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第54話:新堂亜紀

 岩手側の温泉街。

 松川、藤七、ふけの湯、大沼――主要な温泉地の代表者たちとの対話を重ね、ようやく「GAIALINQ」という言葉が地元の口に乗るようになってきた。最初は半信半疑だった空気も、少しずつ「理解」へと変わりつつある。


 (……ここまで来た)


 胸の奥で、静かに手応えを覚える。

 もちろん、全面的に賛同を得られたわけではない。それでも「聞いてみるか」「次は市役所と話してみたらいい」という言葉をもらえるようになったのは、大きな変化だ。


 私は次の一手を決めていた。

 ――自治体への説明。


 GAIALINQは単なるエネルギー事業ではない。

 地熱資源を活用してAIデータセンターを稼働させ、同時に観光と生活の両輪をまわす。「プラチナタウン」構想に繋げていく総合プロジェクトだ。そこを、自治体の首長や市役所の幹部に直接伝える。


 説明会の会場は、八幡平市役所の会議室。

 松川の有力者たちも同席してくれることになった。その中には――千鶴さんの姿もあった。


 「亜紀さん、あたしらも一緒に行くから安心しなさい。役所の人らも、地元が付いていると分かれば態度も違うはずよ」


 そう言って背中を押してくれる千鶴さんの存在は、心底ありがたい。

 現場の声を持つ人たちが横に立ってくれる。それは何よりも大きな説得力になる。


 市側の雰囲気も、事前の打ち合わせでは概ね好意的だった。

 「地熱を外部資本に持っていかれるのでは」という不安は残っている。けれど、GAIALINQが“資源の搾取”ではなく、“地域への還元”を明確に打ち出していることは評価されていた。


 「温泉街の雇用と経済にプラスになる仕組みを一緒に考えたい」

 市の幹部の言葉が耳に残っている。


 (ここで、どれだけ信頼を積み重ねられるか……)


 ノートパソコンを開き、説明会用のスライドを整える。

 ・地熱資源を「地域の財産」として守りながら活用すること

 ・AIデータセンターによる次世代の産業基盤づくり

 ・温泉地と観光事業の発展を両輪にした“プラチナタウン”構想

 ・雇用と教育機会を地域に循環させる仕組み


 文字を並べながら、私は自分の胸の内に問いかけた。

 ――ここで本当に伝えたいのは何だろう?


 答えは一つだ。

 このプロジェクトは、ただのビジネスではなく、未来の八幡平を形づくる「基盤」になる。地元の人々と共に歩まなければ、何の意味もない。


 千鶴さんがぽつりと笑った。

 「亜紀さん、あんたは説明がうまいから大丈夫だよ。役所の人たちも、腹の底を見てると分かれば耳を傾けるもんさ」


 その言葉に、私は深く息を吸った。

 (任された責任を果たす。直也さんや麻里たちのためにも、ここは絶対に外せない)


 窓の外には雪雲が広がっている。

 明日の説明会――冷たい風の中で、未来へ向けた対話が始まろうとしていた。


※※※


 八幡平市役所の大会議室。

 冷たい風に閉ざされた窓の外とは対照的に、室内には熱を帯びた空気が漂っていた。市長をはじめ幹部職員、そして松川からは千鶴さんを含む有力者たちが列席している。


 私は深く一礼し、スライドを投影した。

 「本日は、GAIALINQプロジェクトについてご説明の機会をいただきありがとうございます」


 胸の奥に緊張を抱えながらも、言葉を選んで一歩ずつ進める。


 「ご存じのとおり、八幡平に限らず、日本の多くの地方都市は――人口減少、過疎化、そして働き手不足という深刻な課題に直面しています。観光業や旅館業においても後継者難は年々強まり……加納屋さんのように、伝統と魅力がありながらも事業継続が困難になるケースは、今後さらに増えていくと予想されます」


 千鶴さんが静かに頷いていた。

 その横で、市長も腕を組みながら視線を前に向けている。


 私はスライドを切り替えた。

 「GAIALINQは、この現実に“地熱発電”という資源を基点として対応してまいりたいと考えています。クリーンで安定したエネルギーによって巨大なAIデータセンターを稼働させる。そして、その膨大な計算資源を地域の課題解決にも直接貢献させていただく。これが私たちの出発点です」


 会場の空気が少し動いたのを感じる。

 私はさらに踏み込んだ。


 「例えば――AIロボティクスの積極的な投入です。人手不足の旅館や観光施設を支援し、持続可能な運営モデルを八幡平から模索していきます。これは一時的な観光振興策や、建前だけが先行した既存のシニアタウン構想とは決定的に異なります。ここでは“実用と実証”が同時に進みます」


 スクリーンには、温泉旅館での配膳を支援する人型ロボットのイメージや、地域交通を補完する小型自動運転シャトルの図が映し出される。

 ざわめきの中に「これは現実になるのか」という驚きが混じった。


 「もちろん、技術開発を伴いながら、改善すべき課題は多くあります。ですが私たちは――“口先だけではない”と示すために、まず五井物産グループ自身が松川地区にグループの保養施設を設置させて頂き、そこを拠点として全面的に実証実験を行います。いわば、グループの名を賭けて“実験台になる”覚悟です」


 最後のスライドを映しながら、私は言葉を強めた。

 「このプロジェクトの意義は、地域に“未来のモデルケース”を生み出すことです。八幡平を、日本の他の地域に先駆けた“プラチナタウン”の原型として位置づけたいのです」


 会場が静まり返る。

 市長が小さく咳払いをし、前のめりに尋ねてきた。

 「――つまり、地元経済に、本当に実効性が期待できる仕組みを通じて、利益を還元するスタンスであるという理解でよろしいのですね?」


 私は即答した。

 「はい。地熱資源を“外部が搾取するもの”ではなく、“地域の財産”として守り、同時に活用する。そこから得られる利益を、地域雇用・教育機会・観光振興として循環させていく。GAIALINQはそのためのプラットフォームです」


 千鶴さんが力強く頷き、会場に視線を走らせる。

 「――あたしたちも、こういう五井物産さんの姿勢を理解したからこそ、応援しているんです。廃業していた私の加納屋を是非活用して欲しいんです!」


 その声に、他の温泉街代表たちも小さく頷いた。

 私は胸の奥に熱いものを感じながら、深く一礼した。


 説明会を終えた会議室の空気は、張りつめていた糸がほどけるように緩んでいた。

 松川の千鶴さんや温泉街の方々は説明会を通じて、改めてGAIALINQへの支持を表明してくれ、市の幹部職員からもおおむね前向きな反応が返ってきた。


 市長が立ち上がり、こちらに向き直った。

 「五井物産の新堂さん。あなた方のご説明については、概ね理解いたしました。八幡平市としても、大筋でプランについては賛同できます」


 その言葉に、思わず安堵の息が漏れそうになった――が、すぐに続けられた言葉が現実を引き戻す。


 「ただし……これは岩手県と秋田県にまたがる大切な温泉資源に関わる問題であり、地域経済において地熱発電プラントは要の一つでもあります。八幡平市単独で即座に支持や支援を決定するわけにはいきません」


 会場が少しざわついた。

 私は背筋を正し、真剣に聞き入った。


 「近隣の数市町村で構成している“地域首長会議”での説明とご理解が不可欠です。まずはその場での合意を経る必要がある。さらに岩手県のご理解も欠かせません」


 ――やはり、そう来るか。


 事前に想定していた答えではあった。だからこそ、すでに県庁には個別のアプローチを進めてきた。残る焦点は、その“地域首長会議”での合意形成。ここを乗り越えれば、正式な支持を得る事ができる。


 「承知しました。首長会議での説明の場をいただければ、必ずご納得いただけるよう尽力いたします」

 深く一礼して答えると、市長は重々しく頷いた。


 「期待しています。地域にとっても、未来にとっても大きなプロジェクトだと思うので」


 会議室を辞し、廊下に出ると、冷たい外気が隙間から流れ込み、頬を撫でた。

 胸の奥に湧いた達成感と同時に、次なる大きな山の存在を強く意識させられる。


 (――市の理解は得られた。けれど、まだ“ゴール”じゃない)


 県の壁、そして首長会議。

 

 私は拳を握りしめた。

――それでも山場を超えられた。


 窓の外には、雪をいただいた八幡平の山並みが白く輝いていた。


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