第23話:一ノ瀬直也
――加賀谷さんが、わざわざ自宅に呼んだ理由。
単なる交流のためではないだろうと、オレは覚悟していた。
案の定だった。
食卓でワインを口にし、奥様と保奈美が笑い合っているその横で、加賀谷さんは声を落とした。
「外務省で、変な動きがあるみたいだ」
グラスの脚を指で軽く回しながら、低い声で続ける。
「チャイナスクールの連中が、中国のメガソーラー推進事業者と接近しているらしい」
――チャイナスクール。
外務省の親中国派閥。
彼らが動いている、ということか。
加賀谷さんの視線が鋭くなった。
「しかも、関西圏でメガソーラー推進をすでに決めている知事と手を組んで、国会議員――与野党問わず、メガソーラーに賛同する連中たちとの接触を強めている」
オレは背筋を伸ばした。
やはり、そういうことか。
経産省は本来、外務省としばしば対立する官庁だ。
だが、対米交渉ではアメリカンスクールと歩調を合わせることも多く、むしろ外務省のチャイナスクールとは水と油。
加賀谷さんの説明に、オレはすぐに合点がいった。
「……つまり、警戒した方が良い、ということですね?」
「うん」
加賀谷さんは頷き、グラスを軽く揺らした。
「何もなければいい。しかし、いろいろとうるさいことを言ってくる“三流政治屋”が跋扈するのが、残念ながらこの国の実情なんだ」
その声音には、長年の経験に裏打ちされた諦念と、鋭い警鐘が混じっていた。
「君はいま“スター”になっている」
穏やかな笑みを浮かべながらも、その目は笑っていなかった。
「だからこそ、上手く味方に引き込もうと、策謀を張り巡らそうとする者が出てくる可能性は否定できない。それを言いたかったんだよ」
オレは無意識に拳を握っていた。
――なるほど。つまり、警戒すべきは“外”だけではなく、“内”からの揺さぶりでもあるということか。
保奈美の笑い声と、奥様の明るい声がリビングに響く。
その温かな光景の裏で、冷たい現実がじわじわと迫ってきていた。
ワイングラスの脚を指でなぞりながら、オレは静かに口を開いた。
「……五井物産も、中国でのビジネスは多彩に展開しています。事実、その収益がグループをここまで大きく伸ばしてきたのも否定できない」
加賀谷さんは無言で頷く。
オレは息を整えて、続けた。
「だからこそ、身内の“親中派”からのアプローチには、特に警戒する必要があると思うんです。
恐らく一番あり得るのは――『地熱発電を否定はしないが、メガソーラーを併用する』という、いわゆるハイブリッド型の提案でしょうね」
口にした瞬間、加賀谷さんの目がわずかに鋭くなった。
「……それは充分あり得るね」
彼はグラスを置き、身を乗り出した。
「何かあれば、私の経産省のルートは全部君に繋げる。相談するといい」
短く、それでいて力強い言葉。
オレは深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
そこへ奥様の明るい声が差し込んだ。
「難しいお話ばかりしていないで、もっと直也さんともお話させてくださいよ。さあ少し遅くなったけど、もうランチの準備できましたよ」
加賀谷さんが、ふっと表情を緩めて保奈美の方を見た。
「素敵なお義兄さんを取っちゃって悪かったね」
「いえ……!」
保奈美が慌てて首を振る。
そのやり取りに奥様が笑い、場の空気が一気に和らいだ。
――けれど。
オレの胸には、やはり重たいものが残っていた。
チャイナスクールの影。
親中派の揺さぶり。
ハイブリッド型という“妥協案”の誘惑。
それは単なる技術論ではない。
日本のエネルギー戦略そのものを、外からも内からも揺さぶってくる“力”だ。
保奈美と奥様の笑顔を見ながら、オレは心の奥で決意を固めていた。
――負けるわけにはいかない。
GAIALINQのコアのビジョンを守り抜くことが、この国の未来を左右するのだから。