表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/108

第63話:一ノ瀬直也

 朝の光が差し込む頃、オレと保奈美はArchetype Robotics本社に到着した。


 Archetype Robotics本社に付設された工房の中は徹夜明けの熱気に包まれていた。部品が並ぶ作業台、油と金属の匂い、工具の音。スタッフたちが黙々と最後の調整を続けている。


 その輪の中に――小松原沙織がいた。


 つい昨日まで五井物産で肩身を狭くしていた彼女が、今は真剣な眼差しでモーターを調整し、若い技術者に的確に指示を出している。まるで旧い仲間だったかのように、自然に場に溶け込んでいた。


 桐生が額の汗を拭いながらオレに声をかけた。

 「……ギリギリ、なんとかなりそうです。ただテストが充分じゃないのが気になるけれど。もう、移動する途上で少しでも確認してもらうしかありませんね」


 「分かりました」オレは深く頷いた。

 「桐生さん、それから小松原さんも。徹夜明けで申し訳ありませんが、一緒に来てください」


 「もちろん」桐生は即答した。そしてふと沙織を見て言葉を続けた。

 「それにしても……彼女がいなければ到底間に合わなかったでしょうね。……だいたい、なんで総合商社なんかにいたんだろう。それがむしろ分からないよね」


 オレは沙織を見た。彼女は驚いたように瞬きをし、そして小さく肩をすくめた。


 「……バカだったんです」

 ぽつりと落とされた声は、油と金属の匂いに混じって胸に重く響いた。

 「本来なら機械メーカーを志望すべきだった。でも結局、総合商社――五井物産というブランドに惹かれてしまった。最終面接まで残って舞い上がって……自分が本当にやりたいことを見失ったんです」


 その横顔には、悔恨と寂しさがにじんでいた。


 「総合商社マンがカッコいいのは……結局、直也さんのような人が象徴化しているからなんですよね。全員がそうじゃない。むしろ錯覚でした」


 オレは言葉を返せなかった。彼女の声はあまりにも率直で、痛々しいほどだった。


 だが、桐生は笑った。

 「――合格だよ、小松原さん、だったね?ぜひウチに来て欲しいな」


 沙織が驚いた顔で桐生を見た。


 「ウチはこれから五井物産からも栗田自動車からもDeepFuture AIからも出資を受ける。でも……だからこそ、外部のプレイヤーと強かに交渉できる人材が必要なんだ。普段は研究開発を一緒にやりながら、ビジネスも理解できる人材がね」


 工房の空気が一瞬止まったように感じた。

 沙織はしばらく黙ったまま、視線を落とした。震える指先をぎゅっと握りしめ、やがて小さく頷いた。


 ――敗者の烙印を押された彼女が、今、再び立ち上がろうとしている。


 その光景を前にして、オレは確信していた。

 (……これでいい。GAIALINQには、彼女の力が必要になる)


 徹夜で組み上げられたP-02が、静かに立ち上がった。

 その人工の瞳に灯る光が、未来を切り拓く狼煙のように見えた。


横にいた保奈美が目を丸くした。

 「え? ロボットなの? コレ……」


 彼女は一歩近づき、無邪気な声で問いかけた。

 「あなたの名前は?」


 機械的な声が返ってくる。

 「ワタシハP-02。ハンヨウヒトガタサギョウヨウキキノプロトタイプ02ゴウキデス」


 スタッフの一人が慌ただしく端末を操作しながら言った。

 「今、ソフトウェアのアップデートが走っていますから、もう少ししたら円滑に話せるようになりますよ」


 保奈美はぱっと笑顔を見せた。

 「すごい! お話もできるのね。でも名前がP-02なんて、機械みたいで可哀想……」


 そう言ってから、何かを思いついたように両手を叩く。

 「あっ、そうだ! あなたの名前は“O2さん”。だから――オニーさんね!」


 ロボットの人工音声が一瞬間を置いて返す。

 「オニーサン……リョウカイシマシタ。ワタシハ、オニーサンデス」


 「わあ! オニーさん、よく出来ました!」

 保奈美が飛び跳ねるように喜ぶ姿に、工房の空気が和んだ。


 桐生が苦笑しながらオレの耳元に寄ってくる。

 「あのべっぴんのお嬢ちゃんは一体全体誰なんだい? まさか一ノ瀬さんの恋人か何か?」


 「いえ、違います」オレは慌てて首を振った。

 「私の義妹です」


 保奈美はそんな会話を気にもせず、ロボットに向き直った。

 「オニーさん。私は誰?」


 人工音声が即座に答える。

 「ハイ。アナタハ、ホナミサンデス」


 「すごい! オニーさん、よく出来ました!……ねぇ直也さん。直也さんよりこのオニーさんは素直だよ」

 その喜びように、技術者たちも思わず顔をほころばせていた。

 オレは苦笑するしかない。


 端末の画面に「アップデート完了」の文字が表示される。

 もう本体を梱包している余裕はない。そのまま運ぶしかない。

 充電された予備バッテリーを急いで桐生は梱包する。


 「桐生さん、出ましょう」

 オレの言葉に頷いた桐生は、スタッフへ短く指示を飛ばした。


 P-02――いや、“オニーさん”を中央に据えて、我々は工房を後にした。

 タクシーを二台手配し、桐生は作業着のままで、沙織は急いでスーツに着替え、P-02と同乗する。それから保奈美とオレ。

 残るスタッフたちは工房から手を振り、夜明けの街に出発する一行を見送った。


 (――首長会議までに、間に合わせるしかない。)


 タクシーの窓から見える東京の街並みは、冷たい冬の光に包まれていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ