エピローグ2:小松原沙織
――戦いが終わった後の静けさ、というのはこういうことを言うのかもしれない。
五井物産本社のミーティングルーム。
午後の光がガラス越しに差し込み、テーブルの上を白く照らしていた。
増資契約――正式名称「第三者割当増資による資本業務提携契約」。
すべての条件が確定した直後だった。
五井物産、栗田自動車、そしてDeepFuture AI。
企業価値は、当初提示額の1.5倍。
誰もが眉を上げた「奇跡の修正」。
もちろん、それを裏から支えたのが一ノ瀬直也――
……だったとしても、そんなこと、私の口から言うはずがない。
「これでようやく正式発表ですね」
五井物産広報部の若手が、誇らしげに資料を揃えながら言った。
彼らのテンションは明らかに高い。
自分たちが活躍する舞台に関する打ち合わせだから当然といえば当然だが、自社投資部とCVCの“屍”の上である事を忘れて、本当にノーテンキだ。
桐生社長は――と言えば。
「よくやった」とたった一言。
今回の交渉と調達資金の増大は、今後のArchetype Robotics社の研究開発を一気に加速させるに充分なものとなった。私もこうした事務仕事が一段落したら、一工房スタッフとして、また作業着を着てAIロボティクスの構成部品の見直しに奔走する予定だ。
「じゃあ、記者発表会の段取りを詰めましょう」
私は進行役として会議を切り替える。
参加メンバーは、五井物産広報部、栗田自動車広報チーム(彩花さん)、
DeepFuture AI日本法人代表の麻里さん、
そしてGAIALINQ側から、直也さん、亜紀、玲奈、高田さん、莉子さん。
発表用スライドの内容、質問想定、取材対応――
どれもプロフェッショナル同士の作業。
無駄な言葉は一つもない。
直也さんの指摘は相変わらず鋭く、広報資料の一文にすら、企業メッセージの一貫性を見出して修正案を出す。
「……『方針』として発表いただくのは全然OKです」
ふとした一言に、全員の視線が向く。
GAIALINQの栗田グループ参画について、発表タイミングをどうするか――議題の焦点だった。
「それ自体はもう社長にも確認取っていますから」
直也は涼しい顔で言う。
「このタイミングで出せば、インパクトが数段違う。
GAIALINQが“日米AI産業連合の中核”になる、という構図が一気に出来上がります」
私は軽く頷いた。
理屈もタイミングも完璧。
さすがは五井物産の“頭脳”だと、全員が納得していた。
打ち合わせは驚くほどスムーズに終わった。
麻里さんは「これなら取材対応も問題なさそうね」と笑い、
亜紀と玲奈も「バッチリ」と親指を立てる。
高田さんと莉子さんは今後の対応スケジュールについて詰めている。
(完璧。全てが滑らかに動いている。)
ただ、唯一の誤算は――その「打ち合わせ後」に待っていた。
全員が会議室を出たあと、彩花さんがコートを羽織りながら何気なく言った。
「そういえば、聞いてくれる? ちょっと面白い話があるのよ」
(……面白い話、って嫌な予感しかしないんだけど)
「環境省の遥さんがね、先日由佳と私に相談があるって言うから、一緒に飲みに行ってきたの」
彩花は悪戯っぽく笑う。
「でね、その相談っていうのが――
直也さんは現代に生き残っているサムライだって言うのよ。そしてそして――
なんと、直也さんを本気で好きになっちゃった、っていう、まるで“乙女”のようなお話だったのよ〜。ふふふっ」
空気が、一瞬止まった。
亜紀が「……は?」と絶句し、
玲奈は「……ちょ、ちょっと待って、それ、どういう……?」と固まる。
麻里さんは「ん?ん?……なんか耳が聞こえにくくなってきたな」と現実逃避する。
私は――心の中でため息をついた。
そして直也さんは聞かなかったフリをして、さっさとGAIALINQプロジェクトフロアに戻っていった。足早に――。