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第56話:神宮寺麻里

 オンライン会議の画面に、八幡平の加納屋を模した3Dデジタルツインが映し出されていた。

 客室、廊下、食事処、浴場まで精緻に再現された高精細な仮想空間を、複数体のロボットが動き回っている。


 イーサンが解説する。

 「仮想空間内で“時間加速”させているよ。現実の一日が、ここではわずか一時間。すでに数百日分のシナリオを走らせ、配膳、清掃、接客、危険回避まで自己学習させているんだ」


 画面越しに、栗田自動車の彩花が思わず声を漏らした。

 「えっ……ほんとに、こんな自然に動くの?」


 横に座るのは、栗田の広報執行役員・桑島、技術開発部門のトップ、投資部門の責任者。さらに五井物産からはITセクターを統括する取締役まで参加している。

 錚々たる顔ぶれの前で、このデモは「本物」でなければならなかった。


 だがその心配は杞憂に終わった。

 客室に運ばれる料理、脱衣所で落ちたタオルを拾う動作、廊下で衝突を避けて譲り合う挙動。どれも驚くほど自然で、もはや実写と錯覚するほどの精度だった。


 「これは……」

 桑島執行役員が低く唸った。

 「ロボット事業の未来像そのものだな。広報としても強烈なインパクトがある」


 私は胸の奥で静かに頷いた。

 (――そう。これは“絵空事”じゃない。GAIALINQが拓こうとしている未来を、誰の目にも分かる形で提示しているんだ)


※※※


 「それでは……」

 桐生が立ち上がった。

 会議室のドアが開き、ひとりの“人影”が入ってくる。


 P-01。

 Archetype Roboticsが設計し、DeepFutureのAIを搭載したプロトタイプ。

 自立歩行でこちらへ歩み寄る姿に、会議室の空気が一変した。


 「おおっ!」

 「マジかー!」

 驚きの声が同時に上がる。彩花は椅子から半分立ち上がって目を丸くしていた。


 直也が試すように声をかける。

 「八幡平はまだ寒い?」


 P-01は一瞬だけ首を傾げ、それから落ち着いた合成音声で答えた。

 「真冬ですからね。でもここは東京ですから、八幡平ほどではありませんね」


 場が一気に沸いた。

 桑島が両手を組みながら身を乗り出す。

 「……これが、実用段階まで来ているのか」


 私は胸の奥で深い確信を抱いた。

 (これでいい。これならば、GAIALINQは“地熱だけでなく未来の地域社会を支える象徴”として受け入れられる)


 ロボットが歩くその足音が、未来の八幡平の鼓動のように響いていた。


 会議室の空気が、一段と張りつめていた。

 直也がまっすぐ前を向き、低く落ち着いた声で語り出す。


 「――Archetype Robotics社のハードウェア技術は大変優れています。そして今ご覧いただいたように、ソフトウェアについてはDeepFuture AIがサポートする事で、劇的に自己学習が進む。問題は、Archetypeがファブレスカンパニーであるという点。その弱点を補完し、品質を担保したまま製造を日米で可能なプレイヤーと連携すること。そして資本政策です」


 一旦言葉を切り、全員を見渡す。

 「端的に申し上げます。GAIALINQのCOOとして――栗田自動車に、その製造連携、そして資本提携を含めてご検討をお願いしたい」


 会議室に短い沈黙が落ちた。

 栗田の幹部たちが互いに視線を交わす。


 その沈黙を破ったのは、五井物産のITセクター統括取締役だった。

 「当社は出資する方向で検討しています。ただし、栗田自動車さんのご意向次第で、コンディションを調整するつもりです」


 続いて、イーサンが笑みを浮かべながら口を開く。

 「ウチも出資するよ。むしろそうでないと、Archetype Roboticsのバリューを引き上げられないだろ」


 私は胸の奥が熱くなるのを覚えた。

 (……これだ。直也が描いていた三本柱。Archetypeの設計、栗田の製造、DeepFuture AI

のソフト。そこにGAIALINQが舞台を提供する――理想的な枠組みが、今まさに言葉になった)


 栗田の技術開発部門のトップが、腕を組んだまま静かに言った。

 「分かりました。正式には後日、本社において機関決定が必要ですが……当社としては前向きに検討を進めさせていただきます」


 隣の投資部門責任者も頷いた。

 「ええ、早々に投資委員会でも取り上げます。ただ、この場で申し上げておきます。当社としても意義ある案件だと私自身も認識いたしました」


 そこへ、彩花が手を叩くようにして声を上げた。

 「これ、この件だけでまたニュースになりそうですね!」


 場の緊張が少し和らぐ。

 桑島執行役員も笑みを浮かべ、頷いた。

 「その際はぜひ――RICO×NAOYAに特別出演してもらいたいですね。メディア戦略としても最高の相性だから」


 私は思わず直也の横顔を見た。

 彼は苦笑を返しながらも、視線は鋭く、未来を見据えていた。


 (――この瞬間を、見届けられて良かった)


 GAIALINQを軸に、日本と米国のプレイヤーが繋がり始めている。


※※※


 栗田自動車の投資部門責任者が、ゆっくりと言葉を選びながら口を開いた。

 「……実は本社TOPの意向として、GAIALINQそのものへの資本参画も検討したいと考えています」


 会議室が一瞬ざわついた。

 ただの製造提携や出資ではなく、GAIALINQのステークスホルダーとして資本を入れる――その意味は大きい。


 「もちろん、既存ステークスホルダーとの意向調整は必要になるでしょうから、我々としてはマイナー出資で構いません。ただ、参画することで、AIロボディクスを栗田自動車の次世代戦略の一環として正式に位置づけたいのです」


 その言葉を聞きながら、私は胸の奥に熱が広がるのを覚えた。

 (……ここまで来た。栗田が“請負”ではなく“同志”として入ってくる)


 視線を直也に送る。

 彼はわずかに頷き、落ち着いた声で応じた。


 「承知しました。GAIALINQは今まさにフェーズ1真っ只中という状況です。本来は追加の増資はフェーズ2で考えていましたが、その前段階で、栗田自動車さん単体との合意を検させて頂きたいと思います」


 会議室に緊張が走った。

 直也は即答しなかった。あえて「検討」と言った。だがその声音には、確かな含みがあった。


 ――これは、栗田を“門前払い”するつもりがない。

 むしろ、仲間として迎え入れる余地がある。


 栗田の投資部責任者は深々と頷いた。

 「ありがとうございます。そのご検討をいただけるなら、先程のArchetype Robotics社の資本業務提携について、非常に円滑に社内調整を進めさせていただけるようになります」


 彩花が隣で小声で「すごいことになってきましたね」と呟く。

 桑島執行役員も神妙に頷いていた。


 私は心の中で、静かに息をついた。

 (直也……やっぱりあなたは“切り返し”が早い)


 交渉は新たな段階に入った。

 GAIALINQはもう、単なる「五井物産の新規事業」ではない。

 日米、そして栗田という国内大手を巻き込んだ“戦略連合”の中心に立ち始めている。


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