第18話
人海の叫びが遠く響く中、テオの傭兵部隊は側面の廃墟街に分断されていた。
盾軍の歩兵が後退を叫び、マラカンの騎兵が槍を振るうが、イナの波は容赦ない。
テオは剣を握り直し、エラの小さな手を引きながら、路地の影に身を寄せる。
側面の霧が膨張する。
紫の渦が、空気をねじ曲げ、視界をぼやけさせる。
そこから、細身のシルエットが現れる。
セリナ――幻惑の鬼。
白色のローブが霧に溶け、首のコアが紫の渦模様を蠢かせる。
瞳が二重に揺らぎ、唇に不気味な笑みが浮かぶ。
埋め込まれた霧のコアが、彼女の心を幻の檻に閉じ込めていた。
「ふふ……良い夢見せてあげるわ」
彼女の声が、囁きのように響く。
霧が渦巻き、路地を覆う。
彼女の指先が優雅に舞い、低い詠唱が霧に溶け込む。
「月影に揺らめくは幻、瞳を惑わす夢の糸……真も偽も呑み込め――《イリュージョン・ミスト》!」
テオの視界が、突然揺らぐ。
エラの姿が、二つに分裂する。
一人は、笑顔で手を振る。
もう一人は、血まみれで倒れている。
「エラ……?」
セリナの笑みが、深くなる。
「見てごらんなさい。あの少女を、あなたが斬ったのよ。陽気な剣士さん」
幻のエラが、喉を押さえて倒れる。
テオの周囲に、無数の幻が現れる。
傭兵の仲間たち――リナ、カイト、皆の姿。
だが、彼らの目は、敵意に満ちている。
幻のリナが弓を構え、矢を放つ。
シュッ!
彼は身を翻し、瓦礫の陰に滑り込んだ。
矢が石畳を削る。
「裏切り者め!」
幻のカイトの銃声が、響く。
バン!
弾丸が、テオの肩をかすめる。
「ちっ……皆の顔で、よくも」
テオの息が、荒くなる。
セリナがローブからナイフを取り出し、接近する。
「あなたの心、溶かしてあげる」
その瞬間――剣が閃く。
一閃。
セリナの右足が、膝下から斬り落とされる。
血の飛沫が、紫の渦に混じり、地面に赤黒い弧を描く。
彼女は仰け反り、激痛に息を詰まらせ、言葉にならないうめきを漏らす。
コアが激しく脈打ち、霧が一瞬乱れるが、彼女の視界はすでにぼやけ始めていた。
テオは剣を振り払い、見下ろす。
「コアの拒絶反応が強いみたいだな。再生は期待できないか」
その声は、当たり前の分析のように抑揚がなかった。
「あー、すまない。今の俺にこれは逆効果だ」
彼女の顔が、蒼白に歪む。
エラがテオの後ろから現れる。
「次の行動は?」
彼はセリナの左足に、短剣を軽く添え――一閃。
もう一本の足が、膝下から落ちる。
「きゃあぁっ! 止めて……お願い!」
彼女の爪が、地面を掻きむしる。
コアの紫光が、弱々しく明滅する。
エラがセリナの顎を短剣で持ち上げ、冷静に分析する。
「今日は、私が尋問を担当してもいいですか?」
テオは剣を鞘に収め、状況を即座に判断した。
「時間をかけられない。敵の目的は石の奪取。イナの波も迫っている。敵の位置と他の鬼の能力を優先的に引き出せ」
セリナの体が、痛みに痙攣する。
エラの短剣がコアの縁を軽く掠める。
紫の火花が散り、幻が霧散する。
「それじゃあ、吐いてもらいますね」
セリナの唇が、震える。
「ぐっ……死んでも言わないわ……石は、民の……!」
エラが、足で彼女の切断面を軽く押す。
悲鳴が路地に響く。
「敵の位置は? 他の鬼の能力。ドラゴンの増援規模は?」
淡々とした質問。
彼女の息が、断続的に途切れ、痛みに顔を歪めながら、断片的に吐き出す。
「ガルドは……正面の……塔基部……岩の体……」
彼女の声が弱まり、エラが切断面を押す。
再び悲鳴が上がる。
「ザーク……後方……速さ……ドラゴン、三頭……ルプス……!」
テオの剣が、再び一閃。
セリナの首が転がる。
頭部が地面に転がる鈍い音が、路地の叫び声に混じって響く。
彼の声が、冷徹に路地を貫く。
「時間がない。急ぐぞ」
彼が角笛を吹く。
「リナの救出は後回しだ。カイトは一人でガルドを抑えられるはず――中央に向かう。陣形を再構築し、合流ルートを確保する」
遠くから、ドラゴンの咆哮が響く。
彼の指示が、即座に飛ぶ。
「中央の状況を追え。俺たちは東路地から迂回、挟撃ルートを維持」
鬼の幻は、消えても、波は続く。




