第3話
市場の広場は血と硝煙に染まり、魔法灯の淡い青白い光が死体の山を不気味に照らし出していた。
倒れた敵兵たちの目が、開いたままの虚ろな瞳で虚空を睨みつけた。
カイトは一人、広場の端で息を整えていた。
突然、空気が重くなった。
青色の魔力の渦が膨張する。
痩せた影が這い出て、名乗りを上げた。
「我が名はヴェロニア、腐食の魔女なり」
カイトが応えた。
「傭兵カイト、お前を殺すものなり」
魔女の唇が歪み、嘲笑を浮かべる。
「名乗りを知るか、坊や」
粘つく呪文の囁きが響き渡った。
「大気に満ちるは、腐敗の抱擁」
「我が身を源とし、すべてを蝕め――《ロットミア》!」
指先から滴る粘液が地面を腐食させる。
果物箱のリンゴが一瞬で黒く変色し、異臭が広がった。
カイトの背筋に冷たいものが走る。
引き金を軽く指にかける。
ヴェロニアの指先から青に染まった腐食液が霧状に噴き出し、鋭い針のように彼の胸を狙う――初撃の範囲攻撃か。
「そんな玩具で、私を倒せるとでも?」
人間戦の疲労が体を蝕む中、アドレナリンが再び噴き出す。
カイトは素早く足を踏み込み、地面に散らばった崩れた板切れを盾代わりに拾い上げる。
腐食液が板に食らいつき、木目が泡立ち黒く溶け始めるのを、視界の端で冷静に観察する。
――腐食速度、三秒で貫通。魔力依存の持続型か。
視線を巡らせ、周囲の残骸を探る。
崩れた果物箱から転がった石塊を拾い上げ、渾身の力で投げつける。
石は弧を描いて魔女に向かうが、途中で霧に飲み込まれ、黒く変色しながら砕け散る。
粉塵が舞い上がり、異臭がさらに強まる。
――近接は不利。腐食力は距離比例か。
試しに、ホルスターから短銃を引き抜き、風下を避けるように横に回り込みながら通常弾を一発発射。
だが、ヴェロニアの周囲に腐食液が渦を巻き、薄い酸の盾を形成。
弾は盾に阻まれ、威力が削がれて浅い傷しか残さない。
彼女の笑いが霧に溶け込む。
「ふふ、効かないわね」
カイトは間合いを保ち、残り弾を計算しながら連射を浴びせる。
――あと三発でオーバーヒートか。
予備マガジンを確認した。
通常弾が次々と盾に食らいつき、青い粒子を散らし、盾の表面が薄く波打って再生を繰り返すが、魔女の体に届くのはわずか。
銃身が熱を帯び、硝煙が腐臭と混じり合う中、彼は瓦礫の陰に身を寄せ、次の射撃ポジションを探る。
「このまま、石を奪って帰ってあげるわ」
彼女はゆっくりと歩を進める。
霧がさらに濃くなり、市場の地面が黒く溶け、足場が不安定になる。
カイトの視線が彼女を冷たく射抜き、左手で腰のホルスターから予備の魔女弾を素早く取り出す。
親指でシリンダーのラッチを押し開き、通常弾を素早く排出――その隙間に、赤黒く脈打つ弾を一つ、正確に押し込む。
シリンダーを閉じ、魔女の前に立ちふさがる。
銃口を彼女の胸元に真っ直ぐ向ける。
ヴェロニアは足を止め、両手を広げて挑発する。
「最後の足掻き? 来なさい、坊や――腐食は魂の始まり、すべてを灰に還す慈悲よ」
腐食の霧が頂点に達し、青い渦がカイトを飲み込もうとする。
カイトの指が引き金を絞る。
銃口から、赤黒い煙が爆発的に噴き出した。
魔女の魔力を貪りつくす魔女弾。
赤と青が激しく絡み合い、市場の空気を焼き焦がす。
彼女の悲鳴が鋭く裂けた。
「きゃあっ! 私の力……何? この煙は!?」
血煙は彼女を内側から蝕み、青の輝きを急速に弱めていく。
視界が赤く染まり、煙の粒子が肌に食らいつき、骨まで溶かすような抑制の呪いが発動する。
ヴェロニアの体が痙攣し、指先の粘液が乾き、腐食の進行が止まる。
市場の果物箱が崩れ落ち、残骸の木片が飛び散る中、カイトは煙の広がりを観察した。
彼女はフラつきながら、反撃の呪文を紡ごうとする。
「お前ごときに……!」
だが遅い。
「これで終わりだ」
カイトは間合いを保ったまま、再び発射。
弾丸が喉元を正確に捉え、貫く。
ヴェロニアの体が仰け反り、地面に力尽きて倒れる。
彼は周囲を素早く走査する。
銃を再装填しつつ、残党の気配を探る。
勝利の達成感が体を満たすが、疲労が骨まで染みる――それでも、次の脅威に備え、肩の傷口に布を押し当てる。
魔女の残り火が市場の風に舞い上がり、硝煙の残り香が薄れていく中、遠くから弓の弦が張る鋭い音が響き始め、カイトは背後の気配を即座に察知し、短銃を握り直した。
彼の背後に冷たい視線が突き刺さる――が、回避ルートを頭に描きながら振り返る。
「見せてもらったよ。素晴らしい腕前だ」
カイトが振り返ると、そこに立っていたのは少女だった。
十六歳ほどの細身の体躯に、盾の王国の徽章を刻んだ革鎧。
長い黒髪を後ろで束ね、鋭い瞳が彼を値踏みするように見据える。
弓の先端が、わずかにカイトの胸を指していた。
リナ――その名を知る由もないが、彼女の目には冷徹さと、何か柔らかなものが混じっていた。
灰の粒子が彼女の頰を撫で、魔法灯の光が弓の弦を銀色に輝かせる。
彼は応じる。
「……俺はただの傭兵だ」
リナの眉がわずかに動く。
弓の張りを緩めず、しかし眼差しが一瞬、優しげに揺らぐ。
「ふん、純粋な目だな」
彼女の言葉に、微かな好奇心が混じる。
リナは弓を下ろし、踵を返す。
「また会うかもな、傭兵。生き延びろ――影の光として」
去り際の言葉が、風に軽く舞う。
カイトは彼女の背中を見送った。




