12 鍵は母の手記
「お茶のお誘いありがとう、ティア。」
光冠祭が終わると、季節はもうすっかり春に近い。
あんなに降り積もっていた雪はいとも簡単に溶け、地面は生命の芽吹きを感じる。
昼間の穏やかな日差しは微睡みを誘い、苦しかった冬の労働を労わるかのよう。
「強引に誘わせた、の間違いでしょう。」
このフェリタ公爵家の立派な庭園もそうだ。
来た時とは様変わりしていた。
緑が生い茂り、花の蕾は大きく膨らんで開花を待ち侘びている。そんな期待に胸膨らむ今日この頃、設けられたお茶の席に着く私とアルマは対照的に向かい合っていた。
「俺的には本当はもっと魅力的に誘って欲しかったが、それは今度の楽しみに取っておくよ。」
握られた手を振り払うのは簡単。
でもそうしないのは、絡められた指と目の前の男の挑発に動揺などしていないと分からせる為。
アルマが侍女や護衛を追い払ったおかげで、庭園は二人だけの空間になってしまった。
「こんな鎖付けといて、よくそんな事が言えたわね。」
「ん? ああ、アンクレットの事か。中々に良くできているだろう。それを着けて踊れば良い音が鳴る様に特注したからな。急ぎだったから一つしか間に合わなかった。もう一つも今作らせている。もう少し待っていてくれ。」
身体が完治したら両足首に着けて踊ってみてくれ、と笑うアルマを周りの侍女達が見たらきっと、卒倒するのだろう。私には全然これよ良さが分からない。まるで血に染まった赤い瞳は獲物を見ているかのようじゃない。
『絶対に俺から逃げる事は許さない』
彼の威嚇じみた圧力を肌で感じる。
これが竜の血を色濃く受け継いだ者の威圧なのだろう。唾がゴクンと音を立てて喉を通り抜けていった。
「その猫被りやめたらどうなの?」
「なんの事かさっぱりだな。」
光冠祭が終わってから、スキンシップが増えたアルマ。朝食を一緒に取って、雑談をして。体力回復の為の散歩には必ず同伴する。というか、どこに居ても現れる。
アルマは通っているソルドン王立学院にも『婚約者の看病の為』と休学するぐらいだ。側から見れば大層仲睦まじい婚約者だろう。
実際は私の行動を全て把握する為、なんて。
これじゃあ娼婦店『マスカレード』にいた時より窮屈だ。
ただ、屋敷のメイドは献身的なアルマの態度を知ってか、かなり優しい。女同士の主従関係なんて泥沼だとばかり思っていたのに、そんな事もない。皆が私を受け入れ、大切に扱ってくれる。
――黒竜の寵愛を受ける婚約者として……。
私を怒らせたらアルマに報復されるのでは、と怯える侍女が少なからずいるのが気になってはいるのだけど。
「そう言えばこの前、執事長のケベンに表情豊かになられて良かったと泣かれたな。ケベンは俺とティアの婚約を最後まで反対していたのに、今じゃ先陣を切って応援してくれている。」
そう。
憎らしいほど完璧に、全てはこの男の思い描いた通りになっているのだ。
「表情豊か、ね……。貴方の思惑通りに進んでいるのがそれほど嬉しいの?」
「ああ、そうだ。それに今の俺には誘惑される楽しみがあるからな。」
手首に竜印を刻まれた時のことを思い出す。アルマが魅了しろと言う五人の男子生徒のうちの一人がまさかアルマ自身だとは。
「それが一番の問題なのよ。」
本性を知られてしまった状態では、私の演技たらしい色仕掛けは通用しない。それに魅了の魔法も効かない。望めばなんでも手に入るこの男を、どうやって私に恋させるというの?
「この前の光冠祭でも舞は良かったぞ。もう一度踊ってくれたらぐらつくかもな。」
テーブルに置かれた紅茶をひと口啜るアルマ。
態度と言葉がまるで合っていない。
「簡単に吐かれた懇願で、あんたの心が私に傾く事はない。馬鹿げてるわ。」
「あんた、ね。いつになったらアルマと呼び捨てで呼んでくれるんだ?」
「このアンクレットを外してくれるまで、絶対に呼ばない。」
全部が思い通りになるなんて思わないで。
アルマが私を信頼しない様に、私だってまだあんたを信頼していないんだから。
「釣れないな。さて、戯れはこのぐらいにしよう。ティアの傷も癒えてきた事だし、そろそろ本格的に学院に通って貰おうと思う。」
ティーカップをテーブルに置き直したアルマの顔にさっきまでの笑みはなく、出会ったときのような無表情で冷徹を纏っていた。
その顔が、その表情が、私に恋などしないと言っている。まるで二重人格だ。本当のアルマが分からない。だからこの男は落とせない。私の直感がそう囁くのを、私の理性が押し殺した。
「ソルドン王立学院へ通い始めるのは今からちょうど二週間後。入学式から一ヶ月遅れてのスタートになる。それまでにやる事は今までと変わらない。」
つまり、許容とマナーを磨けということね。それに関しては反論はない。ナポリック教授の美しい所作を見た時から、遊女が習得するカーテシー程度では太刀打ち出来ないと理解したから。
「ここからが本題だ。」
「入学後の話ね?」
「そうだ。これをみろ。」
そう言ってアルマが取り出したのは一冊の手記。
中を開くように言われ、めくったページには、美しい文字が並んでいるようだった。
「…………なに、これ?」
文字を覚えたての私には、まだそこに並ぶ言葉の大半を理解出来ない。そんな私でも分かるぐらい、この手記は異質だった。
「この不自然な虫食いの量の多さは、一体なに?」
手記はかなり古い物で、所々の紙が日焼けして茶色に染まっている。とても丁寧に大切に使い込まれた物だと一目で分かるぐらい。なのに、文章の途中で急に文字が消えている部分が多くあり、その全ての場所が真新しい白い紙の色を維持していた。
まるで、このには最初から文字など書かれていなかったと言わんばかりに。
「これは俺の母、ハルカ・フェリタが残した手記だ。彼女は予知の固有魔法使いだったらしい。」
「らしいって、あんたの母親なのに他人事ね。」
「ああ、幼い頃に数回しか会った事がないまま死んでしまったからな。俺からしたらほとんど他人と変わらない。」
アルマの顔にはなんの表情もなく、淡々と事実を述べているようだった。空虚な赤い瞳は、親に売られた私とはまた違うなにかがあるのだろうとは理解出来た。でも、私には関係のない事だ。
「そう。それで、この手記には何が書かれているの? 私に見せたって事はなんらかの関係あるんでしょう?」
「その通り、この手記には今度の未来の出来事が書かれている。」
「…………え!?」
思わず手記に視線を落とし、言葉の解読を試みようとした私をアルマが制止した。
「正確には、俺の母が予知の魔法で見た未来が書かれていた、だ。」
「書かれていた?」
アルマの指示でページを更に捲ってみると、手記は二十ページを最後に白紙になっていた。
「元々、この手記は最後の一ページまで、未来がぎっしりと書かれていたんだ。それが、たった一年でこうなった。つまり、母が見た未来が消えた事を意味する。」
未来が、消えた…………?
もう一度、手記に目を向けると二十ページ以降の白紙は、虫食いになっているところと同じく不自然なぐらい真新しかった。
「先代から使えている執事長のケベンから聞いた話だと、母の予知魔法は完璧ではなかったが、その精度は高かったそうだ。」
なんでも未来は可能性の無限にあり、多岐に枝分かれした内の一つの選択肢であると。アルマの母はその中からより選ばれやすい選択肢を観る魔法が使えたそうだ。ただ、強大すぎる固有魔法を行使するには、それなりの代償が伴ったそうだけど……。
「未来が外れた部分は手記の文章も消えてしまう。この虫食いみたいにな。それから読み手の記憶も徐々に消えていく。実際、俺はこの手記を何度も読み返していた筈なのに、最後の二十ページ以降に書かれていた未来の記憶はかなり失われた気がする。」
「はぁ!?」
「俺がマスカレードでヒナについて話したこと、覚えたいるか?」
「もちろん覚えてい…………、あれ?」
アルマはどんな女の子だって言ってたっけ?
現実と母の手記に書かれたヒナはどこか違うって言ったっけ?
「思い、出せない……。」
「それが、失われた未来だ。たった一度聞いただけの不確かな未来の話は一ヶ月も覚えてられない。まぁ、あの時は色々あってそれどころじゃなかったというのもあるがな。」
「………………嘘、でしょ。」
私は、アルマ自身が何かしらで未来視をしているのだとばかり思っていた。だから、今後もその力を使っていくものだと。
アルマに要約してもらった手記の最後の文章は、一ヶ月前に起きたマスカレードの火災が起こる詳細な時間と原因が綴られていた。もちろん私の名前も書かれてると。
「母の手記はこの他にもあるんだが、いくつかの虫食いはあれど、大筋が逸れるなんてなかった。ここまで未来が消える事なんて初めてなんだ。」
アルマの表情から、この事態がどれだけ深刻なのか思い知らされる。
「だから、いるはずなんだ。」
「……え?」
「未来を捻じ曲げられるほどの魔法使いが。」
「ッ!?」
そんな強大な魔法使いがいるなら、すぐに分かるんじゃないの?
だってこの国は魔法使いは正体を隠してはいけないのだから……って、まさか。
「私と同じ、国に登録していない魔法使いの仕業なの?」
「それは分からない。可能性は高いと思うがな。ただ、この手記に記された文章が消え始めたのは一年前から。俺の知る中で同時期に変化しだしたのは、たった一人。」
彼の今日までの言動。
私を鎖で縛る意味。
そして、光冠祭での出来事。
それらを合わせたら、思い当たるのは……。
「光魔法の使い手、ヒナだ。」
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