第19話:高村慎一
――正直、驚いた。
これまで私は、一ノ瀬直也を「確かに優秀ではあるが、現場を知らないビジョナリー」と心のどこかで括っていた。
若くして高いポストに就いた者にありがちな、机上の空論を振りかざすタイプではないかと。
しかし、それは大きな誤解だった。
八幡平の現場を自ら歩き、耳で聞き、目で確かめ、わずか一泊二日の間に、最速の現実解を持ち帰った。
しかもそれを、自分が直接発表するのではなく、あえて現場に最も近い直美に語らせた。
その結果、「現場の声としての説得力」が生まれたのだ。
――老練すぎる。
とても24歳の手際とは思えない。
週末を費やし、なおかつ“花を持たせる”形で周囲を動かす。これを老獪と言わずして何と言うのか。
私は深く息をつき、思わず口にしていた。
「正直、驚きました。……素直に、これは脱帽です」
会議室の空気がわずかに揺れる。
「少なくともこの短期のプランを実施する姿勢を見せられれば、松川エリアの賛同は得られやすくなると思います」
自分でも不思議なくらい、素直な言葉が出ていた。
直也は静かに頷き、真っすぐにこちらを見据えた。
「ありがとうございます。プラチナタウン構想を含めれば、本来はこれだけで大型プロジェクト化すべき案件です。ですが今は、別の箱を立ち上げることに時間を費やすより、一旦は短期プランを着実に進める姿勢を見せたい」
その声は落ち着いていたが、強い決意が滲んでいた。
「ですので、短期プランの管理は高村さんにお願いします。実務は直美さんが担ってください」
「……承知しました」
私は深くうなずいた。ここまで信じて任せられるなら、応えない訳にはいかない。
直也は続けて、視線を亜紀へと向けた。
「SPVメンバー側で本件についてサポートして頂く役割を誰に対応いただくべきか。……亜紀さんには、プラチナタウン構想を含めた中長期のプランまでを俯瞰して、一旦受け持っていただけませんか?」
その瞬間、亜紀の目がわずかに揺れた。
だが直也の声は柔らかく、それでいて逃げ場を与えない。
少しの沈黙のあと、亜紀さんはゆっくりと頷いた。
「……分かりました」
その横顔は、承諾しながらもどこか悔しさを滲ませていた。
すかさず直美さんが明るく声をかける。
「亜紀さん、よろしくね〜」
その一言に、亜紀さんの目が鋭く光った。
小さな刃のような視線。胸の奥で「キッ」と音を立てるのが、こちらにまで伝わってくる。
だが、その空気をさらりと変えたのは直也だった。
「GAIALINQの日本での早期立ち上げを実現するには、現地の住民理解が不可欠です。その難題を解決するための一時の方便とするのではなくて、予め中長期での視座に立ったプランを見据えつつ、現実的に進められるかどうか。そこがないと、所詮は信頼は得られないと思います」
会議室が静まり返る。
彼の言葉は理路整然としているのに、妙に胸に響いた。
「本来ならオレ自身で取り組みたいテーマなんですが、残念ながらそうもいかないと思います。だから――亜紀さんにお願いしたいんです」
真っ直ぐに見つめるその眼差しに、亜紀さんは一瞬だけ口を引き結んだ。
そして、ため息をつくように小さく笑った。
「上手いなぁ……ズルいよ」
そう呟いてから、直美さんの方へと向き直る。
「……直美さん。こちらこそ、よろしく」
ほんの一瞬だけ見えた柔らかな表情。
プライドの高い彼女に、ここまで素直に言わせるとは――。
私は心の中で舌を巻いた。
ただ有能なだけではない。人の心を掌で転がすように手懐ける。
「……やはり、この男は只者ではない」
そう認めざるを得なかった。