第1話 転移
文化祭の準備で体育館の照明を吊っていたはずだった。
九条レンが次に目を開けたとき、頭上にあったのは蛍光灯ではなく、赤茶けた岩肌と、二つの太陽だった。
「……え」
砂と鉄錆の匂いがする。遠くで低い唸りのような音が響き、地面がわずかに震えた。レンは自分の手のひらを見つめた。持っていたはずの脚立の代わりに、錆びついたサバイバルナイフが一本、握られていた。
視界の隅に、見たこともない文字列が浮かんでは消える。
〈固有スキル《機装超強化》を検出しました〉 〈対象座標:辺境開拓星カガヤ第七宙域〉
「機装、超強化……?」
読み上げた瞬間、握っていたナイフがぼんやりと熱を持った気がした。だが特に何も起きない。レンは呆然と立ち尽くしたまま、乾いた風に頬を撫でられていた。
そのとき、背後の岩陰から装甲服に身を包んだ男が三人、姿を現した。
「おい、動くな。座標不明の転移反応はお前か」
銃口を向けられ、レンは震える声で答えるしかなかった。
「あ、あの……すみません、状況が全然わからなくて……」
第2話 カガヤ第七開拓星
連行された先は、資材コンテナを寄せ集めた粗末な入植基地だった。壁一面に貼られたモニターには、宙域の勢力図らしきものが映し出されている。
「転移者、しかも固有スキル持ちか。珍しいこともあるもんだ」
基地を仕切る分隊長・鬼灯は、レンを値踏みするように見た。細身で目つきの鋭い男だった。
「《機装超強化》……装備を強化するスキルらしいが、鑑定機に反応なしだ。倍率ゼロ、いや、測定不能。要するに――ハズレだな」
周囲の入植者たちがどっと笑った。レンはうつむいた。こういう空気には、慣れている。
「まあいい。飯くらいは食わせてやる。その代わり働け」
鬼灯はそう言って背を向けた。レンはただ頷くことしかできなかった。
その夜、割り当てられた資材倉庫の片隅で、レンは握ったままだったサバイバルナイフを見つめていた。
(強化……できるのか、これ)
半信半疑のまま、心の中で念じてみる。「強くなれ」――何も起きない。
(違う。倍率は理解度に比例する、って出てたよな……このナイフのこと、俺は何も知らない)
レンは倉庫の隅に転がっていた工具を手に取り、ナイフを分解し始めた。
第3話 最弱のはじまり
三日間、レンはナイフの分解と再構築を繰り返した。刃の角度、鋼材の結晶構造、柄の重心。倉庫にあった旧式の解析端末を勝手に借りて、金属組成まで調べ上げた。
四日目の朝、もう一度ナイフを握って念じた。
〈対象への理解度:高 強化倍率算出中……〉 〈強化倍率 ×1120 適用します〉
刃がわずかに輝き、次の瞬間、鈍い光沢を帯びた別物のような刃に変わっていた。
試しに、倉庫の外に積まれていた廃棄予定の装甲板に刃を当ててみる。
――ズブリ。
抵抗なく、装甲板が両断された。
「……嘘だろ」
レンは自分の手の中の刃を、呆然と見つめた。怖くなって、慌てて倉庫の隅にナイフを置いた。だが同時に、腹の底から何かがこみ上げてくるのを感じていた。
(俺にも、できることがあるのか)
第4話 追放
翌朝、鬼灯がレンの倉庫にやってきた。周囲には数人の入植者たちも集まっている。
「お前、飯代のわりに働きが悪い。今日でここを出て行ってもらう」
「え……」
「もとより固有スキル持ちだろうと数値がゼロなら価値はない。むしろ配給を圧迫するだけの穀潰しだ」
抗議しようとしたレンだったが、視線の先で鬼灯の目にわずかな嘲りの色を見つけて、言葉を飲み込んだ。
「わかりました……」
わずかな携行食と、あのサバイバルナイフだけを持たされ、レンは基地の外――魔獣ならぬ「変異体」が徘徊するという未開拓地帯へと追い出された。
背後で基地のハッチが閉じる音がした。
一人になった荒野で、レンは強化したナイフを握りしめた。
「……信じるしかない、な」
第5話 変異体
日が傾き始めた頃、地響きとともに巨大な影が現れた。装甲のような外殻を持つ、体長五メートルはあろうかという変異体――旧世界の生物兵器の成れの果てだと、後で知ることになる怪物だった。
「うわああ!!」
反射的に逃げようとしたレンだったが、足がもつれて転倒する。迫る顎の圧力。反応速度も身体能力も、レンは最後まで一般人以下だった。
とっさに握ったナイフを突き出す。
――ただそれだけの、偶然の一撃。
だが強化されたナイフは、変異体の外殻をあっさりと貫通した。絶命した巨体が、レンのすぐ横に崩れ落ちる。
「……勝った? 俺が?」
いや、勝ったのは自分ではない。レンにはそれがわかっていた。
「強かったのは、こいつなんだよな……」
そうつぶやいて、レンは初めて、この力の意味を少しだけ理解し始めていた。
第6話 簡易バリア
その夜、変異体の死骸のそばで野営したレンは、廃品の中から見つけた簡易バリア発生装置――入植者が携行する対変異体用の小型防具――を拾い上げた。
回路を分解し、原理を調べる。エネルギー変換効率、展開範囲、耐久限界。徹夜で構造を洗い出し、朝方ようやく念じてみた。
〈対象への理解度:中 強化倍率算出中……〉 〈強化倍率 ×48000 適用します〉
装置の表面に走る回路が明滅し、今までとは比較にならない出力を帯び始める。
試しに近くの岩に向けて起動すると、薄い光の膜が展開し――直後、レンの持っていた予備の発破材(小規模爆薬)を至近距離で起爆させても、バリアは傷一つつかなかった。
「これ、核クラスでも防げるんじゃ……」
レンは呆然としながらも、少しずつ確信を深めていた。
(理解すればするほど、強くなる。なら――)
第7話 救援信号
数日後、荒野をさまよっていたレンは、遭難した輸送艇のクルーが変異体の群れに囲まれているのを発見する。
「助けて……!」
若い技師らしき女性が叫んでいた。レンは反射的に飛び出しかけて、すぐに足がすくんだ。自分の身体能力では、何もできない。
だが、手の中には強化したナイフと簡易バリアがある。
「あの、下がっていてください……!」
震える声で叫びながら、バリアを展開して技師をかばい、隙をついてナイフで変異体の急所を突く。無我夢中の、決して洗練されているとは言えない戦いだった。
それでも――勝った。
「あ、あなた……その装備、いったい……」
「あ、いえ、その、俺は何もしてません。強かったのは、こいつです」
震える声でそう答えるレンを、技師は不思議そうに、そしてどこか眩しそうに見つめていた。
第8話 工廠へ
救われた技師は、辺境の亡命工廠にレンを案内した。そこにいたのは、老いた技術者――ドルシス・ヴァイエルンだった。
「ほう……固有スキル、《機装超強化》か」
ドルシスはレンの持つナイフとバリア装置を一目見て、目の色を変えた。
「単なる強化スキルではないな。これは、理解した構造を再定義する権限だ。儂の見立てでは……理論上、上限がない」
「上限が、ない……?」
「もっとも、対象を理解して初めて発揮される力だ。生半可な知識では制御を誤り、暴走することもあるだろう」
ドルシスはそう言って、レンに工廠の扉を開いた。旧式のパワードスーツや、鹵獲された機動兵器の残骸が並んでいる。
「儂の工廠で、好きなだけ機体を分解するといい。お前のその力、見せてもらおうか」
レンの胸に、初めて「居場所」と呼べるものが芽生えた瞬間だった。
第9話 最弱スキルの真価
三週間、レンは寝る間も惜しんで工廠の残骸を分解し続けた。パワードスーツの関節構造、装甲材の結晶格子、エネルギー機関の出力制御――理解の量が増えるごとに、視界に浮かぶ強化倍率の予測値も跳ね上がっていく。
「レン、そろそろ試してみるか」
ドルシスが差し出したのは、動力を失って久しい旧式パワードスーツだった。レンは深呼吸をして、機体に手を触れた。
〈対象への理解度:高 強化倍率算出中……〉 〈強化倍率 ×210000 適用します〉
機体全体が青白い光を纏い、装甲の質感そのものが変質していく。起動すると、旧式のはずのスーツが、規格外の出力を唸らせ始めた。
「馬鹿な……この出力は制式採用機を上回っている……!」
ドルシスの驚愕の声を背に、レンは自分の手を見つめた。
(俺の身体は何も変わっていない。それでも――)
「俺にも、やれることがあるのかもしれない」
荒野の追放者は、こうして最弱スキルの真価に、ようやく気づき始めていた。




