第31話:柊 遥
環境省の庁舎。
窓際のソファに腰を下ろし、私は一冊の冊子をめくっていた。
――GAIALINQ。
表紙には、端正なフォントでその名が刻まれている。
これまで何度もイベントに足を運び、プレゼンも、パネルディスカッションも視察した。内容は頭に入っているはずなのに、ページを開くたびに新しい思考が刺激される。
私は長らく、「再生可能エネルギー」という言葉そのものに懐疑的だった。
ソーラーパネルが山を削り、川の流れを変え、地方の環境と人の営みを破壊していく現場を、嫌というほど見てきた。環境に優しい? とんでもない。あれは環境破壊を“エコ”という言葉でコーティングしただけのものだ。
だからこそ、再エネ業界の一部から私は「凍結遥」と呼ばれている。
“冷たい目で、無謀なメガソーラープランを凍結させる女”。
望んだあだ名ではないが、真実を見抜くなら甘い幻想には付き合えない。
GAIALINQも、最初は同じ匂いがすると思った。
大義を掲げているが、実態はどうなのか――。また新しい“看板事業”でしかないのではないか。そう身構えていた。
……だが、違った。
読み進めるほど、視察するほど、私は自分の中の先入観を崩されていった。
このプロジェクトは「偽のエコ」を寄せ集めていない。むしろ、徹底してそうした欺瞞を排除している。地熱という安定電源を核に据え、その上で人と自然が共存できる社会基盤を設計している。
そして――そのリーダーはまだ二十四歳。
だが、彼の会話を一度聞けば分かる。
若さではなく、老練さを感じさせる。あれは経験の裏付けではなく、本質を射抜く知性があるからこそだ。
「……この直也という人物に、会ってみる必要がある」
私は思わず声に出していた。
だが同時に、胸の奥で警鐘が鳴る。
このままビジョンを貫徹しようとすれば、必ずや既存の「偽のエコ」利権に狙われる。懐柔され、利用されるか。あるいは攻撃の的とされるか。いずれにせよ、彼は嵐の中心に立たされるだろう。
その未来が見えている。だからこそ――彼をただ遠くから見ているわけにはいかない。
ただし、いきなり環境省の名刺を出して正面から接触するのは、あまりにも軽率だ。
こちらの意図を誤解されれば、せっかくの信頼を築けない。
庁舎の執務室で資料を閉じた後、私はしばらくスマホを手に取っていた。
名刺管理アプリを開き、スクロールしながら考える。
――どう動くか。
GAIALINQに直接「環境省の柊遥」として接触するのは、まだ早い。
だが、無関心を装って見ているだけでは、本物のビジョンは守れない。
指先が画面上で止まった。
一枚の名刺に目が留まる。
栗田自動車 広報室 高瀬彩花。
彼女とは、まだ電報堂に在籍していた頃に知り合った。
その後「世界のクリタ」に転籍し、環境対応車の広報を任されるようになってからも、折に触れて顔を合わせる機会があった。
軽妙で聡明、広報に必要な「華」と「理知」を兼ね備えた人材。
――そして、以前の会食で耳にした話。
彩花の東都工業大学時代の同期が、日本GBCの街丘由佳、そしてAACの大田秀介。
いずれもGAIALINQの周辺で確実にキーパーソンとなる人間たち。
点と点が、すっと線になった気がした。
私は迷わず画面をタップし、彩花の携帯番号を選んだ。
呼び出し音の間に、一瞬だけ深呼吸をする。
「……高瀬さん。柊です。急ぎご相談があって」
声に出した瞬間、腹は決まった。
――この糸口から、GAIALINQのリーダーである一ノ瀬直也にリーチしなければ。