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肆国演義-冒険伝奇-   作者: 山道 歩
第参章『最果之空』
13/14

 どれくらいそうしていただろうか。



「ん?」



 泰斗たいとの肩に手を置いたまま、黎華らいかは身を起こした。



「あれは……何だ」



 泰斗たいとも顔を上げ目の前の光景にぽかんと口を開ける。



「鉄の……飛空挺……」



 大破し赤錆びにまみれた朽ちた飛空挺が目の前を通りすぎていく。過去にここを訪れ妖魔に襲われたのだろうか。



 飛空挺は地面から伸びる柱に串刺しにされていた。



 飛空挺を支えているのは巨大な正方の柱。それも石の柱だった。その壁面にはいくつもの丸い穴が規則正しく空いている。それがいったい何のためなのか泰斗たいとには分からなかった。



「おい、柱にぶつかるかもしれん。危険だから中に入りな」



 兎狸とりが割れた窓から顔を出して言った。 目の前すれすれを石の柱がかすめていく。




 飛空艇は風に流され大きく揺れた。



「気流が乱れている……外は危ないぞ」



 泰斗たいと黎華らいかを見、黎華は小さく頷いた。 二人は立ち上がって操縦室へと入る。 黎華らいかが先に入り、泰斗たいとが続いた。 視線の端に何かを見たような気がして、泰斗たいとは振り返る。 雲がさっと晴れていく。 そして…。 巨大な寅神門おうしんもんが姿を現した。 ついに世界の最果てに到着したのだ。




気嚢きのうの軽気を抜け!」



 飛空艇の上部にある巨大な気嚢きのう。それは全部で十一の区画に別れている。 気嚢きのうの中には軽気、これは水に塩を混ぜたもの、それに電気を流すことによって作り出されるものだった。別名で水素と呼ばれるそれは、気嚢に溜めれば空に浮き、火を放てば爆炎となって空気を揺すった。軽気と共に生み出されるもう一つの気体は重気、別名、酸素と呼ばれるそれは吸えば萎えていた英気を回復する力を持つ。 王宮で重気は神気とも呼ばれ、王族の寝所に夜毎香と共に放たれていた。 飛空艇は軽気によって浮かび上がる。だが決して軽気は安全なものではない。軽気に火気が触れ、軽気、重気を生産する工場が爆発炎上する騒ぎはどこの街でもあった。だがそれらはすべて軍の施設、一般の者たちにその製法が明かされることはなく、それは王族のみに伝わる秘伝の事項だ。




 それらは一切『失われし太古の記憶の間』に厳重に保管されているものであった。『失われし太古の記憶の間』は世界開闢かいびゃく前にあったとされる神域の英知、その名残りとも言うべきもの。失われし太古の記憶は、今も学者の手によって解読が進められているが、謎の部分が多く、その全部を解明するためには後数千年はかかるだろうと言われていた。 それらの秘伝を砌剛せいごうがいったいどのようにして手に入れたのか。戦車も飛空艇もどこかの軍の施設から盗み出したものなのか、しかもそれらのことをいったいどうやって知ったのか黎華らいかは知るよしもない。 そして、それが最も重大な謎でもあった。製法を手に入れたからといって、誰でも作れるものでもないからだ。まずは電気、これを作り出すには大がかりな設備が必要であった。しかも電気は溜めることができず、天翔ですら電気を発生させるための設備を常備している。砌剛せいごうたちの飛空艇にもその設備があるらしいことは黎華らいかにも分かったが、それらをいったいどのようにして手に入れたのかは今現在も謎であった。 砌剛せいごうの号令によって気嚢から軽気が抜けていく。 それに伴い飛空艇は高度を落としていった。門が近いせいか、風の流れはほとんどなく、船はゆっくりとした速度で流れ、降下していく。 舵が破壊されているために飛空艇を制御することはできない。しかし高度を調整することはできた。 地響きと共に、飛空艇は横倒しになりながらも小高い丘に着陸する。だがそれは着陸とは名ばかりの立派な墜落であった。




「まったく……もうこいつは飛べねぇな」



 頭を振りながら砌剛せいごうが起き上がる。 埃にむせながら泰斗たいと黎華らいかが身を起こした。あちらこちらで男たちが起き上がり瓦礫となった飛空艇から這い出てくる。 その数は十三人、泰斗たいと黎華らいかを含めてその人数だった。荒野の屋敷を出発する際に泰斗たいと黎華らいかを含めて二十人はいたというのに。 砌剛せいごうは黙って腕を組み、男たちが全員出てくるまで待った。 丘を下り、巨大な岩に囲まれた場所を探す。万が一を考え、妖魔の襲撃に備えるためだ。


 黎華らいか泰斗たいとを支え、何人かの男たちも互いに支え合いながら砌剛せいごうの前に立つ。




「お頭、これで全員です」



 兎狸とりが言った。彼も着陸の際に打ったのか、額から血を流し、それを手身近にあった布で縛り上げていた。 砌剛せいごうは男たち一人一人の顔を満足げな表情で見つめていく。




「ようし、よくここまでついてきた。まずはそのことに礼を言いたい」



 岩に反響して砌剛せいごうの声が響き渡る。たとえ小石が落ちたとしてもその音が大きく響き渡りそうだった。 砌剛せいごうはちらりと泰斗たいと黎華らいかに視線を向ける。


泰斗たいとと姫様もだ……捕虜とはいえよく生き残った」




 黎華らいかは無表情のまま砌剛せいごうを睨つけている。泰斗たいと砌剛せいごう黎華らいかを見比べ何とも言えない表情をしていた。 砌剛せいごうの後ろには巨大な門が雲を抜け天鏡まで続いている。 風の唸りが静かに響いた。




「これが世界の最果てにある門。寅神門おうしんもんだ」



 兎狸とりが感極まった表情で深々と頷いた。 他の男たちも砌剛せいごうのその言葉を待っていたかのように泣く者、声もなく息を吐く者、互いに肩を叩き合う者があった。


「あと一息で寅神門おうしんもんにたどり着くことができる。そして行こう。その向こう側へ!」




 男たちは歓声を上げて剣を抜く。 その熱気に押されるように黎華らいか泰斗たいとは身を引いた。


「莫迦な、世界の最果てを越えるなどと……あの門の向こう側には何もないんだぞ!」




 黎華らいかが鋭く一括する。男たちは声を静め黎華をねめつけた。 ひんやりと漂う剣呑とした雰囲気をものともせず、黎華らいかは胸を張って砌剛せいごうの前に出る。




 何日もの間一度もかんざしを通していない髪は風と揺れによって大きく乱れていた。化粧も落ち、香の香すらない。装飾品もほとんどが奪われ、着ている絹の衣、それすら薄汚れていた。 そんな風体でありながらも、黎華らいかの身からは王族としての風格が漂ってくる。 砌剛せいごうは黙って目の前に立つ姫君を見据えた。



「かつて、この世界は大いなる災いによって殲滅された。その時、天帝は命の源たる『水神気』を用いて世界を創成されようとした。だが、災いは大きく世の理は混沌に帰したのだ」



  天地開闢かいびゃく前、乾坤けんこんを揺るがす災ひ有りき。



  神『水神気』を以てこれを鎮撫ちんぶせんとし、然るに乾坤更に乱る。



  浮世、理乱れ、混沌に帰する。



 黎華らいか砌剛せいごうの瞳を見、さらに言葉を継ぐ。



「その混沌の中にありながらも、天帝はすべてを卵に返し、この世界をお造りになった。何千という年月を重ねてこの世界は造られ、そして我々人間が生まれた」



  神これを憂いて、森羅万象卵に返す。



  卵、万年の時を経て山河現れ、獣増ゆる。



  神、己に類じたる『人』を造り、卵に解放す。



「この門は未だに安定せぬ混沌を封じ、世界を護るもの。決してお前たちのために開門することはできない」



「……この門の向こうには災いしかないと、そう言いたいわけか?」



 片眉をあげて砌剛せいごうは言った。皮肉るわけでもなく、達観しているわけでもない。



「この門を開けることは危険だと私は言っているのだ」



 黎華らいかは微動だにしない。



「それでも俺たちは行く。たとえどんなことがあったとしてもな。それに帰る場所もない……お前さんを誘拐した時点で俺たちに選択肢はなくなったんだよ」



 悲観する様子もなく砌剛せいごうは淡々とした口調だった。



「そこまでして世界の最果て、その向こう側を目指すのはなぜだ? あの扉の向こうにお前たちの望むものがあると思っているのか」



 黎華らいか砌剛せいごうに、そして自分をぐるりと取り囲む男たちに訴えた。男たちは無表情に砌剛を見る。 不毛の大地。乾いた風がそよそよと黎華らいかの髪をなびかせる。




「そんなものは期待していない。だが、俺は生き方が不器用でな、こんなふうにしか生きられないんだ」



 兎狸とり砌剛せいごうの後ろでただ頷く。部下たちに普通の生活をさせてやりたいと言ったこの男が、実は一番それを望んでいたのだとようやく思い至った。 自分が望むものは他者も望むものだと、そう本心から思っているからこそ、部下たちにあそこまで寛容でいられるのだ。それを知っているからこそ、部下たちは砌剛せいごうについていくのだ。




「お前たちは、死に場所を求めているのか」



 黎華らいかの碧い瞳が強さを増した。



「死にたいんじゃない。俺たちは誰よりも強く生きたいんだ」



「そのためにここまでしたというのか」



 黎華らいかの言葉に砌剛せいごうは苦笑した。



「他に方法が思いつかなかったんだ……そう言っているだろ」



 砌剛せいごうは強毛の頭をかきむしった。



「私には理解できない」



 黎華らいかは大きく首を振る。



「俺たちはお前さんみたいに豪奢ごうしゃな生活をしたことがない。だから本当の幸せってものが何なのかを知らずに生きてきた」



「幸せとは、その者の心の有り様によって決まるものではないのか?」



 黎華らいかは問いかける。砌剛せいごうは溜め息交じりに首を横に振った。



「それは優雅に暮らしてきた者の発する言葉だ。お前さんには分からないだろう。飢えにさいなまれ眠ることのできない夜を、寒さに凍えながらあてもなくさ迷う路地裏。人のものを掠めることでしか生きていけない環境で、いったいいつ心に余裕を持てというんだ?」



 黎華らいかは言葉に詰まり足もとへと視線を向ける。 砌剛せいごうはそんな黎華らいかを責めるわけでもなく、侮蔑を込めるわけだもなく、ただ見つめていた。 砌剛せいごうは振り返って背後にそびえる寅神門を見上げる。寅神門おうしんもんは朱塗り、その外は純白の壁が広がっている。 そして、いくつかの小高い柱が目についた。



 それは飛空艇で泰斗たいと黎華らいかが目にしたものと同じであった。 その間を薄く張った雲が流れていく。



「俺たちは所詮違う道を歩んできた者たちだ。普通の社会に戻れと思うかも知れねぇが、いかんせんその方法が分からねぇんだよ」



 嘆息する砌剛せいごう。その時あらぬ方向から声がかけられた。



「ならばその方法。私が教えてやろう」



 声よりも早く砌剛せいごうは動き、鋭く飛来する矢を鉄籠手で弾く。泰斗たいと黎華らいかはその場に立ちつくしたまま一歩も動くことができなかった。



「ぎやっ!」



 男たちの何人かが矢を胸に受けもんどり打って倒れ込む。



「運のいい奴らだ」



 砌剛せいごうは岩の上に立つ人物を睨つける。 その人物は女性だった。 それは砌剛せいごう黎華らいかもよく知っている人物。



黎華らいか様を誘拐したその罪。お前の命だけでは足りぬぞ!」



 芭聆ばりょうは弓を片手に唸った。



「まて、撃つんじゃない!」



 その後ろから声を上げて現れたのは亮馬りょうま



 続いて蓮紅れんこうが岩を登り、泰斗たいとの姿を見つけるとその場から飛び出そうとした。



泰斗たいと!」



「行くんじゃない」



 抜刀する盗賊の男たちを見、亮馬りょうま蓮紅れんこうを制した。



「今行けば状況はさらに悪化するだけだ」



 仲間を殺され男たちは殺気立っている。今迂闊うかつに動けば泰斗たいと黎華らいかの身が危ない。



「蓮姉!」



 泰斗たいと蓮紅れんこうに気づき声を張り上げた。どうして蓮紅れんこうが、そしてその横に亮馬りょうまがいるのか泰斗たいとには理解できなかった。だが、二人が自分のためにここまで来てくれたのだということだけは分かった。二人の姿を見ただけで泰斗たいとの目頭が熱くなる。 泰斗たいとはすぐにでも姉のところに駆けていきたいと思ったが、それでもその場を動かなかったのは自分たちの置かれている状況を把握しているからだ。 その場にいた全員がいっせいに動き、岩陰に身を隠す。


「お前たちは既に囲まれている。砌剛せいごう、お前は無事でも仲間までは守りきれまい?」




「こっちには人質がいるんだぜ」



 兎狸とり泰斗たいとたちに走り寄る。



「撃つんじゃない!」



 亮馬りょうまが叫んだ。



兎狸とり、よすんだ!」



 砌剛せいごうが制止の声を発した。二人の声は同時。だが、時は既に遅かった。瞬きをする暇もなく矢が兎狸とりの胸をすいと貫く。



兎狸とり!」



 砌剛せいごうが悲痛の表情で叫ぶ。胸に矢を受けたまま、兎狸とりは二、三歩と進みその場に崩れ落ちた。 泰斗たいと兎狸とりから目を離さず、否、離すことができず。じっと兎狸の瞳を見つめる。その兎狸がにっと笑った。満足げな表情のまま兎狸の首が地に落ちる。

 黎華らいか泰斗たいとも無言だった。




「さあ、剣を引け」



 芭聆ばりょうは腕を差し上げる。 それに呼応するかのように兵たちが一斉に弓を引き絞った。狙いはそれぞれ、砌剛せいごうには十人の兵たちが狙いを定めている。




「二度目の警告はない……自分たちの命だ。お前たちで決めろ」



 砌剛せいごうはしばし芭聆ばりょうを睨つけていたが、胸に大きく息を吸い込んでそして吐く。 風が唸りをあげて岩と岩の間をすり抜けていく。




「お前たち。絶対に抵抗はするな」



 砌剛せいごうの一言に男たちは驚きのあまり言葉を失い。自分たちが狙われていることも失念し茫然と砌剛を見る。彼の言葉はすなわち降参を意味していた。



「しかし、頭……」



 砌剛せいごうは黙って首を振り男たちを黙らせる。



「黙って俺の言う通りにするんだ!」



 低いがよく通る声が響く。男たちは唖然と口を開けたまま、それでも言われた通りに剣を地に放る。 きんと澄んだ音を立ててすべての剣が男たちの手から放れた。




「お前たち、地に伏せて動くな。いいか、俺の命あるまで絶対に動くなよ」



 砌剛せいごうに言われた通り男たちは地に伏せる。



 それを見て芭聆ばりょうは皮肉を込めてくつくつと笑った。



「あとはお前だけだ砌剛せいごう。おとなしくその鎌を捨てろ」



 剣の柄に手を添えたまま油断なく芭聆ばりょうは岩から飛び降りる。



「捨ててもいいが、その前にお前たちが俺たちを攻撃しないという保証が欲しい」



 感情を押し殺した口調でゆっくりと砌剛せいごうが言った。緊迫した状況の中、泰斗たいとはあることに気づいた。砌剛は時折上空を見、何かを気にしている。



「どうした?」



 勝機を見出しきらきらと瞳を輝かせている黎華らいかが怪訝そうに泰斗たいとの肘を小突いた。 泰斗たいと黎華らいかの方を振り返り、囁く。




砌剛せいごうが何かを気にしているみたいなんだ」



 黎華らいかが口の端をあげて笑った。



「当たり前だ、これだけの兵に囲まれ命が危ないというのに落ち着いていられる男がどこにいる」



 泰斗たいと黎華らいかの意見には賛成だったが、それでも砌剛せいごうの不可解な行動が気にかかっていた。



 砌剛せいごうは何かを気にしている。これほどに危険な状況下であるはずなのに、それがまったく眼中にないかのよう、砌剛せいごうは空を気にしているのだ。 世界の最果て、この辺りにあるものといえば岩ばかりの荒野と、天を支えるようにして伸びる寅神門おうしんもん




 そして…。 



 泰斗たいとはもう一つ大事なものを忘れていることに気づいた。



「妖魔だ!」



 突然叫んだ泰斗たいと砌剛せいごうが見た。その時、泰斗たちのいる場所に影が差す。



「ぎゃっ!」



 兵の断末魔に兵たちの誰もが空を見る。 妖魔だった。それは漆黒の翼を持った白い体毛の虎のような魔獣。




「ぼさっと立っているんじゃない!」



 砌剛せいごう黎華らいか泰斗たいとを突き飛ばし、自らも地に伏せた。 妖魔は全部で四体。鋭い爪で易々と兵たちの体を引き裂き、剣を叩き折る。矢を放つ兵もいたがそれらが妖魔に突き刺さるようなことはなかった。




「何たること。棒火矢を用意しろ!」



 芭聆ばりょうは叫んだが、兵たちは完全に浮き足立ち混乱していた。 焔蛇えんじゃの男たちはようやく砌剛せいごうの意を悟り、素早い身のこなしで岩影に身を隠す。 砌剛せいごう泰斗たいと黎華らいかの腕を引き岩影に逃げ込んだ。


「ここなら安心だ。奴らは目があまりよくねぇから、兵たちの方に引き付けられる」




 振り返り言う砌剛せいごう黎華らいかはその頬を張り飛ばす。 砌剛せいごうは表情を変えず肩をすくめただけだった。




「お、お前はどこまで卑劣なのだ……」



 怒りのあまり声が震えていた。砌剛せいごうはゆっくりと黎華らいかを見返す。



「俺は何もしていない。そもそも妖魔を引き付けたのはあいつらなんだぜ」



「嘘を言うな!」



 もう一度黎華らいかは手をあげるが、それは途中で掴まれ振りおろされることはなかった。



「嘘なもんか……あいつらは兎狸とりを殺してその血で妖魔を呼び寄せたんだ。妖魔は血の匂いには敏感だからな」



 その場にいた全員が振り返ると、そこには黎華らいかの腕をつかんだ亮馬りょうまの姿。その後ろには蓮紅れんこうが、泰斗たいとの姿を見つけて瞳を輝かせる。



泰斗たいと!」



 泰斗たいとは振り向く前に蓮紅れんこうに抱きつかれていた。



「秋穂……お前いったいどうやってこんなところまで来たんだ」



 砌剛せいごうが呆れたように亮馬りょうま泰斗たいとを力一杯抱きしめる蓮紅れんこうを見比べる。



「そんなことはどうでもいいだろ。それよりもこれからどうするかだ」



 黎華らいかの腕を放し、亮馬りょうまが身近な岩に背を預けた。 兵たちの悲鳴、妖魔の咆哮ほうこう。それらが聞こえているはずなのに、亮馬りょうまの動きは冷静そのものだった。




「ここから出ない限りとりあえずは安心だ」



「あの人たちはどうなるのよ!」



 蓮紅れんこう泰斗たいとを抱きながら外を凝視する。



「諦めるんだ。俺たちに妖魔と戦う力はない」



「そんな……」



 蓮紅れんこうは絶句する。何とかしてあげたいという気持ちはあったが、自分にその力がないことは充分に承知していた。そして、それが目の前にいる男たちも同じだということを。



「妖魔たちは門を護る者だ。神聖なる門の前で人の血が流れれば、それだけでも万死に値する。だから奴らは襲いかかってきた……それぐらいは分かっているはずだが?」



 亮馬りょうまは冷笑しながら黎華らいかを見る。



「貴様……それを分かっていながら……黙っていたというのか」



 黎華らいか亮馬りょうまをに憎々しげに睨つけた。蓮紅れんこうは黙って亮馬を見つめる。そこには彼女の知らない亮馬りょうまの姿があった。



「誰も俺の言うことなんか聞いてくれないんでね」



「だがそれでも……忠告するのがお前の役目だろう!」



 亮馬りょうま蓮紅れんこう砌剛せいごうが顔を上げる。 そこには皮鎧に身を包んだ芭聆ばりょうが立っていた。




芭聆ばりょう



 黎華らいかは歓喜に顔を輝かせ、そのまま芭聆ばりょうに走り寄った。



 砌剛せいごう黎華らいかを追いかけようとしたが、上からの妖魔の威嚇音に身を潜めてしまい、姫を捕まえることができない。 



「姫、よく御無事で」



 黎華らいかと体を入れ替えるように芭聆ばりょうは剣を構えて前に出る。 その時、再び猫の威嚇音のような音が頭上から降ってきた。


「しまった、見つかったぞ!」




 砌剛せいごう黎華らいか芭聆ばりょうを突き飛ばした。一瞬の差で鉤爪かぎづめが宙を掻く。



「貴様の助けはいらない」



「助けてもらってそんなこと言うなよ」



 砌剛せいごうはぐいと黎華らいかの腕を引く。黎華を引き戻そうとした芭聆ばりょうを砌剛はぞんざいに蹴り上げた。悲鳴を上げて芭聆は倒れ込む。



「放せ!」



「そうは行くか」



 暴れる黎華らいかに当て身を食らわせ、砌剛せいごうは黎華を担いだ。



芭聆ばりょうさん!」



 蓮紅れんこう芭聆ばりょうを助け起こした。亮馬りょうまは冷めた目でその様子を見ている。動こうとしない亮馬に蓮紅は信じられないと目を見張った。



亮馬りょうま……いったいどうしちゃったのよ!」



 無表情の亮馬りょうま。自分のまるで知らない人間に出会ったようで蓮紅れんこうは気持ちが悪かった。今目の前に立っている亮馬は彼女の知っている亮馬とはまるで別ものだった。



「俺は……こいつらがどうしても許せない」



「どうしてよ。困った人がいたらそれが誰であれ助ける。私の知っている亮馬りょうまはそういう人だったわ」



「だがここに立っている奴は、お前の知っている亮馬りょうまじゃねぇ。こいつは秋穂さ」



 砌剛せいごうの言葉に芭聆ばりょうは目を見張る。



「秋穂?……その面構え、確かに……お前はあの秋穂なのか!」




 芭聆ばりょう蓮紅れんこうに支えられながら叫んだ。



「はるか昔に捨てた名だ」



 呟くように言う言葉はあまりにも冷たい。



亮馬りょうま



 蓮紅れんこうの横で泰斗たいとが、すがるような目で亮馬りょうまを見る。 亮馬りょうまは黙ったまま、芭聆ばりょうと蓮紅の前に立つ。蓮紅れんこうは身を強張らせ、泰斗たいとは姉を護るように蓮紅の身にしがみついた。




「早くしねぇと妖魔が仲間を呼ぶぞ!」



 頭上を振り仰ぎ、砌剛せいごうが身を縮める。泰斗たいとたちも頭上を見ると、二匹の妖魔が旋回していた。 兵たちの声はしない。だが気配で辺りに潜伏しているということは分かる。気配を押し殺して身を隠しているのだ。




 時折矢が飛んでくるが、それも狙いを定め切れていない無駄矢だった。矢を放つことで注意され妖魔に襲われる兵さえもいた。



「行くぞ」



 砌剛せいごうに促されて亮馬りょうまが踏み出す。



「待って」



 蓮紅れんこう亮馬りょうまを引き止めた。立ち止まり蓮紅れんこうを振り向く亮馬。



「お前たちはここにいろ。もう、ついてくる必要はない」



「いったいどうするつもりなの?」



 蓮紅れんこうが問う。



「俺も寅神門おうしんもんの向こう側に行く……そして親父を見つけ出す」



亮馬りょうまのお父さん?」



 亮馬りょうまはただ頷いた。



「こいつの父親の名は、罧忠溜しんちゅうりゅう。六年前まで王宮の護衛隊長をしていた」



 芭聆ばりょうは小さく息を吐き、亮馬りょうまを睨つけて言葉を継ぐ。



「そして、王宮から天宝を盗み出した張本人だ」



 搾り出すように、すべての苦痛を吐き出すようにのどの奥から絞り出す声。寅神門おうしんもんを開くことのできる鳳凰帝国無二の宝。それを盗み出したのが亮馬りょうまの父。 天宝が盗み出されたのが六年前、それから二年の潜伏期間と準備期間を経て罧忠溜しんちゅうりゅうはこの地へとやってきた。




「そのせいで俺の一族は皆殺しにあった!」



 吐き捨てるように言い放つ。蓮紅れんこうが驚き亮馬りょうまを見た。訳あって街を追い出されたと聞いていたが、まさか皆殺しにあっていたとは思わなかった。ならば亮馬の今までの態度も納得できる。



鳳凰ほうおう帝国唯一無二の天宝を盗み出したのだ。一族皆殺しでも手緩い」



「ふざけるな!」



 蓮紅れんこう泰斗たいとを荒々しく押し退け亮馬りょうま芭聆ばりょうの胸倉を掴んだ。



「本当はあの時……お前を殺してやりたかった」



 首筋に冷たいものを感じて芭聆ばりょうは表情を凍りつかせる。



「やめて亮馬りょうま!」



 蓮紅れんこうが必死になって亮馬りょうまの腕にしがみついたが亮馬はびくともしない。



「だが殺してしまうと、ここまで来ることができそうになかったからな。生かしておいて利用したってわけさ」



亮馬りょうまやめてよ!」



 泰斗たいとも涙を流して懇願したが亮馬りょうまの表情はぴくりとも動かない。亮馬は泰斗を見下ろす。



「本当はな……お前の親父さんを引っ張り出したのは、俺の親父なんだ。世界の最果ての向こう。そんなものに魂を奪われて、俺の一族どころかお前たちまで巻き込んじまった。すまないと思っている」



 亮馬りょうまの一言に蓮紅れんこう泰斗たいとも動きを止めた。



「お前は、我々に責任があるというのか。そもそもの原因はお前の父がしたことだというのに!」



 芭聆ばりょうは肩をいからせ亮馬りょうまを睨み返した。



「『失われし太古の記憶の間』には、世に出してはならぬ多くの記憶が眠っている」



 聞き覚えのある言葉に泰斗たいと芭聆ばりょうを見た。



「それを閲覧したばかりか、その知識を持ち出し。天宝を盗み出した。いいか、四年前に一度、この寅神門おうしんもんは開かれているのだぞ! それがいったいどういうことなのか、お前なら分かっているはずだ」



 混沌とした世界に浮かぶ卵。その中にあるのがこの世界だと黎華らいかは言っていた。扉を開くことはすなわち、混沌を招き入れるということになる。



「ああ分かっている。だから俺たちも行くんだ」



「何のために?」



「六年前にどうしてあんなことをしたのか聞き出すためさ。返答次第では親父を殺す。それだけだ」



 亮馬りょうまの答えはそっけなかった。



「俺もだ……もっとも、こいつと違って俺は泰斗たいとと秋穂の親父たちと酒を飲みたいだけだがな」



 そう言って砌剛せいごうは白い歯を見せた笑った。



「行かせはせぬぞ!」



 芭聆ばりょう亮馬りょうまの腕を掴む。亮馬りょうまはその腕を無造作に払い芭聆ばりょうの体を岩壁に叩きつける。芭聆は息を詰まらせその場に崩れ落ちた。



「お前を殺してやろうと思ったが、やめた」



 それだけ言い。亮馬りょうまは背を向ける。



「生きてせいぜい後悔するがいい」



「ま、待て……」



 芭聆ばりょうが腕を伸ばすがそれは全く二人には届かない。 砌剛せいごう黎華らいかを担いだまま岩を登っていく。




 亮馬りょうまもそれを追い軽々と岩を登っていった。



「おいら……行ってくる」



泰斗たいと!」



 走り出した泰斗たいとを掴もうと蓮紅れんこうは身を起こしたが、時既に遅く。泰斗たいと亮馬りょうまたちを追って岩の向こうに消えていった。



「行ってくれ……私のことはいい」



 蓮紅れんこうは驚いて芭聆ばりょうを見つめる。芭聆ばりょうは弱々しく息を吐きながら蓮紅の背を押した。



「でも……」



 蓮紅れんこうは言いよどむ。だが、芭聆ばりょうの視線に押されるように立ち上がり、砌剛せいごうたちの後を追って走り出していた。 芭聆ばりょうのことも心配ではあったが、蓮紅れんこうにとってはやはり泰斗たいとの方が大事であった。 細い岩と岩の間を泰斗たいとは鹿の如く駆けていく。決して平坦ではなかったが、悪路を走ることは泰斗たいとにとって苦ではなかった。 少しだけ足が痛んだ。 走る泰斗たいとの表情は固い。 別れ際に見せた亮馬りょうまの表情が今でも脳裏にこびりついている。



(どうしてあんな……)




 冷たい表情ができるのだろう。仕事場の人間が見たなら驚きのあまり卒倒してしまうだろう。それほどまでに荒れた表情。瞳の奥に鋭利な刃物を潜ませた相眸そうぼうをしていた。 そして泰斗たいとにはもう一つ黎華らいかのことが気にかかっていた。彼女だけでも何とかして救い出したいという気持ちが泰斗たいとの中で沸き起こっていた。




黎華らいか……」



 泰斗たいとは駆ける足にさらに力を込めた。

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