第4話:一ノ瀬直也
盛岡駅に降り立ち、伊達メガネをかけ直す。
――まずは、予断を持たずにヒアリングする事から始めよう。
タクシーに乗り込み、目的地を告げたとき、運転手が一瞬、表情を曇らせた。
「……あそこに行くんですか?」
言葉の調子に濁りがある。
オレは敢えて軽く尋ね返した。
「評判はどうなんです?」
運転手はため息を吐いた。
「最初は立派な話でしたよ。“老後の理想郷”なんてな。
でも蓋を開けりゃ、介護職員は集まらない、集めてもすぐ辞める。待遇もきついし、教育も追いつかない。
入居費用は高いから、結局は伊東注のOBとか、そうでなけりゃ、地元の一部の資産家、あとは首都圏から来た金持ちばっかりですよ。
この辺の普通のじいちゃんばあちゃんには、縁のない場所になっちまった」
車を降り、近くの純喫茶に入った。
ネルドリップの珈琲を淹れる店主に、同じ質問をしてみる。
「俺の常連さんも何人か、入居を考えたけど……諦めたよ。
“費用が高すぎる、職員の入れ替わりが激しくて不安だ”ってな。
パンフレットには夢みたいなことが書いてあるけど、現実は違う」
さらに、近くのコンビニでバイトをしている大学生に声をかける。
「バイト仲間が介護職員の派遣やってたんすけど、地獄だったらしいっすよ。人が足りなすぎて、夜勤の連続。
“理想の終の棲家”ってより、“金持ち向けの終活億ション”みたいな感じっすね」
――どこへ行っても、同じだ。
資料の上では「先進モデル」と持ち上げられていたはずの複合型シニアタウン。
しかし、聞こえてくるのは失望と諦めの声ばかり。
オレは喫茶店の窓際に座り、外のまだ雪の残る景色を眺めながら、胸の内で整理した。
「結局……“箱”を作っただけなんだ」
施設は立派でも、人がいない。
理念は美しくても、現場が回らない。
そして入居者は、資産を持つ一部に限られる。
――これでは地方の救いにはならない。
むしろ格差を拡げ、地域社会の断絶を深めるだけだ。
保奈美が言った「サンタローザのホスピスのような場所」。
あれは、金持ちだけの楽園ではなく、誰もが安心して最期を迎えられる場所だった。
日本で実現しようとすれば、従来型の「複合タウン」とは全く違う発想が必要になる。
コーヒーを一口。苦味が口に広がる。
――この失敗に基づく別の進み方を考えなければならない。
喫茶店を出て、冷たい風を胸に吸い込んだ。
ここまでの評価を、どう受け止めるべきか考えていた矢先、目の前の施設の玄関から、一人の女性が出てくるのが見えた。
三十代そこそこだろう。落ち着いた色のパンツスーツ姿だが、背筋がすっと伸びていて、所作の端々に和の香りが漂う。
髪はまとめ上げてあり、すっきりした横顔に、どこか芯の強さがにじんでいた。
私は歩みを止め、思わず声をかけていた。
「すみません、この施設について、少しお伺いしてもいいですか?」
女性は小さく目を瞬かせ、すぐにこちらを見た。
「新聞記者さんですか?」
「……まあ、似たようなものです」
そう曖昧に答えると、彼女はふっと笑って言った。
「ここではなんですから。駐車場まで歩きながらでよければ」
並んで歩き出すと、彼女はあっさりと語り始めた。
「私、ここの介護士をしているんです。本当は松川で女将をしていました。実家が旅館で。……でも不景気と人手不足で、続けられなくなってしまって」
旅館、女将――その言葉に、私は思わず彼女を見つめ直す。
確かに、立ち居振る舞いにそれが滲んでいる。
接客の空気を身にまといながらも、今は違う場所で戦っているのだ。
「加納……千鶴と申します」
彼女は軽く会釈をした。
その笑みには、明るさと、少しの翳りが同居していた。