プロローグ2:新堂亜紀
「……これで、ますます直也くんが目立ってしまうわね」
私はデスクに肘をつき、深くため息をもらした。
手元の『ニューズデイズ』の特集号には、凛々しく撮影された直也くんの顔。国際誌の表紙だ。堂々たる姿に胸がざわつく。
誇らしさ――よりも、先に込み上げてくるのは憂鬱な思いだった。
五井物産大手町本社ビルにあるGAIALINQフロアは、昼休みだというのに異様な熱気に包まれている。
直也くんのデスク前には長蛇の列。サインを求める女性社員でごった返していた。
本人は困ったように微笑みながら、律儀に一人ひとりの雑誌やコピーにサインをしている。
広報部の若手は「整理券お配りしまーす!」と、まるでアイドルイベントを仕切るかのように楽しげだ。もうバカじゃないのか、と……。
私の耳には、列に並ぶ女性たちのひそひそ声が嫌でも届いてくる。
「やっぱり写真より実物の方がかっこいいよね〜」
「『未来を変えるリーダー』って書いてあったけど、ほんとにそんな雰囲気あるよね」
「え、彼女いるのかな? さすがにいるよね? でも記事には一切触れてなかったし……ワンチャンないかな?」
「ねぇ、このサイン、家宝にしなきゃ!」
私は視線を伏せ、唇を噛みしめた。
――バカみたい。みんな浮かれて。直也くんは、アイドルじゃないのよ。
でも理屈では押さえられない。胸の奥からじわじわと嫉妬が広がっていく。
自分だけが知っている直也くんを、誰かに奪われるような不安。
たとえ現実にはそんなことがないとわかっていても、心は落ち着かなかった。
記事の内容自体は完璧だった。EGSの技術的課題、AI制御の可能性、国際協力の展望――どれも的確にまとめられていて、直也くんのビジョンを正確に伝えている。
冷静に見れば、社内が騒ぐのも無理はない。世界から選ばれるのは当然だ。
――でも、それはそれ。
私にとって直也くんは、記事の中の“未来のリーダー”なんかじゃない。
「お義兄さん」でもない。世界に評価される誰かでもない。
ただの、一人の男性。私がどうしようもなく惹かれてやまない人。
私はわざとヒールを鳴らしながら直也のデスクへ近づいた。
「直也くん」
呼びかけると、直也くんはサインを続けながらも一瞬こちらを見上げ、困ったように笑った。その笑みが、余計に心をかき乱す。
――どうして私の方を見てくれないの。私は、ここにいるのに。
「私にはサインなんていらないわ。その代わりに……」
周囲のざわめきを背に、亜紀は声を甘く落としてみせた。
「……たまにはデートして欲しいなぁ」
列の女性たちが一斉に「え?」と振り向く。
直也の手が止まり、表情が固まっている。
私は間髪入れず、さらに追い打ちをかけた。
「それから、ディナーも一緒に食べたいなぁ。そうしたら、私、もう少し頑張れるんだけどなぁ〜」
後ろから「ずるい!」「それ反則でしょ!」と半分冗談混じりの声が飛ぶ。
直也くんは視線を逸らし、苦笑しながらペンを握り直した。
――その狼狽えた顔。それを見られるのは、私だけでいいの。
胸に渦巻くのは、誇らしさでも羨望でもなく、燃えるような独占欲。
世界中の人に称賛されてもいい。記事でどんなに美化されてもいい。
でも――直也くんは、私のもの。私の隣にいてほしい。
だから、今だけは女狐モードでいい。
世界の直也くんを、ほんの一瞬でも「私だけの直也くん」に取り戻すために。