第45話:小松原沙織
取締役会議室の空気はあまりにも重たかった。
重厚なテーブル越しに座る直也。その横顔を、私は恨めしいほどに見つめていた。
――どうして、あんな女……『凍結遥』なんかと。
数日前、本部長室に呼び出されたときの言葉が、まだ耳に残っている。
「一ノ瀬直也を落とせ。GAIALINQにメガソーラーを組み込ませろ」
冷徹な声。私の胸に深く突き刺さった。
米国でのメガソーラー拡大はもう限界が見えている。中国製パネルの導入には米国政権否定的で、世論もますます批判的になっている。米国での新規案件は立ち消えの空気すら漂う。
だからこそ――今こそ再び日本国内だ。そしてGAIALINQだ。
地熱と太陽光のエコハイブリッド。そこに活路を見出すために。
「外務省のチャイナスクールも後押ししている。北京政府の意向もあるように聞いている。そして中国メーカーのプッシュも強まっている。これを取り込むことは、当社の再エネ部門にとっては、もはや死活問題だ」
本部長はそう言い放ち、机の上で指を組んだ。
「君と新堂亜紀は同期だったな。だが彼女はもう、あの一ノ瀬直也のサポート役として、その恩恵を受けて事実上室長クラスになっているぞ。……君はどうだ?」
痛いほど分かっていた。私は亜紀に大きく差をつけられている。
「女の武器を使っても構わん。あの男を味方にしろ」
その一言は、私にとって命令であり、屈辱でもあった。
だから――金曜日の夜に彼を誘った。お酒が入れば、自然に自分の部屋まで彼に送ってもらい。そのまま泊まってもらう機会もあるかと考えていた。
でも……。
彼は食事する際も全く私からのアプローチに対して意に介さない姿勢のままだった。
GAIALINQの電源についても地熱発電での実現に頑なに拘っていた。
そして突然の『凍結遥』の登場。
柊遥と直也は既にだいぶ進展した関係のようだ。
もしかすると男女の関係にあるのかも知れない。
そしてまるで自分の情けないアプローチを嘲笑するような遥の態度。
――直也の前で、余計に屈辱だった。
私は無意識に爪を握りしめていた。
統括取締役の「“メガソーラー事業”の大きな前進の機会を、GAIALINQにも求めたい」という言葉を受け、直也がゆっくりと口を開いた。
その声音は落ち着いていて、しかし一言一言が重たく響く。
「それは難しいと思います。理由は大きく三つあります」
――空気が変わっていく。
私は思わず背筋を伸ばした。
「第一に、私は再エネとして地熱と太陽光を一括りにはいたしません。そう遠くない未来において核融合発電が商用化された後でも、“補完電源”や“分散電源”として残るものと、急速に縮小するものが明確に分かれると考えています。地熱は前者であり、太陽光の、特にメガソーラーは明らかに後者となります」
声に迷いはなかった。
「現時点の稼働実績でも明らかです。地熱の稼働率はおよそ80%。一方、国内の太陽光は全国平均で14から16%に留まります。更に太陽光は、これから大量に発生する事が想定されている廃棄パネルの処理インフラすら、まだ充分に整備されていない状況です」
ガタン――。
本部長が椅子を押し鳴らし、低い声で唸った。
「君は……当社再エネ部門が推進してきたメガソーラー事業を全否定するつもりか?」
だが直也は一歩も退かない。
「私は事実を申し上げただけです」
その冷静な一言に、場の温度が一瞬下がる。
私の喉は乾き、指先にじんと汗が滲んでいた。
直也は続ける。
「第二の理由は、GAIALINQが“日米政府間の取り決め”に基づいていることです。米国政府から莫大な支援を頂けるという確約のもとで、日本から米国に投下された資金を原資としています。ご存知のように、現米国政権は中国が独占する太陽光パネル利用について、政治的な理由から非常に否定的です。つまり、必然的に米国では、GAIALINQは、地熱発電の拡張という形で進めざるを得ません」
――まさか、そこまで明確に。
役員たちの表情に緊張が走るのが、はっきりと見えた。
「そんな中で、日本だけが“特定の会社の都合”で歪なハイブリッドに傾くことは……大きなリスクです。米国大統領より全幅の信頼をいただき、特例として日本にSPV設置を認めていただいた経緯を思えば、なおさらです」
直也はふっと息を整え、最後にとどめを刺すように言った。
「そして私は、社長もよくご存じのように――現大統領からチャレンジコインと、シークレットサービスの連絡コードを手渡されました。恩義ある大統領のお考えに背くことは、私個人だけでなく、GAIALINQ全体にとって致命的なマイナスとなるでしょう」
――何……?
会議室がざわめいた。
社長と副社長以外の役員が、一斉に驚愕の視線を交わす。
常務でさえ、目を見開いていた。
そして私も――衝撃に息を呑んでいた。
チャレンジコイン? シークレットサービスの連絡コード?
そんなものを、彼が大統領から直接?
指先に力が入る。
爪が掌に食い込みそうになるのを必死に堪えながら、私はただ直也を見つめていた。
――本当に、この人は。
どうして、ここまで……。