第48話:谷川莉子
会議室に呼ばれて、少しだけ緊張していた。
ドアを開けると、そこに直也くんと高田さんが待っていた。
「莉子……おめでとう」
直也くんの第一声に、思わずきょとんとしてしまった。
続いて語られた言葉に、耳を疑った。
――環境省から“脱炭素化推奨事業モデル”に、GAIALINQが選定されたこと。
さらに、その広報を担う“特命広報大使”として、RICO×NAOYAが任命されたこと。
「え……環境省が? 私たちを……?」
動悸が大きくなる。
まだ駆け出しのアーティストでしかない私の名前が、国の行政機関の公式発表に並ぶなんて。
それも環境省――クリーンで、厳格で、妥協のないイメージの省庁。
そこに推奨されるなんて、信じられないくらいの名誉だ。
高田さんが小さく頷き、笑顔で言った。
「莉子ちゃん、これはすごいことだよ。正直、ここまで早くこういう話が来るとは思わなかった」
胸の奥に、じんわりと温かさが広がった。
同時に、ほんの少しの怖さもあった。
これからは“環境省公認の顔”としての私と、アーティスト“RICO”としての私――その二つが乖離してしまうんじゃないか、という不安。
そんな迷いを見透かしたように、直也くんが言った。
「莉子。安心していい。オリジナル曲は、これまで通り――莉子が好きなように作って、自分のメッセージを込めた歌詞を考えればいい」
まっすぐに言い切る声。
「環境省からの推奨や特命広報大使というのは確かに名誉なことだ。でも、RICOという存在の一番の価値は、莉子が“やりたい音楽”を純粋に追いかけることなんだ。それは絶対に変えない。変えてはならない」
胸の奥に重くのしかかっていた不安が、すっと軽くなった。
――ああ、良かった。だから直也くんは信じられる。
「……はい。私、自分の歌を、大事にする」
気づけばそう答えていた。
直也くんが一呼吸置いて、ふっと笑った。
「もう一つだけ、話しておきたいことがある」
「これは、八幡平の件で地域住民の理解が得られた後。従って、もう少し先の話しになるけれど――GAIALINQ主催で“エコフェス”をやりたいと思っている」
「……エコフェス?」
思わず聞き返す私に、直也くんはゆっくり頷いた。
「そうだ。RICO×NAOYAだけじゃなく、複数のアーティストに参加してもらって、八幡平を“RICOの音楽の聖地”にできないかと思っている。……GAIALINQをスタートするこの場所が、RICOにとっても特別な場所になるように」
胸が熱くなった。
RICOの聖地――直也さんの口からその言葉を聞いただけで、息が詰まりそうになる。
「そのときは、オリジナル曲をメインにしたいね。でも……いくつかカバー曲もリストアップしておいてくれると助かる。選曲は全部RICOに任せる。ただ……“地域振興”とか、“エコ・環境保護”を意識した曲を織り交ぜてもらえたら嬉しい。もちろん、強制はしない」
――強制はしない。
でも、直也さんがどれだけこのプロジェクトを大切に考えているか、ひしひしと伝わってきた。
私は小さく頷いた。
「……分かった。考えてみるよ」
その瞬間、頭の中で早くもリストが浮かび始めていた。
自然や未来を歌った曲、環境をテーマにした名曲。
でも同時に、私らしい色をどう出すか。
(オリジナルを大事にしながら、直也さんの願いにも応えたい)
心の奥で、新しい課題が芽生えたのを感じた。
会議室の窓から差し込む光が、未来のステージを連想させる。
――いつか、本当に八幡平がRICOの“聖地”になる日が来るのかもしれない。
※※※
その夜。
部屋の机にノートを広げ、ペンを握った。
ページの最初に大きく書く。
《エコフェス候補曲》
直也くんの言葉が頭の中で響いていた。
――強制はしない。
でも、だからこそ、全力で応えたい。
ペン先が自然に走る。
・オリジナル曲(癒し寄り)
→ 最初の幕開けにいいかも。
・ありあまる富(椎名林檎)
→ 日本の自然こそが本当の日本の“富”と解釈する事で、エコのメッセージにできる?
原曲は鋭いけど、私の声で歌えばもっと柔らかくなるはずだ。
・誰かが君を待っている(麗美)
→ 隠れた名曲。再発見って感じ。
「地域に君を必要としてる人がいる」という振興メッセージに繋げられると思う。
実は麗美の曲で私が一番好きなのは「残暑」という曲だ。
もともと曲自体はユーミンのものだが私は麗美の方がこの曲については好きだ。
この曲を聴いていると、直也くんを遠くから見つめていた自分の高校時代を思い出す。
ただ季節的にマッチするかどうか、それを踏まえてどちらか一方に決めたい。
「……うん」
声に出して読み返す。ちょっとだけ胸が熱くなる。
さらにペンを走らせる。
・花は咲く
→ 世代を超えて歌える曲。みんなで合唱? 八幡平の草原に合う。
・翼をください
→ ちょっとストレートすぎる? でも定番の環境・希望ソング。
・卒業写真
→ ノスタルジック。大人世代にも響くかも。エコ・地域とは関係ないけど「再発見」という意味ではあり?あとは実施時期次第か?
・少年時代(井上陽水)
→ 夏っぽいかな? でも自然の中の記憶を歌った名曲。これもエコフェスの実施時期次第か?
「……ふふっ」
自分で突っ込みを入れながら、どんどん書いていく。
・RICO×NAOYA曲(打ち上げ花火?)
→ コラボ枠。必ず盛り上がるから入れたい。
・RICO×NAOYA曲
→ GAIALINQ×環境省の正式曲。フィナーレ候補。
気づけばページがびっしり埋まっていた。
メモの横には矢印や疑問符、ハートマーク。自分でも何を書いたのか笑ってしまうくらい雑多だけど、頭の中で音が鳴り始めている。
(これから何度も削って、練り直して、選んでいくんだろうな……)
胸の奥が、わくわくしていた。
私はまだ八幡平に行った事がない。当然その景色も想像するだけだ。でもフェスで、音楽が響いて、人々の顔が笑顔に変わっていく光景が自分の心に湧き上がってくる。
そのイメージが、紙の上のメモから立ち上がってくるように思えた。