第25話:一ノ瀬直也
加賀谷さんの自宅でのひとときは、実にあたたかいものだった。
テーブルに並んだ料理を囲みながら、ワインを傾け、近況を語る。最初はどうしても硬い話題になった。八幡平の温泉街の課題や、地方経済の疲弊について。だが途中からは、自然と話題が柔らかいものへ移っていった。
「そういえば、保奈美が大統領に花束を贈った件はご存じですか?」
オレが口にすると、加賀谷さんはすぐに頷いた。
「もちろんだとも。ニュースで見たよ。いやぁ、誇らしかった。まさか知り合いのご家族から、あんな晴れ舞台に立つ人が出るとはね」
隣で奥様も「とっても可愛らしかったわ」と笑顔を向けてくださる。保奈美は少し頬を染め、照れくさそうにうつむいた。
オレはそこで言葉を継いだ。
「実は……あの時、もう一つ特別な出来事がありまして」
加賀谷さんが首をかしげる。
「え?」
「大統領から、チャレンジコインを直接手渡されたんです。それと……シークレットサービスの特別な連絡コードも渡されました」
一瞬、部屋の空気が止まった。
加賀谷さんは驚愕の表情を浮かべ、思わずグラスを置いた。
「……それは……!」
奥様も目を見張り、保奈美は隣で小さく息を呑んでいる。
「帰国後の飲み会では、さすがに人目があって話せなかったんですが……。今日は加賀谷さんのご自宅なので」
そう付け加えると、加賀谷さんはゆっくりと深く頷いた。
「直也くん、それは名誉と同時に重責だ。……いやぁ、すごい。鳥肌が立ったよ。但しこの事は本当に必要最小限の人だけに留めた方がいい。……君を政治的に利用しようと画策するヤツも出てきかねないからね」
真剣な眼差しでそう言ってくださるのを見て、オレは改めて背筋が伸びる思いがした。
それでも、保奈美は笑顔で食卓を華やかにしてくれていた。彼女がいるだけで、硬い話題に柔らかな彩りが差し込まれる。――その存在の大きさを、改めて実感する。
食事を終えると、保奈美は当然のように奥様の横に立ち、片付けを手伝っていた。笑顔でやりとりしながら調理器具を片づけ、食器を洗う姿は、ほんの少し大人びて見えた。奥様もまた、そんな保奈美を慈しむような眼差しで見ていた。
――今日のこの出会いは、きっと保奈美にとってかけがえのない経験になるのだろう。
帰り際、玄関先で幾重にもお礼を述べ、夫妻に深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございました。とても楽しい時間でした」
外に出て、冬の冷たい風を胸いっぱいに吸い込む。
その瞬間、自然と横から小さな手が伸びてきて、オレの手を強く握った。
――また、恋人握り。
「……なぁ、保奈美。オレは本当にそういうキャラじゃないんだけどな」
口ではそう言いながらも、彼女の笑顔を見たら、抵抗する気持ちはすぐに消えていった。
「ふふっ。でも、直也さんはこうしてくれるのが、私は一番安心なんです」
諦めて、オレはただ素直に従った。彼女の小さな掌から伝わる温もりは、不思議と疲れを溶かしていく。
――今日のこの出会いが、保奈美をまたひとつ強く、そして美しくしてくれる。
そう思うと、オレの胸にも静かな喜びが広がっていた。