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 本の表紙をめくる。

 そこには、学士自身が書き溜めた知識が詰まっていた。分厚いそれは、すでにほとんどが知識で埋められ、装丁も長旅の間に劣化している。

 そこから少し離れた場所で、こどもたちが遊んでいた。

 ウマのこどもにとって、走ると遊ぶは同義だ。

「あっ、まって、ニキがこけた!」

 ウマの少女が立ち止まり、後方を振り返る。少年たちは露骨に顔をしかめ、一度止まるが足踏みをやめない。

「うわ馬鹿!」

「もういいじゃん、行こうよ」

「えー・・・」

「はやくー!」

 少年たちが先に行き、ウマの少女もトリの少女を急かす言葉だけかけて走り始めた。

「あー、まって・・・」

 地面に伏せたトリの少女は、眉を情けなく下げるが、すでにウマのこどもたちの姿は遠い。

 学士はそこまで見て、視線を本へと落とした。長旅の記録に、時には思い出が蘇り、時にはそこから新たな発見をする。

 足音が近づいてきた。やがて本に影が落ちたので、学士は顔を上げる。

 そこには、隊長の妻がいた。

「今日は読書かい。せいがでるね、学者さん」

「ああ・・・どうも」

 学士は本をたたみ、会釈した。

「本なんて持ち歩いてたのか。重たいのに、よくもまあ」

「私が書きとめたものです。意外と軽いので、持ち歩きもそれほど苦には」

 学士は女へ、本を手渡した。女は興味深くその表紙をめくる。

「薬草の本かね?」

「それが主です。旅先で困らないように、学問所で可能な限り写してきました。あとは旅先で得た知識を書き留めています」

「ふうん・・・それのおかげで、うちの隊長が助かった、と」

「大したことはしていませんよ」

 学士が微笑む。女は本を返しながら、一瞬言うのをためらった。学士が首をかしげる。

 女の視線は天幕の群れよりもさらに向こう、これから行く先のほうを向いていた。表情は険しく、迷いがある。

「・・・・・・なあ、先生。隊長はもう動いて平気だと思うかい?」

 その問いに学士は面食らった。

「それは・・・自分の足で、ですか?それは厳しいです。いくら強靭なウマの足でも、いくらあの方に体力があっても、もうしばらく様子を見たほうがいい」

「本人が動くと言っている。これ以上、遅れるのは嫌だと。止めたいところだが、先に進みたいという気持ちは私も一緒でね。もともと一ヶ月ほど予定から遅れているんだ、帰還が遅れるのは望ましくない」

「しかし一月程度なら、問題ないのでは?イグナシオからの距離と隊の規模を考えれば、それくらいの誤差は・・・」

 説得を試みる学士に、女は首を横に振る。

「うちは普通の隊商じゃないんだ。最初に言っただろう、イグナシオの第二隊商だって」

「申し訳ない、商業連合には詳しくないので・・・」

「ああ、そうか・・・・・・うちの隊商は陛下のものなんだ」

「陛下というのは・・・イグナシオの国家元首?たしか商業連合を束ねる御方だと」

「そう。つまりわたしたちは商業連合を代表する隊商なんだ。商売での利益よりも、行路の確保や、商品の売り込み、現地で何が必要とされているかの市場調査、そういうのが本来の目的でね。連合の商業会議に間に合うように帰り着きたい。もちろん、しっかりと報告できるだけの成果をもって」

 学士は、目の前の相手が事情通であったことを深く納得した。

「・・・事情はわかりましたが、しかし・・・」

 学士はその先を言わなかった。女も難しい顔のまま黙り込む。

 頼りない足音が、無邪気に沈黙を破った。

「ねー、みんなはー?」

 なんの穢れもなく、トリの少女が笑っている。

 女は難しい顔をすぐにやめた。

「ん?あっちに行ってたじゃないか。どうした、あんたも見てただろ」

「んー・・・?」

「まあったく、仕方ない子だね。天幕の中にいな、もう昼になる」

「はーい」

 少女は素直に天幕へと走っていく。その姿はよろよろと不安定で、不恰好だ。

「あの子は、」

「ん?」

 少女を見送っていた女は、学士の声を聞いて振り返った。

「あの子は、何を探しているんでしょうか」

 学士は真剣に問い、女は苦笑した。

「ああ、――あの子が、何か言った?」

「名前も顔もわからない相手が、己を待っている、と」

「うん。おそらくだけど、あれはトリの本能だ。ワタリドリのね」

「行くべき時、行くべき場所、風知らせる、――というやつですか?」

 それは旅する〈ワタリドリ〉が行き先を尋ねられたときの答えだ。

「そう。それを勘違いしてるんだよ。行くべき場所を、待っている誰かだとね。翼だけじゃなくてその感覚もイカれているらしい」

「じゃあ・・・」

 学士はその先を言葉にしなかった。

 女も、あえて知らないふりをした。

「確かあんたも、半分はトリだったね。わかるんじゃないか?」

「いえ・・・フクロウは渡らぬトリですから、そういうのは」

「そうか。――行こうか。どのみち近いうちに出発する、準備しないとね」

 乾いた風が吹き、土ぼこりが舞う。

 行く先はひどく霞んでいた。







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