第9話
トマヤの城壁は、重い沈黙を湛えていた。
魔法灯の淡い光が石畳の隙間を照らし、遠くの煙突から立ち上る煙が、空を灰色に染め上げる。
カイトは城壁の狭い監視塔に腰を下ろし、自作のライフルを膝に置いていた。
昨夜の倉庫襲撃で火薬庫の一部を失った代償――大半はエラの機転で守られたものの、対外的に罰を与える名目で、最前線の警備に回されたのだ。
テオの隣で、リナが無言で弓を磨く。
彼女は監視役として付けられた。
盾の王国の掟は厳しく、失敗の傷跡を残す。
カイトの横には、エラが座っていた。
双眼鏡を握りしめている。
彼女はスポッターとして、カイトの射撃を補助する役割だ。
ライフルは工房で鍛えた逸品。
前世のスナイパーライフルを模し、セラフィナの魔力でレンズを強化したスコープ。
カイトはスコープを覗き、平原を走査する。
遠く、地平線。
魔女軍の砲兵隊――大砲を牽く馬の群れが迫る。
十数門の砲身が朝陽を鈍く反射し、火薬箱の積み荷が重く軋む音が、風に乗ってかすかに届く。
エラの声が、響く。
「目標一、距離五百メートル。方位二百三十度、砲手三人。風速微弱、右から秒速三メートル補正――変動の可能性あり、確認を」
引き金に指をかけ、カイトは息を止める。
パン!
乾いた音が塔に反響し、硝煙の細い糸が視界を一瞬曇らせる。
ボルトを引いて空薬莢を吐き出し、次の弾を滑り込ませる。
遠く、砲手の胸が弾ける。
馬が驚いて嘶いて、隊列がわずかに乱れる――が、兵たちが即座に散開を始め、盾を構えて周囲を窺う。
どこから来た死か、誰も知れぬまま、砲手の一人が地面に倒れる。
エラの双眼鏡が光を反射し、次の指示を飛ばす。
「命中――だが風が強まったか。目標二、距離四百八十メートル。方位二百四十度、火薬箱狙い。弾道調整、左から秒速二メートルプラス一、試射気味で」
リナの指が、弓の弦を磨く動作を一瞬止める。
五百メートル先の的確な一撃――。
彼女は視線を弓に戻し、無言で息を吐く。
テオが地図に赤インクで印を付けながら、淡々と続ける。
「次は四大厄災の一角、エリスだ。あれが平原を這えば、俺たちの盾は一瞬で石の墓場だ。過去の戦場で、味方の半数が一夜で石像に変わったって話だぜ。今夜、強襲作戦に出ろと命令を受けている。マラカン部隊が先行して囮を張るはずだが……連絡が途絶えてるらしい。まぁ偵察して来いってことだな」
スコープの十字線が火薬箱を捉え、カイトの息が再び止まる。
パン!
銃身がわずかに震え、熱を溜め込む中、ボルトの金属音が塔に響く。
スコープ越しに、火薬箱が爆ぜるのが見える。
オレンジの炎が馬を包み、大砲の車輪が崩壊した。
悲鳴が遠くから届き、隊列が後退を始める――が、数名の斥候が馬を飛ばしてこちらの方向を探る。
斥候の一人が、塔のシルエットを指さし、魔女軍の小隊が煙幕を張りながら接近を始める。
エラの声が続く。
「目標三、距離四百五十メートル。方位二百五十度。風変わらず。撃て」
カイトの指が動き、銃身が熱を帯びる。
撃つたび、カイトの表情がわずかに和らぐ。
カイトは撃ち続ける。
パン! パン!
一発目は砲手を貫き、二発目は火薬箱を焦がす。
見える範囲の砲兵が、次々と倒れていく。
銃身が熱を帯び、隊列がわずかに散開を始める。
十数門の大砲のうち大半が、火薬箱の爆発で焼き尽くされる。
平原に黒煙の柱が立ち上り、魔女軍の進軍が止まる。
エラの瞳にわずかな興奮が宿る――が、額に汗が浮かぶ。
「全目標排除。残骸確認、炎上中。完璧だ、カイト」
カイトの指が、地図の赤インクで描かれたエリスの進路に止まる。
彼は提案する。
「作戦を変えた方がいい。エリスをおびき寄せるんだ。囮として、偽の石の輸送信号を送る――工房で作った魔力の偽物玉を、平原に置いておく。マラカンの残党の装備を着て、わざと痕跡を残せば、奴は飛びついてくる。相手の能力から単独で近づいてくるのが濃厚だ。そこで、俺が一対一で勝負する」
テオの眉が上がった。
「一対一? お前、石化の魔女相手だぞ。見られただけで石像だ。勝算はあるのか? お前の銃が効くとは限らねえぞ?」
「勝算が無ければ、こんな話はしない。そうだろ?」
テオは一瞬沈黙し、地図を畳む。
やがて、肩を叩き、いつもの陽気な笑みを浮かべる。
「ふん、相変わらず無茶だな。よし、信じるぜ。だが、万が一のために――ここら一帯に地雷を埋めておく。ヤバくなったら即撤退して信号弾を打て」
テオの言葉に、カイトは頷く。
やがて、テオが立ち上がり、カイトの肩を叩く。
「よし、仕事はこれで終わりだ。石化の魔女が動く前に、俺たちは次の配置へ。リナ、監視お疲れさん!」
四人は塔を降り、街路へ足を踏み出す。
だが、何かが蠢く気配が、静かに告げる──次の戦いが、すぐそこまで来ている。
石の吐息が、風に乗って忍び寄る。




