第22話
霧の聖櫃の甲板。
リテンの神父たちが、祈りを捧げる中――一人の影が、船縁に立つ。
白いローブの下に、筋肉の塊を隠した巨躯。
顔に十字の刺青、瞳に複数の魔力が渦巻く。
神父、エルドリック。
リテンの対魔女最終兵器――生贄の魔女たちから摘出されたコアを、体に埋め込まれた怪物。
胸に火のコア、腕に水のコア、背に境界のコア。
三つの禁忌が、神の名の下に肉体を再構築した産物。
祈りの一言で、その鎖が解け、限界を超えた動きを許す。
「主よ、この身を以て、異端を討ち果たさん」
エルドリックの声が響く。
船の底から、ロープが垂れ下がる。
彼は単身、降下する。
背中の境界コアが微かに脈打ち、空間の境界をあいまいに溶かす。
「主よ、境界を溶かせ……」
祈りの囁きとともに滑空し、大地に着地する。
教徒部隊の先頭に立ち、十字の印を結ぶ。
後方から教徒たちの祈りの伝達が響く。
「援護射撃準備! 敵影を固定せよ!」
聖櫃のコアが脈打ち、教徒の精神に直接語りかけた。
その時、上空でドラゴンの咆哮が爆ぜた。
ルプスのドラゴン部隊――シルヴィアの配下が、船を狙っていた。
「我が名はシルヴィア、千剣の魔女なり」
エルドリックが嘲った。
「我が名はエルドリック、破戒の神父なり!」
シルヴィアが、ドラゴンの背に跨り、指を舞わせた。
「我が名を知る剣よ、虚無より顕現せよ」
「千の意思を束ね、我が掌に集え」
「その軌跡は逃れ得ぬ宿命を刻む」
「舞え! 貫け――《ソード・テンペスト》!」
シュババババババッ!
千本の剣が、螺旋を描き、聖櫃の結界を裂く。
青白い光線が、反撃の砲として放たれるが、剣雨が甲板を削った。
ドラゴンの炎が、船体を焦がした。
甲板に響く教徒の叫び声――「炎が迫る! 負傷者、退避せよ!」――焦げ臭い煙が戦線を満たした。
混戦の空で、シルヴィアの瞳が冷たく輝いたが、彼女の配下の騎士たちにも疲労の影が差していた。
「リテンの偽善者ども……石は、私のものよ」
教徒たちが祈りの盾を構える中、エルドリックは一歩踏み出した。
境界コアが活性化し、空間がわずかに歪んだ――足元があいまいになり、体が一瞬でドラゴンへと辿り着く。
瞬間移動のような、しかし「境界のずれ」によるものだった。
ドラゴンの脚に跳びつき、胸の火コアが腕を赤く染めた。
「神の裁きを、受けよ。世界の穢れよ」
拳が叩き込まれた。
ゴガァン!
鱗が砕け、血飛沫が噴き出した。
ルプスの騎士が、剣を振り下ろすが、エルドリックの腕の水コアが霧を呼び起こした。
柔らかな水のヴェールが剣を包み、軌道を曲げて逸らした。
カウンターの手刀で喉を裂き、騎士の体が霧に落ちた。
シルヴィアの剣雨が、迫った。
千本の銀軌跡が、神父を包囲した。
螺旋の嵐が、急所――首、目、心臓――を精密に狙った。
剣が空気を裂き、火花を散らして迫った。
他のドラゴン部隊が援護射撃を加え、炎の尾を引きながらエルドリックを狙ったが、霧のヴェールが視界を乱し、弾道を逸らした。
その瞬間、神父の祈りが、肉体の鎖を解いた。
「主よ、肉の鎖を解け……この身を、浄化の器とせよ」
首がゴキリと百八十度回転し、後方からの剣を目視――軌道を読み、わずかに体をずらすだけで、刃が虚空を薙いだ。
次の連鎖が正面から襲ったが、瞳が無数に分裂し全方位を捉え、両の手で剣の先端を全て逸らし切った。
一瞬の隙に、腕が逆方向へ曲がり、ドラゴンの翼を薙いだ――赤い熱波が銀髪を焦がし、彼女の魔力線を乱した。
ローブの裂け目から覗く皮膚が、祈りの余韻でわずかに震えた。
魔女の瞳が見開かれた。
「何……この動き。人間の動きじゃない……!」
彼女の剣雨が一瞬止まった。
彼女が歯を食いしばり、ドラゴンを急旋回させた。
「……引き裂いてくれる!」
再びの剣嵐が吹き荒れた。
だが、彼は境界コアを全開――体が「瞬間移動」し、シルヴィアの背後に滑り込んだ。
距離の境界が溶け、ドラゴンの尻尾を掴んだ。
首が再び回転し、後ろの剣を睨み、軌道を予測――水コアの霧で剣をねじ曲げ、カウンターの突きで彼女の肩を裂いた。
青の血が噴き出し、魔女のクールな表情が、初めて歪んだ。
神父の指先が、祈りの印を結ぶたび、関節が不自然に折れ曲がり、剣の連鎖を掻い潜った――各動作が、静かな異形さを刻んだ。
「ぐっ……人の姿を借りた、怪物め!」
彼女の唇が動き、新たな詠唱を紡ぎ始めた。
指先が震え、魔力線が銀の糸を再び呼び起こした。
「逃れる影なく、抗う光なく――」
だが、言葉は途切れた。
神父の腕の水コアが活性化し、霧が一瞬で凝縮――透明な水のヴェールが、魔女の口元に押し寄せた。
柔らかな奔流が唇を塞ぎ、喉を水で満たした。
彼女の目が見開き、銀髪が乱れ、詠唱の息が泡となった。
ドラゴンが咆哮し、体をよじったが、神父の爪が尻尾を固定したまま、空間のずれで追従した。
「穢れの声よ、神の水に沈め」
エルドリックの祈りが響いた。
水のヴェールが彼女の鼻腔まで侵食し、肺を圧迫した。
魔女の体が痙攣し、魔力線が乱れ、生成途中の剣が虚空に霧散した。
激しい空中戦の末――神父の祈りが、頂点に達した。
「主よ、浄化を!」
複数のコアが、共鳴し、十字の光線を放った。
火の熱波、水の霧、境界の歪みが融合し、水に塞がれた彼女の体を貫いた。
光線が胸を抉り、魔力の核を焼き払った――内側から沸騰するような灼熱が、彼女の血潮を逆流させ、青の魔力が蒸気となって噴き出した。
肉の焼ける臭いが霧に広がり、閃光が体を貫き、ドラゴンの咆哮に掻き消された。
声にならない叫びが水のヴェールの中で泡立ち、銀髪が乱れに乱れ、ドラゴンの背から落ちた。
千剣の魔力が、消えた。
エルドリックの勝利の祈りが響いた。
「異端、一掃せり」
だが、空の混戦は、止まらなかった。
上空の聖櫃から届く報告――「敵ドラゴン部隊の半数撃墜! 地上部隊、進撃せよ!」――が、途切れ途切れに響く中、リテンの聖櫃が、砲撃を続けた。




