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肆国演義-冒険伝奇-   作者: 山道 歩
第参章『最果之空』
12/14

『おい……起きろ』


 遠くから父が呼んでいる。起きなければと思うのだが、体がいうことをきかない。目を開けようとしても瞼が重く、光すら感じることができなかった。


「起きろ!」


 強く頬を叩かれ泰斗たいとは目を覚ます。


「おい、もっと丁重な起こし方はできないのか!」


「あのなぁ、この世の中のどこに捕虜に対して腰の低い盗賊がいるってんだ?」


 目を開けると睨み合う砌剛せいごう黎華らいかがまず見えた。首を巡らせば、兎狸とりが心配そうにのぞき込んでいる。


「頭、起きたみたいです」


「おお、そうか」


 野太い声でそう応え、砌剛せいごう泰斗たいとの前にしゃがみ込んだ。それを押し退けるように黎華らいか泰斗たいとの顔を覗きこむ。

 一瞬むっとした表情になった砌剛せいごうだったが、「俺は大人だ」と一言独白してから腕を組んで立ちあがっていた。


「ここは……」


「小汚い盗賊の飛空艇の中だ」


 心配そうな顔で黎華らいか泰斗たいとはなぜそんな表情で黎華らいかが自分を見ているのかが不思議でならなかった。


「とにかく、無事でよかったな」


 砌剛せいごうは背中越しに言う。

 泰斗たいとは長椅子の上に寝かされていた。

 泰斗は身を起こして不思議そうに周りを見渡した。


 足にかせられていた鎖は取り外されていた。

 操縦室内がひどく荒れている。まるで狂暴な牛が暴れ回ったかのように、周りのものそのすべてが破壊されていた。

 窓がすべて壊れ、風が容赦なく吹き込んでくる。不思議と肌寒さはない。

 ひどく静かだと思った。もしかしたら死んだのかもしれない。

 そう思いながら泰斗たいと黎華らいかを見つめる。


「飛空艇が軽かったせいで弾き飛ばされてしまったらしい。そのおかげで私たちは助かったようだ」


 泰斗たいとは微かな揺れを感じた。飛空艇はまだ浮いているのだ。


「今、どこを飛んでいるの?」


「俺たちはもう三日間、漂流している…どこを飛んでいるかなんて分かりっこねぇ」


 操縦席に座っている男が双眼鏡から目を離さずに言う。


「しかも、ずっと霧の中だ……これじゃ山があったって気づかないぜ」


「気づいたとしても舵が効かないんじゃどっちにしろ助からないと思いますがね」


 兎狸とり砌剛せいごうに笑いかけた。砌剛せいごうは「まったくだ」と言っただけで、椅子に腰かけ腕を組む。そして何事かを考えるようにゆっくりと目をつむった。

 泰斗たいとは立ち上がろうとして足にひどい痛みを感じた。見ると鎖の代わりに布が巻かれ、かすかに血がにじんでいる。


「まったくたいしたものだ。俺たちの仲間の何人かは神審輪に飲み込まれちまったっていうのによ」


 砌剛せいごうは苦笑する。


「その鎖のおかげで私たちは助かった。その鎖が鉄の窓枠に引っかかっていなければ、私たちは神審輪に引き込まれていたところだった」


 複雑な表情で黎華らいかが淡々と語る。自分たちを縛っていた鎖が、逆に自分たちの命を救ったのだ。


「おかげで私の足にも傷がついた」


 黎華らいかは袴の裾をあげ足の傷を示して言った。


 黎華らいかの足には純白の絹が巻かれていた。傷口の部分が朱の色に染まっている。

 泰斗たいとは何と言っていいのか分からず、傷口と黎華らいかの顔とを見比べた。


「そんな顔をするな。たかが傷の一つや二つ……私にはかえって貴重だ」


 泰斗たいとは首を傾げる。黎華らいかは笑って自分の足を見た。


「今まで怪我などしたことがなかったからな」


「そいつはそうだ」


 砌剛せいごうはおかしげに鼻で笑った。

 ちらりと黎華らいか砌剛せいごうを見、笑って泰斗たいとを見た。


「だから気にするな」


「そういうことだ」


 横柄な態度で砌剛せいごうは頷いてみせる。


「お前には言っていない」


「へいへい」


 黎華らいか砌剛せいごうを睨つけ、砌剛は肩をすくめる。


「ここまで来ちまったら、もう後戻りはできねえ」


 兎狸とりは神妙な面持ちで二人を見る。もう戻れない。その言葉が、全てを物語っていた。


 街のみんなは無事だっただろうか。多くの人たちが建物を壊され、命を失ってしまった。


 愛郷の想いがこみ上げてくる。しかし、今はそんなことに気をもんでいる場合ではない。泰斗たいとはその想いをぐっと胸の奥に仕舞い込んだ。

 その時突然影が差した。


 闇が唐突に周囲を覆い尽くす。


 果てしない闇が、突然に現れたのだ。


「……おい」


 兎狸とりが呻く。彼は前方を凝視したままわなわなと震えていた。


「どうした。何か見え……」


 砌剛せいごう兎狸とりの肩を揺すりながら前を見、次いで息を飲んだ。

 壊れた窓の外。飛空艇を遮るように、巨大な眼がそこにあった。黄金色をした目。漆黒の瞳孔は吸い込まれるほどの深さをもち、心の奥底すら見透かされそうだった。

 泰斗たいとは座り込んだまま、黎華らいかは腕を組んだまま動くことができない。まるで全員が金縛りにあったように動きを止め、時間すら歩みを止める。


「全員動くんじゃねぇぞ…」


 砌剛せいごうに言われなくとも動こうとする者はいなかった。

 ただ風の唸りだけが響く。


「これは…寅神門の護り神だ」


 黎華らいかの声に眼が反応した。ぎろりと黎華をねめつける。黎華らいかは上がりかけた悲鳴を喉の奥に押えつけ、その代わりに泰斗たいとの腕を力一杯つかんだ。


 「これが護り神」とどこかで声が上がる。立ち込める霧の中、その輝くような瞳だけが空に浮かんでいる。


 泰斗たいとは歯をきつく食いしばり震えを押さえ込む。


 いったいどれだけの時間が過ぎ去っただろうか。


 音もなく眼が遠ざかっていく。


 闇が引いていく。止まったかのような時間が流れを取り戻し、窓から吹き込む風が急に動きを取り戻した。

 身動きできないままその場にいた全員が、眼が雲に紛れて消えるまでの一部始終を見守っていた。

 眼が消えたとき、その場にいた男の一人が小さくため息をつく、それを境に、黎華らいかもその場に座り込み、砌剛せいごうですら額に浮かんだ汗を拭う。


「し、死ぬかと思った」


 兎狸とりはやっとそれだけを口にする。

 泰斗たいと黎華らいかの助けを借りて立ち上がった。足をつくと痛みはそれほど強くはない。壁に手をつきながら泰斗たいとは操縦室を出る。


「気をつけるんだぞ」


 砌剛せいごうの声が操縦室から響いた。

 泰斗たいとは頷いて応え、その場に座った。黎華らいかもその隣に腰かける。


「どうした?」


 黎華らいか泰斗たいとの顔を心配そうに覗き込む。


「なんでもないよ」


 そう言う泰斗たいとの顔は蒼白だった。

 黎華らいかは何も言わずじっと泰斗たいとを見つめていたが、やがてため息を一つつき、ぼんやりと流れる雲を見た。


「……生きてる、と思っているのか?」


 びくりと肩を震わせ泰斗たいと黎華らいかを振り返った。風が黎華の髪をなびかせる。

 泰斗たいと黎華らいかが何を言っているのかがよく分かっていたし、頭の中ではある程度覚悟はしていた。それでも黎華らいかの問いに肯定も否定もできない。

 泰斗たいとは一握りの希望にしがみついている自分に気づいていた。


「生きている……絶対」


 父親は絶対にどこかで生きているはずだ。それが今までの自分を支えてきた。どんな状況下でも、それだけが自分の原動力につながっていた。


 黎華らいかはただ頷いただけ、表情までは分からない。泰斗たいとはうつむいたまま目をきつく閉じていた。なぜかひどく悲しくなった。父のこと、姉のこと、共に働いた仲間たち。露店や通りで、裏路地や住宅層で賑わしく、そして質素に暮らす街の住人たち。すべてが遠く感じられた。

 汚れきった太蘭たいらんの街でさえ今は懐かしい。


「泣くな。お前は男なんだろう」


 ふわりとしたものが泰斗たいとを包み込む。甘い香が泰斗たいとの鼻腔をくすぐる。

 頭の芯から痺れが拡がり、体全体に行き渡る。ふらりとなって、泰斗たいと黎華らいかにもたれかかった。

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