいか泰斗たいとは思わず顔を見合わせた。


「逃げたければ逃げればいい。その代わり見つけたらまずガキを殺す」


 砌剛せいごうがぎろりとねめつけ、泰斗たいとは震え上がった。黎華らいかの表情も固い。


「その鎖は頑丈にできている。日に日に腐っていく死体と一緒に暮らしたくなければ莫迦なことは考えないことだな」


 黎華らいかははらわたの煮えくり返る思いで鎖を蹴り上げる。蹴り上げながら、あることに気づきはっと顔を上げた。


「おい、この鎖をずっとつけていろというのか、食事の時も、寝る時も……」


「そして、雪隠せっちんの時もだ」


 黎華らいかの言葉に続けて兎狸とりがいやらしげに笑った。

 黎華らいかはたまらず悲鳴を上げる。雪隠せっちんとはつまり、かわやのことだ。


「足をつながれたままでは、着替えもできないではないか。私にずっとこのままの恰好でいろというのかお前は」


 狼狽ろうばいする黎華を砌剛せいごうたちはおもしろそうに眺める。


「そういうことだな」


 砌剛せいごうはそっけなく言い、空を見上げた。

 雲が糸のように細く棚引いている。上空は風がかなり強い。


「大丈夫ですかね?」


 兎狸とりが隣に立ち、砌剛せいごうを見上げる。強毛の男はただ頷いた。


「よし、出発するぞ!」


 砌剛せいごうの号令に、男たちがおおと応える。

 男たちは紐を手に四方に走り出した。紐は屋敷の壁につながれている。

 何をするのかと泰斗たいとが見ていると、きしんだ音を立てて屋敷の壁が倒れてくる。屋敷は偽装用のものだった。

 そして、中から現れたのは船のような形をしたもの、否。


「まさか、飛空艇ひくうてい……なのか?」


 黎華らいかが目を丸くする。泰斗たいとも驚きに目を見開いていた。


「ああ、天翔ほどのでかさと速さはないが、今までとは比較にならない」


 砌剛せいごうは自慢げに黎華らいかを見下ろす。


「こいつなら行くことができる」


 砌剛せいごうは呟いた。泰斗たいとはその自信たっぷりの口ぶりに思わず砌剛せいごうを見上げる。


「この世界の最果てに」


 砌剛せいごうの呟きが、泰斗たいとの耳にしっかりと届いた。

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