エピローグ5:一ノ瀬直也
クリスマスは亜紀と玲奈による熱烈な懇願と、保奈美の了解があったので、月次の自宅会食で、麻里と莉子も参加するクリスマスパーティをする事になった。
オレは結局参加者全員の為にプレゼントを買わされる羽目となったが、まぁ皆喜んでくれたのでとりあえずは良しとしよう。実のところは保奈美に相談してほとんどは決めていたのだ。オレ自身で考えたのは莉子と保奈美へのプレゼントだった。
莉子には12月にリングを買ったばかりだったので、パーティの際はカシミヤのマフラーをプレゼントした。寒い時期の撮影も増えるだろうからだ。
保奈美へのプレゼントは、ダイヤのイヤリングにした。私服の時にイヤリングしている友人がいて、関心を持っていたようなので、また銀座のティファニーに連れていき、保奈美自身の意見を聞いた上でプレゼントしたのだ。ただし保奈美には、ちゃんとした医療機関で穴を開けてもらうように注意をした。
年末から元旦までは保奈美と自宅でゆったりと過ごした。
保奈美には大きな負担になるので、おせち料理の準備は止めさせて、二人で食べ切れる程度のおせちをデパートで予約し、お雑煮や、お汁粉と熱燗だけ用意してもらった。元旦には一緒に最寄りの神社にお参りに行き、今年一年の安寧と家内安全を願った。
正月二日には加賀谷さんのお宅に新年のご挨拶に朝からお伺いして、奥様の美味しいおせち料理をご馳走になった。加賀谷さんとオレは箱根駅伝を見ながら熱燗をたっぷり頂き、ほろ酔い気分になってしまった。気がつくと保奈美の膝枕でしばらく寝ていたみたいで、加賀谷さんと奥様から随分と冷やかされたものだ。
そこまでは実に平和なものだったのだが――。
――ある国際会議への正式招待状が届いたのは、正月5日目の事だった。
差出人は「World Economic Forum」。
つまり、世界経済フォーラム――毎年スイスの小さな町ダボスで開かれる、世界最大規模の国際会議だ。
各国の首脳、国際機関の代表、そして経済界や科学界のリーダーたちが一堂に会し、気候変動やエネルギー政策、AI倫理といったテーマを議論する。
まさか、自分の名がその講演者リストに加わるとは思っていなかった。
GAIALINQの理念――“地熱により持続可能なAI基盤を実現して、より良い未来を切り開く”というビジョンが世界的に注目を集めたということか。今回の招待の理由もそれだろう。
五井物産の上層部からも、この招待は大変名誉であるとして喜ばれたが、当初 “日本代表団の一員として”出席させていただこうというスタンスだった。
ただし、フォーラム事務局からの案内にはオレへの招待に関する位置づけが明確に記されていたので、最終的な判断はオレ自身に任される事になった。
“You are invited as an independent speaker.”
――独立した講演者として。
国の代表でも、企業の広告塔でもなく、
一人の研究者・技術者として、自分の言葉で語る。
そうした機会を得られた者として行くべきか否か。
オレ自身は、今回の機会を無駄にするよりも、最大限に活用しようという判断から、会社の了承も得て、あくまでも『独立した講演者として』の出席を決めたのだった。
ただ一つ――問題があった。
ダボス会議の開催は1月下旬。
スイスに滞在するのは約1週間。
つまり、その間は保奈美を家に残すことになる。
(……保奈美をそんなに長い間、一人にしておきたくない)
そこで思い浮かんだのが、加賀谷さんのご夫妻だった。
保奈美を自分たちの娘のように可愛がってくれている。
そして保奈美の学校は加賀谷さんのご自宅からそう遠くない場所だ。
「大変申し訳ないのですが、一週間ほど、お世話になれませんか?」
電話をかけると、奥様の声が弾んだ。
「まあ! もちろん大歓迎ですわ! ねぇ、あなた?」
背後から加賀谷さんの笑い声が聞こえた。
「もちろんだ。直也くんがダボス会議で講演するって事は、GAIALINQもついに全世界デビューって事だよな。――喜んで、その間保奈美ちゃんは大切にお預かりするよ。」
「ありがとうございます。本当に助かります」
電話を切ったあと、ほっと息を吐いた。
保奈美自身は、オレが不在の間も家を守っていたいと言い張ったが、ここはオレは聞けなかった。それでは保奈美のことが心配だから『ダボス会議の出席を諦める』と言うと、ようやく保奈美は折れてくれた。
週末に保奈美を加賀谷さん宅まで送り届け、その足でオレは羽田からチューリッヒに飛んだ。翌週月曜日から会議が始まる。
※※※
――静寂に包まれた会場だった。
雪に閉ざされたスイス・ダボスの小さな町。
その中心にある「Congress Centre Davos」のメインホールには、各国の首脳、エネルギー企業のCEO、そしてAI研究者たちが整然と並んでいた。
壇上に立つと、ライトの眩しさと同時に、胸の奥にわずかな緊張が走った。
けれど、不思議と恐れはなかった。
ここで語るべきことは、すでに自分の中にある。
“Good afternoon, ladies and gentlemen.
My name is Naoya Ichinose, representing ITSUI & CO.,LTD. and the GAIALINQ Project in Japan.
Today, I’d like to share our vision — how AI and geothermal energy can form a true, sustainable ecosystem for the future.”
(皆さん、こんにちは。
私は日本の五井物産GAIALINQプロジェクトを代表しております、一ノ瀬直也です。
本日は、AIと地熱エネルギーがどのようにして“持続可能な真のエコシステム”を形成できるのか、その構想をお話ししたいと思います。)
会場のスクリーンに、地熱発電施設とAIデータセンターの映像が映し出された。
白い蒸気が雪原の中に立ち上り、隣接する施設では無数のサーバが静かに光を放っている。
“We believe that AI should not only be a tool for efficiency —
but a foundation for making the world genuinely better.
To achieve that, we must power AI with energy that does not destroy the environment.
That is why we chose geothermal energy.”
(私たちは、AIを単なる効率化の道具ではなく、世界をより良く変えていくための“基盤”にしたいと考えています。
そのためには、AIが必要とする膨大な電力を、環境破壊を伴わない形で賄う必要があります。
だからこそ、私たちは地熱エネルギーを選びました。)
“Through GAIALINQ, we are creating a cycle —
AI helps expand the potential of geothermal power,
and that renewable energy in turn sustains more AI computation.
This is the true ecosystem we envision —
one that reinforces itself, cleanly and endlessly.”
(GAIALINQでは、“循環”を創り出しています。
AIが地熱エネルギーの拡張を助け、
その地熱エネルギーが、より多くのAIの計算資源を支える。
これこそが、私たちが目指す“真のエコシステム”なのです。
クリーンで、終わりのない、自己強化型の循環です。)
会場の空気が変わる。
メモを取る手が止まり、誰もが彼の言葉に耳を傾けている。
直也は少し間をおき、ゆっくりと続けた。
“And the next step is to use that computational power —
not for profit, but for people.
Japan is already a super-aged, population-declining society.
Instead of increasing population through immigration,
we aim to improve daily life through AI robotics —
to solve more problems with fewer people,
and make ordinary life more fulfilling.”
(そして次のステップは、そのAIの計算資源を“利益のためではなく、人々のために使う”ことです。
日本はすでに人口減少社会にあります。
私たちは、移民によって“人口を増やす”のではなく、
AIロボティクスを積極的に活用することで、より少ない人間で、より多くの問題を解決し、
人々が幸せな日常生活をおくれるようにしたいと願っています。)
“In Japan, we have a word — Kizuna.
It means connection — between people, between humanity and nature.
Through GAIALINQ, we hope to connect energy, data, and people,
to build a world that is not just smarter — but kinder.”
(日本語に“絆”という言葉があります。
それは、人と人、人と自然をつなぐ「つながり」を意味します。
GAIALINQを通して、エネルギー、データ、そして人々をつなぎ、
より“賢く”ではなく、より“優しい”世界を創りたいのです。)
静寂が訪れた。
言葉の余韻がホールの天井に吸い込まれていく。
そして次の瞬間、ゆっくりと、誰かが拍手を始めた。
その音が波のように広がり、やがて万雷の拍手となった。
直也は、深く一礼した。
歓声ではなく、共鳴だった。
――この理念は、確かに届いたのだ。
講演を終えて外に出ると、雪が静かに降り始めていた。
ホテルへの帰り道、小さな土産店のショーウィンドウに、銀細工の小物が光っているのが目に入った。
保奈美へのお土産にちょうど良さそうだと思い、扉を押して中に入った。
店内は温かく、柔らかな照明に銀の粒がきらめいている。
雪の結晶を模した一点ものの髪飾りを手に取り、微笑んだ。
(……これなら、きっと喜ぶだろうな)
その時――背後から、柔らかい日本語の声がした。
「それ、とても素敵ですね。
贈る方は……あなたにとって、大切な方なんでしょう?」
反射的に振り向く。
そこに立っていたのは、深い紺のコートに身を包んだ女性だった。
切れ長の瞳に、どこか冷たくも知的な光を宿している。
「――あなたは?」
彼女は微笑みながら名刺を差し出した。
“劉美琳(Liu Meilin)”
――中華人民共和国 商務部 AI産業発展局
「はじめまして、一ノ瀬直也さん。
あなたの講演、拝聴しておりました。とても印象的でした。
……AIとエネルギーを“結ぶ”という発想、私たちも興味があります。」
その声は穏やかだった。
(商務部……というよりも国家安全部のエージェントか)
そろそろ次のアプローチが始まったのかも知れない。
――雪は降り続いていた。
世界の均衡を静かに塗り替えるように。