第28話:宮本玲奈
会議室に漂う空気は、普段の週次定例ミーティングとは明らかに違っていた。
数日前、直也から「既存の他のエコエネルギーに関する問題点を改めて精緻に整理してくれないか?」とオーダーを受けていたのを思い出す。あれは――やはり、こういう事態を見越してのことだったのだろうか。
私は、ふと口にしていた。
「……直也には、もう既に具体的なプレッシャーがかかっている可能性がありますね」
亜紀さんと麻里さんが一瞬、私に視線を向けた。
その直後だった。
「おはようございます」
いつもと変わらぬ淡々とした表情で、直也が執務フロアに姿を見せた。
亜紀さんはすぐに立ち上がる。
「直也くん、ちょっと相談があるの」
その声色は、普段のそれとは違っていた。張りつめた糸のように、慎重で、けれど強く響く。
私たちは四人で会議室に入り、ドアを閉めた。
直也は椅子に腰を下ろすと、私たちの顔を順に見渡し、静かに言った。
「――なるほど。最初のアプローチがありましたか?」
亜紀さんが頷き、淡々と経緯を説明する。小松原沙織の動き、再エネ部門と中国資本との接触。
それを聞き終えた直也は、頷きつつ、週末に加賀谷さん宅での会食で得た情報を共有した。
「経産省の加賀谷さんに近いラインからの話ですが――外務省のチャイナスクール関係者が、中国のメガソーラー事業者から頻繁に接触を受けているようです。既に関西圏の知事とも動きを合わせていて、国会議員――与野党問わずですが――へのロビー活動も強まっているようです」
その言葉に、私は無意識に息をのんだ。
やっぱり――もう動いている。
直也は少しの間、指先を組んで沈思した。
そして、低く、しかしはっきりと告げる。
「今回の、この下らない茶番は……相当タフなことになる可能性を覚悟しなければなりませんね」
「……!」
その眼差しには、迷いがなかった。
「ただ、今八幡平での動きも極めて重要です。ここは二正面作戦を覚悟する必要があるかもしれない」
亜紀さんも麻里さんも、固唾を呑んで直也の言葉を待つ。
そして――。
「今一番大切なのは、GAIALINQの日本JVをきちんと進めることです」
直也は、まっすぐに亜紀さんを見据えた。
「そこで――その対応を、亜紀さんに一任してもいいですか?」
「……え?」
亜紀さんが、驚きに目を見開いた。
会議室の空気が、一瞬で張りつめる。
私は拳を握りながら、ただ直也の次の言葉を待っていた。
直也の声は、静かに会議室に落ちていった。
「――加賀谷さんが情報を提供してくれた以上、間違いなくウチの社内外から、いろいろ飛んでくるはずです」
誰もが息をのんだ。
亜紀さんも、麻里さんも、私も。空気が一瞬で重く引き締まったのが分かった。
直也は組んだ指先をほどき、まっすぐに亜紀さんを見据える。
「オレはそれと対峙しなければならない。……対応できる自信はあります。ただ、その場合オレは正面の相手に集中する必要が出てくる。二正面はさすがに厳しい」
「……」
淡々とした口調なのに、重さは鋭く心に響いた。
「もう米国JVも日本JVも、両方を細かく見ていられない。SPV自体を含めて運営できる力があり、オレと同じ視点で物事を判断でき、しかも、日本JV側が今抱えている課題をSPV側で併走し、正確に認識しているのは――亜紀さんしかいません」
会議室に沈黙が落ちた。
私の心臓が、大きな音を立てて脈打っていた。
――やっぱり。直也は、すべてを俯瞰して見ている。
亜紀さんの表情が一瞬だけ強張る。驚きと、誇らしさと、戸惑いと。複雑な感情が入り混じって見えた。
麻里さんは真剣にうつむき、言葉を飲み込んでいる。
私はただ、胸の奥に熱いものを覚えていた。
直也は、私たち全員を見回して、さらに言葉を重ねた。
「これはオレが背負わなければならない問題です。でも、同時にGAIALINQ日本JVを前に進めるのは、亜紀さんにしか任せられない」
迷いのない声音。
その瞬間、私は思った。
――24歳でここまで言い切れる人間が、この世にどれだけいるのだろう。
場の空気は重苦しいのに、不思議と背筋が伸びて、前を向けるような気がした。
この人と一緒なら、どんな荒波でも越えていける。
私は胸の奥で、そう強く確信していた。