第1話:一ノ瀬保奈美
「ねぇ、保奈美! これ見た?」
教室に入った瞬間、友達が机の上に広げた雑誌の表紙が目に飛び込んできた。
――『ニューズデイズ』。そこには凛々しい直也さんの顔。
「え、これ……」
私が目を瞬かせると、周囲の子たちが一斉に集まってきた。
「すごいよね! 世界を変える30人に選ばれるなんて!」
「ねぇ、保奈美って、直也さんのこと“直也さん”って呼んでるんでしょ? 直也さんには彼女いるの?」
「えー? まさか保奈美が彼女的存在なんじゃない?」
質問が雪崩のように押し寄せる。私は少しだけ肩をすくめて、困ったように笑った。
すると、横から真央が口を挟む。
「何言ってるの! 直也さんのお嫁さんになるのは保奈美に決まってるじゃん」
教室が一瞬、笑いとどよめきに包まれた。
でも私は、取り乱すことなく、落ち着いた声で返した。
「……直也さんにふさわしい“大人の素敵な女性”でなければ、お嫁さんになんてなれるはずないよ」
その一言に、友達たちは目を丸くした。
いつもの私なら赤面してごまかしていたはず。でも今日は違った。
もう、分かっている。私が心から望むなら、直也さんの隣に立つためには、成長しなければならない。
「ほんと……保奈美、最近大人っぽいよね」
「うん、『八千年に一人の美女』って呼ばれてるのも納得。通り名が『八千代』だってさ。なんか地名みたいじゃん」
そんな声があちこちから上がる。
どうやら近くの男子校にまで噂が広がって、ファンクラブまで出来ているらしい。
――正直、すごく迷惑だ。
実際、放課後に校門を出ると、見知らぬ男子が待っていることも増えた。
「これ……読んでくれたら嬉しいです」そう言ってラブレターを押しつけられたこともある。
けれど私は封も切らずに自宅ですぐに捨てた。申し訳ないけれど、興味なんて全くない。
――だって、違う。
誰がどんなに言い寄ってきても、直也さんとは比べものにならない。
あの人は、言葉だけで人を振り向かせようとするような人じゃない。
誰かに見せつけるために優しくする人でもない。
本当に必要なときに、本当に苦しいときに、そっと手を差し伸べてくれる。
そしてその手には、相手の人生ごと支えるだけの覚悟が宿っている。
私が病気で寝込んでいた夜。
涙でぐしゃぐしゃの顔を見せた時だって、直也さんは眉ひとつ動かさずにそばにいてくれた。
「大丈夫だよ」って、静かな声で言ってくれた。
そして私が淋しいと思った時に手を伸ばすと、その手を握ってくれた。
あの温かさを知ってしまったら――誰がどんなにアプローチしてきても、心が揺らぐなんてあり得ない。
だから私はいつも思う。
――直也さんは、特別。
この世でたった一人だけ、私が自分の全てをかけて信じられる人。
「八千代」なんて言われるのも迷惑千万だ。
ファンクラブだのラブレターだの、全部どうでもいい。
私はただ――直也さんの隣に立てるような、大人の素敵な女性になりたいだけなのだから。
家に帰ると机の上には直也さんが選んでくれた参考書。
週末、直也さんと一緒にショッピングモールの大型書店まで行き、そこで選んだものだ。
最初は直也さんが自分の部屋から持ってきてくれた、東都大学受験当時の参考書やノートを見せてもらったけれど、レベルが高すぎてさすがに歯が立たなかった。だから今は、私に合ったものを直也さんと一緒に探したのだ。
水道橋女子大を目指して、受験勉強をもう本格的に開始している。
でもページをめくる手が、ふと止まった。
「……今週末、出張なんだよね」
小さくつぶやいた。直也さんは、一泊二日で“お忍び視察”に行く予定だ。
仕事だから仕方ない。でも、家にいないと思うと胸がぽっかり穴が開いたように寂しい。
それでも、わがままは言わない。直也さんを支えたい。
寂しさを抱えたまま、私は机に向かい直した。
――直也さんにふさわしい大人の素敵な女性になるために。