第22話:一ノ瀬保奈美
週末。
高輪台の静かな住宅街を、直也さんと並んで歩いていた。
私の右手は、当然のように彼の左手に絡んでいる。
ただ繋ぐだけじゃない。ちゃんと指を編み込んだ“恋人握り”だ。
「……なぁ保奈美。オレ、そういうキャラじゃないんだけどな」
少し困ったような表情の直也さん。
でも、そんなのは聞き入れない。
「義兄妹でこれはちょっとどうかなぁ……」なんて言われても――笑顔で首を振るだけ。
だって、私には分かっているのだ。最終的に直也さんは、必ず諦めて受け入れてくれるって。
――この繋ぎ方以外は、絶対にイヤ。
そう心で決めて、指先にぎゅっと力を込めた。
しばらく歩くと、目の前に現れたのは堂々とした一戸建て。
外壁も庭も手入れが行き届いていて、品のある佇まいを放っている。
さすがに、日本でも注目されている半導体メーカー・グリゴラの執行役員である加賀谷さんのお宅だ。――直也さんの言葉通り、立派そのものだった。
インターフォンを押すと、すぐにドアが開いた。
「いらっしゃい!」
朗らかな声で迎えてくださったのは、加賀谷さんと奥様。
そして奥様は私を見るなり、目を細めて口元に手を当てた。
「まぁ……なんて可愛い」
柔らかな声に頬が熱くなる。
「主人がね、いつも言うんですよ。『直也くんが、美人の義妹さんを大事にしすぎて、どこにも出さないんだ』って。どんな方なのかしら、って思っていたの。でも、こんなに美人さんなら……それはお義兄さんも心配なさるのも無理ないわねぇ」
「えっ……」
思わず声が漏れた。
奥様の言葉に、直也さんが横で苦笑している。
――もう、ほんとに。
でも、胸の奥は、じんわりと温かくなっていた。
この日はお昼をご一緒に、というお招きだった。
玄関からリビングへ案内されると、広々としたダイニングに整然と並ぶグラスやカトラリー。その奥で、加賀谷さんが早速、直也さんに声をかけていた。
「よし、コレいこうか」
そう言って手にしたのは、見るからに高級そうなワイン。
直也さんは少し目を細め、珍しく少年のような顔で「ありがとうございます」と笑っている。
奥様は肩をすくめて、こちらに微笑みかけた。
「保奈美ちゃん。男同士はああやってすぐ飲み始めちゃうから……私たちはオンナ同士、仲良くしましょうね」
その言葉に、自然と笑みがこぼれた。
「はい……ぜひ、お手伝いさせてください」
キッチンへ移り、野菜を切り分けたり、ドレッシングを合わせたり。
奥様の手際は洗練されていて、ひとつひとつの所作が優雅に見えた。
「ここはね、火を弱めてじっくり。……それから、この切り方だと仕上がりが柔らかくなるの」
丁寧に教えてくださるたびに、私は頷き、手を動かした。
――母が亡くなって、もう半年以上。
あの日から、本当にいろんなことがあった。
けれど、こうして誰かの台所で、隣に立って料理を教わる経験なんて、ずっとなかった。
フライパンから立ちのぼる香ばしい匂いに包まれながら、胸の奥にぽっかり空いていた穴に、ほんの少し温もりが染み込んでいくようだった。
ダイニングの方をちらりと見ると、加賀谷さんと直也さんが、ワイングラスを片手に真剣な顔で話し込んでいる。
――たぶん、大切な仕事の話なんだろう。
邪魔しないように、私は奥様のお手伝いに集中した。
「本当に可愛いわね。……こんな美人なお嬢さん、本当に見たことないわ」
不意に奥様が言って、私は手を止めた。
「そ、そんな……とんでもないです」
顔が熱くなって、慌てて否定した。
けれど奥様は、優しく首を振って笑う。
「本当にそう思うのよ。……だから、直也さんが心配する気持ちもわかるわ」
私は胸の奥がじんと熱くなりながら、もう一度「ありがとうございます」と小さく呟いた。