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誰が為に天幕に穴は空く

作者: 粟生深泥

前作「虫食い穴を電子は超えるか」をお読みいただけるとより一層お楽しみいただけます。

http://ncode.syosetu.com/n9666bu/

 知らず知らずとため息が漏れる。

 世間はクリスマスを前日に控えて、浮かれ気分だというのに、私といえば春に発表する学会のための資料の整理に追われている。

 あー、と首を振る。ため息なんてついている場合ではない。このままでは大学生活最後――修士に上がる前、最後という意味だけど――のクリスマスまで研究室に缶詰なんてことになりかねない。

「難しい顔してるけど、調子は?」

「あー、えー、ははははは……」

 後ろから研究室の先輩の首がにゅっと伸びてくる。私を指導してくれている修士二年の先輩で、今日はほぼ完全に私の作業につき合わせてしまっていた。その目が私のパソコンの画面に映る様々なデータを追っていく。データこそ揃えられたものの、それを整理できていない私は、空笑い。

「うん、こんだけデータ揃ってるんだったら、どうにかなりそうだな」

「えっ、そうですか?」

「いけるいける。そうだな、例えば……」

 ちょっといい、と言って先輩はマウスを掴むと素早くデータから数値を抜き取ってグラフにまとめていく。あっという間に3つのグラフが出来上がった。

「まずは、こんな感じで二つの数値の関係をグラフにまとめてこっか。ある程度グラフ作れたら、どれ使って論文書くか一緒に考えていこう」

「あっ、でも、私、どんなデータが重要かよくわからなくて……」

「大丈夫、最初は何も気にせずグラフ作っていけばいいから」

 な?と笑いかけられる。先輩におんぶに抱っこの私としては、そんな風にされたらもうわかりましたとしかいえない。迷いながらも私が肯くと、先輩はカラカラ笑って自分の席へと戻っていく。私の面倒を見ながらのはずなのに、先輩はいつのまにか学会用の原稿を仕上げてしまっていて、今はパソコンを見たり雑誌を見たりして時間をつぶしている。これは、そうだ。クリスマスがどうだとか私が言っていい立場では、ない。

「頭の出来が違いすぎるのよ……」

 先輩に聞こえないように、小さくぼやく。

 大体、この先輩は経歴が特殊だった。現在、人は地球に踏み台にして宇宙を目指している。私が大学に入った後にも、遥かかなた目指して有人宇宙船が飛び出したりしている。

 そんなご時世だから、なんにせよ活躍が望まれるのは宇宙関連分野のエンジニアだった。そして、この先輩は宇宙工学を専門として既に修士の学位を得ている。それなのに、大学院を卒業するや否や、再び大学院に入学しなおしたのだ。それも、既に落ち目の分野となっていた地球工学を研究するために。

 地球工学が主に扱うのは、地球の延命作業。資源開発や環境維持といった分野。だけど、既に人類は地球はそう遠くない未来にだめになるものと考え、次なる大地を求めている。

「何も気にせず、とは言われたけど……」

 後で先輩に見てもらったときに、全部使えませんでした、じゃお話にならない。どんなデータが役に立つかなんて事を考えながら慎重にグラフを増やしていく。

 落ち目の分野が大学や国からもらえるお金も少なく、私達の研究室はこじんまりとしている。そんな中、入ってきた出来のいい異端児に、うちの教授は喜んだらしい。そのときの様子は残念ながら私は知らないが、教授から先輩への信頼というのはわかる。なんせ、私のような落ちこぼれを一任させるのだから。



 それから二時間ほど、頭を抱えながらデータの整理を続けた。自分なりに目処っぽいものも見えてきたし、この辺りで一度確認してもらおうと先輩の方を向く。

「あ……」

 先輩は、どこか物憂げな表情で携帯電話をいじっている。私が研究室に入ってから――おそらくは、それよりも前から――先輩は同じような表情で携帯を触っていた。何をしているかは、知らない。

 話しかけるのもはばかられたので、整理したデータを見直す。実験や解析――予算の都合上、メインは後者――により得られた今後地球が太陽から得ることが出来るであろうエネルギー。正直なところ、私の今後の寿命と比較すると鬱になりそうだ。

「おっ、いい感じでできあがってんなー」

 いつの間にか私のすぐ後ろに先輩が来ていた。パソコンの画面をのぞいてカラカラと笑顔。いきなりの事に驚く私をよそに、マウスを私の手から奪うとデータをパラパラと眺めていく。

「よっしゃ、じゃあ、学会の発表に何を使うか考えてっか……ん、どうした?」

「いえ……いや、大丈夫です」

 うん、と首を傾げながら、手近な椅子を引き寄せて隣に座る。かと思うと、何かを思い出したかのように自分の席に戻り、なにやら書類を色々と持ってきた。

「これ、過去発表に使われた原稿とか、後はお前の分野に関係のありそうな資料。よかったら参考に」

 渡された紙資料をパラパラとめくっていく。確かに、これらをパク――参考にして作れば全部一から作るよりずっと楽にできる。

「なんか、申し訳ないです……こんなにしてもらって」

「いいのいいの、暇だったし。それにお前、そろそろ実家に顔も見せなきゃいけないだろ?」

 クリスマスが終わればもうそのまま年末。まあ、実家といってもリニアに乗れば一時間程で着くような場所ではあるけれど。

「先輩も実家に帰られるんですか?」

「あー、俺は帰らないかな」

「そうなんですか? でも、もう来年は就職されてますよね?」

 就職してしまえば、学生の時のようには地元に帰るなど出来なくなるだろう。春には引越しや各種手続きで忙しくなることを考えると、年末年始など絶好の機会だと思うのだけど。

「ほら、俺、大学院入りなおしてるだろ? そん時、そこそこの内定蹴っててさ。それっきり疎遠なんだよ」

 ちょっと困ったように先輩が笑う。そういえば、聞いた話ではあるけど、先輩はそこそこどころじゃない企業の内定をもらっていたらしい。そこまでして、何で院に入りなおしたりなんてしたのだろう。

「先輩は……どうして地球工学なんか勉強しようと思ったんですか?」

「んー……」

 先輩は椅子に腰をかけて、パソコンの向こう側にある窓をどこか寂しげな表情で見る。深く体重を預けられた椅子は、その年季からかキィィと悲鳴を上げた。

「テラフォーミング、ってのに興味を持ってさ。あれは、宇宙工学と地球工学の融合系だと思うから」

 先輩と、先輩に面倒を見てもらってる私の専門分野。火星や月といった惑星や衛星を、人や生物が住みやすくする為に改良する技術。

「まあ、何より――待ってて、って言われちまったからなぁ」

 話すというよりは、つぶやくようにポツリと零れた。



 先輩とどのような方針で学会で発表するかを相談した後、それに適したグラフを選んでもらい、いざ執筆に取り掛かる――のだが、初めてということもあって遅々として進まない。

 例によって、後から直せばいいから一度バーっと書いてみなよ、と言われたのだが、さっきもらった参考資料を使ってもどう書いていいのかぱっとしない。

「行き詰ってるみたいだし、晩飯にしないか?」

 悩みこむ私の両肩にポンと手が置かれる。振り返ると、私の状態を見かねたのか苦笑いの先輩。

「あー、でも、全然進んでないんで……」

「無理して続けたって効率落ちて、結局進まないって」

 言ってることはごもっともなのですが、私としては先輩を残ってもらっている状態で、のん気に晩御飯を食べるのが申し訳ないというか……。

 そんな私をよそに、先輩は研究室に備え付けられた冷蔵庫から何かを取り出した。中に野菜やお肉が色々入ったパック。

「鍋セット……ですか?」

「正解」

「なんでそんなのが……」

「こんなこともあろうかと。ちなみに二人分購入済みね」

 こんなこともって、何を想定していたのだろう。私の作業が進まず夜までには帰らないということか。ともあれ、先輩が勝ち誇ったような笑みを浮かべる。いや、まあ、流石にここまでされると断れないから、勝ったといえば勝ったんだろうけど。

「……わかりました、ごちそうになります」

 私の了解に、先輩は嬉々として夕食の準備に取り掛かる。時にこの人は、子供っぽい。

 準備といっても、具材は既に下済みの物だからたいしたことは無い。小型のIH調理器の上に、研究室になぜか常備している土鍋を置いて、入れるだけで済む味噌ベースのだしを投入。いい感じで煮立ってきたところで、具材を投入。

 程なくして、研究室に食欲を誘う香りが満ちていく。

「よっしゃ、いただきまーす」

「いただきます」

 合掌。グツグツと煮える鍋はこの時期には大変ありがたい。疲れがたまっていたし、お腹が減っていたのもあって、しばらくは無言で鍋をつつく。

 二人してそんなことをして、ようやくお腹も満たされてきた頃に先輩が口を開いた。

「どう、あとどれくらいで終わりそう?」

 暖かい食事でほぐされた心が、また軽い罪悪感のようなものに襲われる。

「まだ、全然……ですね」

「んー、まあ、俺も学部時代は苦労したからなー。クリスマスイブと当日研究室に泊まったのはいい思い出だな」

「うぅ、それは私の未来を予言しているのですか?」

 私としては真剣に尋ねたのだが、先輩は私の言葉にカラカラ笑い出す。

「いやいや、大丈夫だって。今日中には書き上げれるようにしてやるから」

 それから、何を思ったか、ポンっと先輩の手が頭の上に乗せられる。

「えっ、ちょっ、あのっ」

「お前なら大丈夫、できるよ」



 先輩はそう言って私の頭をワシャワシャとしたのだけど。結局、食後もキーをタッチする指は遅々として進まなかった。現実は非情である。

 先輩もとうとうやることが無くなったのか、私の近くの椅子で携帯をいじったり、パソコンでなにやら――ワームホールやテラフォーミングといった宇宙用語が中心――調べながら、時折、「こんな感じでどう?」と助言をくれる。その助言に従うことで、ようやく少しずつ文章が進んでるといった状況。

「まあ、煮詰まるとよくないしな。雑談でも質問でもちょいちょいしてな」

「ふむ、雑談ですか……お鍋で思ったんですけど、先輩って料理できるんですか?」

 別に材料が全て用意されてた鍋に手際が良いも悪いもないのだけれど。それでも手馴れた感じでテキパキとしていて気になった。

「料理、ねー。前の研究室に飲んだくれがいたからかな、酒のツマミとか夜食は得意だよ」

 苦笑いながらも、先輩の表情は何かを懐かしむようだった。

「前の研究室の方ですか。今は、何されてるんですか?」

「あいつは……」

 手に持つ携帯から、先輩は窓の外へと目を向ける。昼にも見た光景。しばらくそうやって空を見た後、なぜかどこかいたずらっぽい表情で私を見る。

「ちょっと話を変えるけど、宇宙空間に虫喰い穴って空くと思うか?」

「虫喰い穴……ワームホールのことですか?」

「そうそう、話が楽でいいね。で、どう思う?」

 さっき先輩の検索窓をのぞいたのは黙っておく。そして、ワームホールについて考える。宇宙関連の分野にはほとんど詳しくない――というより、これはSF分野のお話だ。タイムマシンやコンタクトなんていう古典SFで提案された理論。

「……今の技術ではやっぱり難しいんじゃないでしょうか。負のエネルギーとか負の質量とかは数式上の存在ですし、一度穴を空けたとしても維持できません」

「ん、詳しいね……けど、そうだ。俺もそう思う」

 最近リメイクされた映画の知識がかろうじて残っていてよかった。でも、先輩は何が言いたいのかがわからない。宇宙関連の技術全般が革新した現在であっても、ワームホールに関する研究なんて行われていないに等しい。

「でもね、研究者は変わり者が多くてな。3年前にまだ人類がたどり着いたことのない場所で研究しようってやつらが飛び立った」

 3年前、大学に入りたての頃を思い出してみる。とはいっても、研究・商業といった目的問わず多くの宇宙船が世間をにぎわせていた。長距離宇宙船も年に何件か飛び出していたと思う。

「常識で考えたら、リンゴに空いた虫喰い穴なんて、人間が通れるはずないんだよな……」

 そう言いながら先輩は携帯を再び眺める。ちょうどのタイミングで、先輩の携帯電話から着信音が流れる。「I Believe Her」という曲――後に先輩に教えてもらって知ったのだけど、20世紀末の「コンタクト」という映画で使われた曲だったらしい。

 先輩は画面を見たまま動かない。

「でられないんですか?」

 先輩が電話から目を離し私の方を見る。どこかぼーっとしたような瞳。

「……夢じゃ、ないんだよな?」

 首をかしげる私を他所に、先輩は電話を片手に研究室の外へと飛び出していった。
















 頬にあてられた温かいものの感触で目を覚ます。

「風邪、ひいてないか?」

 徐々に開いていく視界の中に先輩が見える。頬に当てられているのは缶コーヒー。寝顔見られたの恥ずかしいなー、なんて覚醒しきらない頭で考える。

 結局、昨日先輩は帰ってこず、1人で悪戦苦闘した結果寝落ちしてしまったみたいだ。

「昨日は……ごめんな、急に飛び出しちまって」

 謝る先輩の目は、寝ていないのかそれ以外の理由なのか、赤い。

「約束、破っちまったなー」

「約束ですか?」

「昨日中に仕上げてやるっていうやつ」

 それでさ、と先輩は私に一枚の紙を渡す。それは、悪戦苦闘しながらどうにか書き上げた原稿。そこに、赤チェックがところどころに入っている。

「それ終わったら、なんか旨いものでも食いに行かないか? あー、いや、予定とかあったらいいんだけど」

「いえ、大丈夫ですけど……どうしてですか?」

「ん、お前との約束だけ守らないまま済ますのは、なんか収まりが悪いんだ」

 先輩は手に持っていた缶を私のそばに置くと、昨日から定位置となりだした椅子に座り、別に持っていた缶コーヒーに口をつける。

「それに、あとは、あれだ」

 先輩が少し眠そうに微笑む。


「メリークリスマス。お前にも素敵なプレゼントが届くといいな」




最後までお読みいただきありがとうございます。

前作「虫食い穴を電子は超えるか」の続編的位置の作品でした。

元々三篇で1つの作品と考えていたため、この作中にもところどころに伏線を書いている、予定です。

案が色々変わったため、単純に回収し忘れたところもありますが。

え?ああ、はい。二股ではありません。その気はありません。

三編予定、ということで、時間があれば早いところもう一篇あげれたらと思います。

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