第49話:新堂亜紀
松川の風は、非常に冷たい。
それでも――胸の奥には、確かな手応えが芽生えている。
「GAIALINQ」という言葉を、ようやく地元の人たちが口にしてくれるようになった。
最初は警戒の眼差しばかりだったのに、いまは「話だけでも聞いてみるか」と頷いてくれる。
小さな一歩かもしれない。でも、この一歩を積み重ねなければ未来は開けない。
松川で得られた“理解の芽”を、次へと繋げる必要がある。
私はノートを広げ、ペンで次の地名を記した。
――藤七温泉と、ふけの湯・蒸ノ湯・大沼温泉など。
どちらも標高の高い温泉地。地熱の源泉と共に、この地域の象徴でもある場所だ。
ここで理解を得られれば、プロジェクト全体の信用が大きく前進する。
「……よし」
小さく呟き、ノートの端に印をつける。
ただ、いきなり訪ねていっても門前払いされるだけ。
松川での経験がそれを教えてくれた。
まずは“信頼できる人の紹介”から始めなければならない。
私はすぐに直美と慎一に連絡を取り、情報を共有した。
オンライン会議の画面越しに、二人の表情が並ぶ。
「藤七とふけの湯・蒸ノ湯・大沼温泉か。確かに重要なポイントだな」
直美が腕を組み、真剣な声を出す。
「でも、あの辺りは保守的なところも強いよ。観光資源を守る気持ちが人一倍だから」
慎一が少し眉を寄せる。
「だからこそ、正面突破じゃなくて――紹介を通す。松川で築けた関係を梃に、繋げてもらうの」
私ははっきりと言った。
その言葉に、二人が同時に頷いた。
「松川で協力してくれた方々の中に、親戚や知り合いが藤七やふけの湯にいる方がいないか――探してみよう。きっと糸口はある」
会議を終える頃には、心が少し軽くなっていた。
焦らない。地道に。
一つ一つの縁を辿り、紡いでいく。
(亜紀が来てくれてよかった――そう思ってもらえるように)
そんな未来を思い描きながら、私は新たなアプローチの準備に取り掛かった。
松川地区の集会所。
ストーブの火がぱちぱちと音を立てていた。
その前で座布団に腰掛けていた自治会長さんが、私と直美を見て笑みを浮かべた。
「GAIALINQの話は、この前も聞かせてもらったな。……あれは筋が通ってた」
胸の奥でほっと息をつく。
松川での説明を何度も繰り返してきた成果が、こうして形になりつつある。
私は深く頭を下げた。
「ありがとうございます。実は――藤七温泉やふけの湯などの岩手側の温泉街にも、ぜひお話を聞いていただきたくて」
隣で直美が補足する。
「ここ松川で理解していただけたことを、次の拠点に繋げたいんです。でも私たちだけでは、なかなか信頼を得るのが難しいので……」
自治会長さんは一瞬考え込んだあと、ふっと笑った。
「そういうことか。……あそこには古い付き合いの知人がいる。親戚みたいなもんだ。オレから頼めば、話くらいは聞いてくれると思う」
その言葉に、胸の奥がじんわり熱くなった。
「本当ですか……!」
「よし、オレも一緒に行ってやるよ。外の人間の話はなかなか耳に入らんもんだ。でも、オレが横にいれば違うだろう」
大きな背中に頼もしさを覚えながら、私は思わず直美と顔を見合わせた。
――これだ。この一歩が欲しかった。
とにかく、いま最優先なのは岩手側の主要温泉街の理解を得ること。
玲奈が候補Cの地主との交渉を進めようとしているのは知っている。あの場所が決まれば、データセンター設置の骨格が一気に固まる。
SPVとして優先交渉権を確保する事になるだろう。
ただ少なくとも岩手側の主要エリアの理解が得られているという裏付けなしに契約を進める事はリスクを高めてしまう。
「岩手側はもう目処が立っている」
そう胸を張って言える状態にしておかなければならないのだ。
(時間は待ってくれない……)
私は拳を握った。
目の前にいるこの方の協力を足がかりに、藤七温泉、ふけの湯――そしてその先へ。
一歩一歩を確実に積み重ねていく。
――必ず間に合わせる。
玲奈の足を引っ張る事は絶対出来ない。直也くんに託された責任を、絶対に果たしてみせなければ。