第21話:一ノ瀬直也
週末のお忍び出張は、想像以上に収穫が大きかった。
加納屋を拠点としたミニマムスタートプランを現実のものとして描けるようになっただけではない。日曜のうちに社長へ直接相談し、福利厚生枠での支援を取り付けられたのは決定的だった。トップが口頭で承認してくれたとなれば、社内調整の大半は既に終わったも同然だ。
――進む。
停滞していた歯車が、一気に回り出す気配があった。
加えて、もうひとつ大きな朗報が舞い込んだ。
玲奈に確認を依頼していたデータセンター建設候補地Cについて。先方の宗教法人は、どうやら雑誌記事やキャンペーンを通じてオレの名前やビジョンを既に認識していたらしい。しかも、その理念に感銘を受けており、交渉のテーブルにつく意向がある――。
「ごめんなさい。本来、私がもっと早く気付くべきだった……」
報告してきた玲奈は、少し肩を落としていた。
だがオレは首を横に振る。
「いや、全然問題ないよ。むしろ、ちゃんと確認して動いてくれたから今こうして前に進めているんだ。どの道松川の件が見通せない時点では、オレも土地取得交渉は早すぎると思っていたから、玲奈と同じだよ」
それでも彼女の表情には責任を痛感している様子が伺えた。
だからその日の昼、オレは玲奈をランチに誘った。
普段は無表情気味な彼女が、少しだけ頬を緩めているのを見て、こっちまで和んでしまった。
――こういう顔を、もっと早く見せてくれてもいいのにな。
だが、会議室に戻った時には、別の視線が突き刺さっていた。
亜紀さんと麻里だ。二人とも言葉に出すことはなかったが、そのわずかなムッとした表情は隠しきれていない。
まあ、気にしても仕方がない。
オレがやるべきことはひとつ――前に進めることだ。
人間関係の火花も含めて、このプロジェクトはすべてオレの掌の上にある。
加賀谷さんから連絡をいただいたのは、その夜だった。
「今週末、もし時間があったら、一度自宅に遊びに来ないか」
そう言ってくださったのだ。しかも「直也くんだけじゃなくて、保奈美さんも一緒に」と。
オレは迷わず返信をした。
――それでは、今週末、お伺いさせていただきます。
思えば、加賀谷さんと顔を合わせるのは、帰国してすぐ、米国での進捗を祝って開いていただいた「慰労会」で飲みに行ったとき以来になる。あの夜は緊張がほぐれ、胸の奥に温かなものが残った。
米国での政権へのアプローチのベースは、加賀谷さんからの駐米総領事館の知人を介したものだった。それがかなり前向きの反応であった事から、五井物産の公式・非公式のルートを通じたアプローチにつながり、米国大統領からの支持という望外の結果に到達できたのだ。その起点となった加賀谷さんのサポートをオレは片時も忘れたことはない。
加賀谷さんは、もともと経産省の高級官僚として将来を嘱望されていた方だ。将来の経産省次官と言われていた程だったが、あまり健康が良好でない奥様のために、あえて激務が続く官僚のポジションを辞して家庭を優先されてきたのだ。今もグリゴラの執行役員を務め、日本の半導体政策の中核にポジションしながらも、同時に家庭を大切にする生活をされているのだ。
――本当に尊敬できる人だ。
家庭を大切にする姿勢も、その穏やかな人柄も、オレには眩しく映る。
そんな加賀谷さんの家に、保奈美と一緒に招かれる。
自然と、心のどこかが温かくなるのを感じていた。