第57話:小松原沙織
専務室での詮議は、容赦がなかった。
再エネセクター統括取締役も本部長も「現場の齟齬」を口にしたが、結局のところ、最後に責任を負わされたのは私だった。
「……小松原君。来月から再エネ子会社に出向してもらう」
その一言で、私の居場所は決まった。
総合商社では“敗者復活”の可能性もある。だが今回の理由はGAIALINQへの妨害。環境省に逆らったという噂まで流れた以上、復活の芽はほとんど無い。
※※※
金曜日の昼。
最後の荷物をまとめながら、人事システムで上席二人のスケジュールを覗いた。
「……金曜から日曜まで、揃って出張?」
厳重注意を受けた直後に、二人揃って週末をまたいでの地方出張。表向きの予定にしても、余りに不自然だった。何かを仕掛ける算段にしか思えない。
だが、もはや私には関与する立場は残されていなかった。
※※※
段ボールを抱え、世話になった人々へ頭を下げて回る。
しかし目を合わせてくれる人は少ない。廊下ですれ違えば、気まずそうに視線を逸らされる。
――分かっている。迷惑をかけたのは私だ。ここで「ありがとうございました」と笑う資格など、本当は無い。
それでも、どうしても一人だけには挨拶しておきたかった。
一ノ瀬直也。
ドアを叩くと、落ち着いた声が返ってきた。
「どうぞ」
扉を開けて一礼する。
「……一ノ瀬さん。いろいろご迷惑をおかけしました。私、再エネ子会社に出向を命じられました」
直也さんは一瞬黙し、それから静かに口を開いた。
「……そうですか。残念でなりません」
真剣な眼差しでこちらを見据え、言葉を重ねる。
「小松原さんは望まない役割を押し付けられただけだと私は理解していますが、それでもそうした人事に至ったというなら、いろいろ考えるべきところがありそうですね……」
胸に鋭く刺さるものがあった。
「……私のせいで、ご迷惑をかけただけです」思わずそう口にすると、彼は首を振った。
「小松原さんは、確かもともとは国立浪速大学の工学部に在籍されていたと伺っています」
「はい。本当はモーターとか精密機械工作分野が専攻だったんですけれど。新人時代から一貫して再エネに配属されて来ましたから……」
直也さんはしばらく逡巡した上で――。
「こういう経緯ですから、小松原さんは捲土重来とは行きにくいかも知れませんね。その意味では、全く別天地で心機一転される方が良いのかも知れません。……1社御紹介したい会社があります。モーターとか精密機械工作が求められ、しかも今後はビジネスセンス自体も必要となる。最終的なご判断は当然小松原さんが決める事ですが、一度会社を見に行ってみませんか?」
放逐される身でしかない自分に、まさか直也さんから――。
「どんな会社でしょうか?」
直也さんは少し笑いながら言った。
「Archetype Robotics社というAIロボディクスを進めている会社です。彼らが一番力を入れているのは汎用人形ロボティクス。今一番熱い領域ですよ。――恐らく近日中にも正式に、当社と栗田自動車とDeepFuture AIからの増資引き受けが発表されると思います。小型モーターや精密機械工作に精通している元商社マンの活躍できる領域はいろいろありそうだと思いませんか?」
「Archetype Robotics社……」
直也さんの口から示された名前を反芻しながら、私は思わず胸に手を当てていた。
(……まだ、終わりじゃないのかもしれない)
捲土重来の道筋を提示されたことが、暗闇に射す光のように心を照らしていた。
放逐されるだけの存在ではなく、再び役割を持てる未来がある。
そう思った瞬間、ふと——これまで自分を切り捨てた上席二人の予定が脳裏に浮かんだ。
「……直也さん。実は、もう一つお伝えしておきたいことがあります」
私は迷った末に、端末を開いて彼に画面を示した。
「再エネセクター統括取締役と本部長が……今週金曜から日曜にかけて、揃って地方出張の予定を入れています。厳重注意処分を受けた直後に、二人揃って週末を絡めてというのは……これまで見た事がありません」
直也さんの目が鋭く細められた。
「……うむ」
私は深く息を吸い、続ける。
「以前直也さんが言われていた、外務官僚の“チャイナスクール派”や関西圏の知事、中国の大手パネルメーカーの幹部と会合していたのは統括取締役だと思います。北京政府の後押しを受けて、日本でメガソーラー推進を仕掛ける場に……」
言葉にしながら、自分の中で腹が決まっていくのを感じた。
直也さんに教えられた“次の可能性”があるからこそ、もう迷わず言える。
(――ここで黙っていたら、私は本当に意味のない駒で終わる)
直也さんは即座に端末を操作し、カレンダーを確認した。
「……亜紀は今日まで秋田出張か。そして――明日、土曜日には八幡平近隣の市町村で首長会議が予定されている……」
目を上げた直也さんの表情は、鋭い決意に変わっていた。
「これだ!」
次の瞬間、彼は席を立ち、短く指示を飛ばした。
「玲奈、麻里、一緒に来てくれ。小松原さんも付いて来てください。今すぐArchetype Robotics社に向かいます」
私は思わず背筋を伸ばした。
切り捨てられた存在ではなく、まだ自分には果たす役割がある――。
その確信が、胸の奥で強く燃え上がっていた。