第46話:一ノ瀬直也
「そして――第三の理由です」
オレは一拍置き、会議室に視線を巡らせた。
「実はこれは、本日社長にご報告する予定でしたが、正式に環境省より“脱炭素化推奨事業モデル”として、GAIALINQが選定されました」
ざわ、と空気が揺れる。
「さらに、GAIALINQのブランドアイコンであるRICO、そして私自身を――環境省が“特命広報大使”として任命いただけることも、併せて決まりました」
重厚な沈黙が落ちる。
――それは、先週末。環境省の柊遥氏から通知を受けた内容だった。
「ご承知の通り、柊氏はメガソーラー事業に対して大変厳しいご見解をお持ちの方です。GAIALINQが推奨事業として認定される前提条件も――当然ながら“日米両政府の合意に基づいた地熱発電によるAIデータセンター事業”です」
オレは机上の書類に軽く手を添えながら言葉を結んだ。
「この千載一遇の好機を、わざわざ歪なハイブリッド化で逃すのは――本件プロジェクトを主導する当社にとって、致命的な誤りとなると考えます。ゆえに、私は難しいと申し上げました」
――沈黙。
やがて社長が、ゆっくりと頷いた。
副社長も腕を組みながら、深く同意を示す。
常務も「その通りだ」と低く呟いた。
空気が明確に変わった。
だが、なおも食い下がる声があった。
「……しかしだな」
本部長が身を乗り出し、机を叩いた。
「君はその環境省の事務官と――個人的に親しくすることで、この条件を勝ち取ったのではないか? それこそスキャンダルになりかねん! 違うと言えるのか?」
オレは深く息を吐き、わずかに口角を上げた。
「……小松原沙織さんは、ご存じでしょう」
その名が出た瞬間、会議室の空気が凍った。
沙織がわずかに肩を震わせるのが、視界の端に映った。
「柊氏が“私と付き合う”というような話を匂わせたのは――正しく先程申し上げた環境省からの推奨に関する件を、“例え話”として出されたに過ぎません」
本部長の目が吊り上がる。
「証明できるのかね?」
重たい声が響いた瞬間、オレは小さく苦笑した。
「……本当は、出したくはなかったのですが」
そう言って、手元のスマートフォンをテーブルに置く。
社長の低い声が響いた。
「……プロジェクターに投影しなさい」
即座に秘書が動き、ケーブルを接続する。会議室の正面スクリーンに、オレのスマートフォンの映像が映し出された。
そこには――沙織の姿。
ワイングラスを指で回しながら、わずかに身を寄せ、こちらに微笑む彼女。
「……直也さん、こうして飲むのも悪くないでしょう?」
空気がざわつく。役員たちの視線が一斉にスクリーンに注がれた。
さらに映像が進む。
店のドアが開き、長身の女性が現れる。
柊遥。
「直也さん、ヒドいなぁ。デートの約束、ドタキャンして」
その瞬間、沙織の表情が凍りつき、掠れた声が漏れた。
「……『凍結遥』……」
遥がそれに答えている様が映る。
「私は、環境省の柊遥です。直也さんと、もうすぐお付き合いする予定です♡ よろしくね」
画面の中で彼女は椅子を引き、バッグを掴む。
「……失礼します」
視線を伏せ、足早に去っていく後ろ姿。
やがて遥は歩き出し、由佳と彩花が座るテーブルに近づいてくる。
由佳と彩花は笑みを浮かべながらグラスを掲げた。
「いやぁ、見事な修羅場だったね」
次の場面で、遥がグラスの縁を指でなぞり、静かに告げる。
「――で、直也さん。先日お願い頂いた“後半の方”ですけれど……省内調整、かなり大変でしたけど……実は未消化になっている予算があるので、なんとか使えそうです。具体化に向けて、打ち合わせ進めましょう」
そこで映像は途切れた。
――会議室に重苦しい沈黙が落ちる。
オレはスクリーンを見つめながら、ゆっくりと口を開いた。
「こちらに映っているのが、日本GBCの街丘由佳氏と、その友人である栗田自動車広報室の高瀬彩花氏です。ご存じのように街丘氏はGAIALINQの重要なステークスホルダーです。その彼女の紹介で、私は柊遥氏と接触する事になり、環境省から正式な支持を頂きました」
役員席がざわめき、互いに顔を見合わせる。
「こうした経緯については、街丘由佳氏から証言を頂くことも可能です。……そもそもこの映像は、私が“ハニートラップまがいの状況”に陥らないかを心配した街丘氏が、後日の証拠として残すために撮影していたものです」
映像が止められた瞬間、社長が深く頷いた。
「……もういい。一ノ瀬くん。よく分かった」
その声音には、明確な決断が宿っていた。
「GAIALINQは、地熱のみによって進める。環境省からの支援を頂けることは大変心強い。ここまで見事に進めてくれたことを誇りに思うぞ、一ノ瀬くん。流石GAIALINQのCOOだ」
言葉が胸に沁みた。
だが次の瞬間、社長の視線が鋭く横へ走る。
「一方で……今の“ハニートラップまがい”の行為は、一体どういう了見なのだね?」
沈黙。
専務が慌てたように立ち上がり、本部長に目を向ける。
「小松原くん、それから……君からも、きちんと説明したまえ」
本部長は目を泳がせ、唇を曲げて吐き出した。
「……私は知りません。小松原が勝手にやったことです」
切り捨てるような声。
会議室にざらりと冷たい空気が走った。
「小松原くん、それは本当かね?」
専務の問いかけに――沙織は、下を向いたまま。
唇がかすかに震えたが、言葉にはならなかった。